長岡亮介のよもやま話320「明日のことはわからないから不安なのでしょうか?」(病室から)

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 最近の我が国の人は、将来についてどうなっていくのか不安であるといいますが、一体将来について何が不安なのでしょう。明日明後日あるいは10年後20年後あるいは40年後10年後かもしれません。そのときに、日本の状況がどのようになっていると、その人たちは考えているのでしょう。私に言わせると、明日明後日はともかくとして、1年後2年後のことは、10年後20年後のことと同様に、全くわからない。そのくらい状況の変化が日々激しいということを、私達はまず肝に銘ずべきだと思うんです。この30年、失われた30年などと言われてきましたけれども、その失われた30年をどのように活用していれば失われなかったのか。その失われた30年というのを言う人たちにぜひ伺ってみたいと思っています。

 日本はこの30年間の間になぜ没落したか。それは非常に欺瞞的な社会福祉政策によって、日本の経済全体にパイを行き渡らせる。そういう政策の結果、国庫財政が想像を絶するくらい悲惨な状況になり、そして政権を担う与党がポピュリズムに汚染されきっていて、もちろんポピュリズムによってこそ政権が成り立っているという現実を、私達は思い知らされているわけですが、そのようにこの3030年の間にさらに徹底したバラマキが行われてきた。そのツケが30年間の経済の沈滞であり、そして今、世界から見て日本はものすごく将来性のない国として、買い叩かれているわけですね。そして、買い叩かれているからこそ、実は株価も上昇する。株を買っているのは海外の投資家なんだと思います。海外の投資家はそういうふうに株に投資する。彼らにしてみれば、今までのお金で5割以上の価値のある株式を手に入れることができるわけですから、投資家にとってこんなうまみはない。日本は今、ちょうどソ連崩壊時のロシアのように、経済が強い勢力によって好き放題荒らされまくっている。この間に日本が失った蓄積してきた富の総額っていうのを、どのように計算したらいいのか。いろいろなアプローチがあると思いますが、そのようなアプローチをするのが経済学であるのですが、はずであると私は思うのですが、経済学者からそのようなことについて、きちっとした発言を聞くことが滅多にありません。むしろ私達の選んだ国民の代表である政権与党が引いてきた路線そのものが破綻しているからこそ、こんにちの状況は招かれているんだと、私は言わざるを得ないんではないかと考えています。

 つまり、一昔前の日本人特有の勤勉さとかものまねのうまさとか、悪く言えばそれはパクリの上手さ巧みさと言ってもいいと思いますが、そのような努力で、かろうじて海外にあるいは海外の諸国の叡智と渡り合ってきた私達の先輩たちの努力、これが私から見ると、この間の社会福祉政策によって、完全に破綻してしまった。完全に破綻するところまで追い詰められて、その後でもまだやることがない。例えば、わかりやすく言えば、今、物価上昇の歯止めがきかない。私はその主たる要因は、原材料を持たない、食料も、エネルギーも持たない日本にあると思うんですけれども、そのときに物価上昇を食い止めるための基本的なテクニックは、金利の上昇ですね。経済を冷やすということです。金利を上げれば、当然のことながら経済は冷める。しかし経済を収める結果として、不況が起こるかもしれない。それによって痛い思いをする人がいっぱい出るかもしれない。確かに不況の中でインフレが発生したらば、例えばローンを借りて家を買っている人は、ローンを支払うために家を売ってもまだ残債のローンで苦しめられるということ。これはもう目に見えていますね。しかし、そういう可能性があるから、今金利を引締めるわけにはいかない。こういうようなロジックでズルズルとやってきました。

 今は不動産バブルといって、都心のマンションは信じられないほどの値段に高騰しています。そのことが何によってもたらされているか、いうまでもないですね。低金利政策によって、日本経済が成長の見込みのない、いわば低空飛行状態を運命づけられている。その上に資源がない。輸入が止まるという事態になってくれば、インフラは止まることを知らないわけです。物価上昇も止まるところを知らない。当たり前ですね。でも大切なのは、そういう中であっても、消費を我慢したりすれば物価は沈静化に向かうわけです。みんなが今まで電気をふんだんに使っていた。夏も冬もエアコンディショナーを動かして、快適な生活をしていた。そういう生活を放棄すれば、状況はガクッと変わるわけです。しかし今や行政が、「エアコンをつけましょう。脱水症にならないでください。」余計なお世話まで焼いてくれますね。「脱水症にならないようにエアコンディショナーを使いましょう」。その経費はどこから来るのでしょうか。その経費が、結局のところ自分たちの首を絞めている。そのことに国民は気づくべきだと私は思うんです。今私達の社会は曲がり角にあると言いますが、私に言わせると曲がり角にあるのではなくて、急速に降下していて転落している。その転落したときの転落のスピードが止まらない。恐ろしい状況ですね。曲がり角ではない。いわば本当にFree falling自由落下のように落下している。そういう転落の一途を辿っているということに、私達はもっと目を向けなければいけないと思います。

 社会のことを考えると悲観的にならざるを得ませんが、その悲観的にならざるを得ないということは「将来が見えない」というふうに表現されているところがあって、これがおかしい。将来は見えている。むしろ絶望の将来が見えている。その絶望の将来の中で私達はどんなに絶望の中にあっても、平和という希望だけは失ってはいけないということを私は強く思うのですが、「明日どうなるかわからない」というふうに不安を煽ったり、「明日は良くなるに違いない」という楽観を煽ったり、全く無責任だと思うんですね。私達は元々本当は明日のことはわからない。今日一日をよく生きていくことだけが、私達にできる唯一の積極的な行動だと思うんです。そういうことを考えますと、「明日の生活が不安である」というような庶民の言い方は最もらしいのですけれども、実は庶民の愚かさ、あるいはマスメディアでマインドコントロールされているという大衆の心理、それを表現しているに過ぎないと私は思うのです。大衆がもっともっと賢くならなければいけない。大衆と言われ、マスコミのマインドコントロールの下に入るということをよしとするようであれば、戦前の日本と何も変わっていないということに、私は大きな警鐘を鳴らしたいと思っています。

コメント

  1. shin より:

    長岡先生,ご入院中!?大丈夫ですか?とても心配なんですけど・・・。
    イースターに復活なんて「粋」ではありますが,一日も早く回復されますよう,お祈りしています。

    「私達は元々本当は明日のことはわからない。今日一日をよく生きていくことだけが、私達にできる唯一の積極的な行動だと思うんです。」

    全くその通りです。
    「分からない」ことは不安ではなく真の希望です。
    明日のことが分からないからこそ,明日を拓いてくださる御方に希望を置いて,私たち自身は今日一日を精一杯生きることができる・・・と,私は常々話しています。

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