長岡亮介のよもやま話470「自己決定の大切さ – 勉強範囲は個人が選択すべき」

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⏰土曜日 2025.08.30 09:12 · 10mins

勉強で、どの範囲を学習すればよいのか。1人1人の個人がそれを決定するのは容易なことではありません。だからといって、個人に代わって「国が、日本の18歳の青年は、これこれのことを勉強すべきである」という強制力のある企画を決めるとすれば、それは大いに問題ですね。

ある意味で、「国家にそのようなことを決めてほしい」と、懇願する人もいるのかもしれませんが、私自身は「自分が勉強するものについては自分で決める」というふうにしていきたい方の人間です。それが自分自身の能力を上回っているということが十分承知の上でも、あえてそのように言いたいという気持ちがあります。

というのも、勉強というのは、いわば広大無辺の世界でありまして、「その中で、これとこれとこれは勉強すべきである。あれとあれとあれ、それは勉強する必要がない」と、それを国が決めるのは余計なお世話だ。そういうふうに思うんですね。

1人1人によって、多少の違いがあるということは自然なことであるし、それを禁止すること自身がおかしいと思います。才能にあふれた人は、興味が次々と沸いて、深くいろんなことを勉強していく。興味がない人は、そういうことに関心を持たないわけですから、あえて勉強する必要はないと感じていたとしても、その人の責任というわけではない。むしろその人の自由と、その人の人権として認めてあげた方がよろしい、と私は思っているんです。

そういう意味で、最小限これをマスターすべきであるという、いわゆるrequiredミニマムっていう言葉がありますが、要求される最低水準がどの程度のものであるかっていうことについての、目標というか、水準を示唆することは、あっていいと思いますが、強制力を持って、「これは勉強してはならない。あるいはこれを勉強しないと話にならない」と要求するのは、そのことに対しては、私達は十分慎重であるべきだと私は考えている人間の1人なんですけれど。

最近の学習指導要領で一番びっくりしてることは、いわゆる数学Ⅱという範囲においては、積分がなくなってしまったということですね。微分は勉強するけど、積分は勉強しない。それは全部、数学Ⅲという科目の中に包括されてしまう。数学Ⅲを勉強しない人は、積分を知らないで人生を終えてしまう、ということなんですが、何でもかんでも学校で勉強しなければならないというのは、あまりにも拘束力の強い意見で、積分を勉強する人がいてもしない人がいてもいいじゃないかと。そういう寛容さを包含するような基準であるべきだと、私は考えているんですけれど、「積分というものが、高校2年生までの数学の科目の中からは排除される」という事態が現実化していることを知り、本当に驚いています。

もちろん何から何まで勉強しなければ、現代人として失格だというわけではないわけですから、例えば実学的に重要な統計の勉強の時間を割くために、積分の時間が少々犠牲にされるということは、やむを得ないところがあるかもしれませんが、私に言わせると、統計の勉強というのは、それ自身が重要だというよりは、それは必要に応じて勉強すれば、誰でも自分が必要だと思ったときに補えば済むことで、強制的に勉強しなきゃいけないというものではない。

それに対して積分の問題というのは、ある程度強制的に勉強するという機会を持って勉強しないと、なかなか理解できない。いわば「人類史上の知の奇跡」と言うべき過去の栄光なんですね。その過去の栄光を、全く知らないで人生を終えてしまうという人がいても、それは構わないんだと、みんなが考えてるんだとすれば、私はそれは恐ろしいことではないかと思うんです。

今必要な実学的に重要な事柄をマスターするために、過去の偉大な人類史上の燦然と輝く偉業、その片鱗に触れることさえできない、その機会を完全に奪ってしまう。私は選択であったとしても、オプショナルなものであったとしても、それを学習する機会が残されているならばいいことだと思うんですけど、そういうことがなくなってしまうということに対して、「文科系であるならば、積分は知らなくてもいいんだ」というようなことを言わんばかりの行政指導に対しては、私は若い人に代わって、自分たちの知的な権利を国の名前で暴虐に犯すということに、抗議するという意見がもっともっと出るべきではないかと感じています。

何でもかんでも勉強しなきゃいけないとは、私も思っていません。こういうものはやらなくてもいいんじゃないかという単元が、学校数学の中にはまだまだいくらでもたくさんあります。でも、例えば「微分と積分」というのは、これが対にしてこそ意味があるという、人類史上の永遠の栄光なんだと思うんですね。それにきちっと触れることを学校で保障してるのは、日本くらいなもんだと。先進国では微積分なんかはほとんど教えないんだ、とこういう意見が勇ましくありますが、私はかつての日本の時代が全て栄光に包まれているわけではないとしても、日本の数学教育がそれなりの水準を保っていたということに対して、いろいろな問題がたくさんあるんですけど、にもかかわらずそれなりの水準を保っていたということの一つの証に、微積分学が、微積分学というより積分法というふうに言った方がいいと思いますが、それがかろうじて教えられていたっていうことがある。ということを、皆さんに声を大にして、記憶してもらいたいと思っているのです。

コメント

  1. 墨辻 旋哲 より:

    学問におけるパラダイムシフトや大きな功績を人類の知の奇跡いえ、軌跡という方が適切なのでしょうか?そのように表現することが人が何かを学ぶということがどれほど尊い行為であるのか再認識させるような聞こえます...

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  2. 墨辻 旋哲 より:

    長岡の集中講義も買ってみようと思います!

  3. 墨辻 旋哲 より:

    19歳の浪人生です。最近先生について知り、その考え方に共感してからネットで長岡先生のご著作や発言等を調べてはそれを用いて学習し京大受験に役立てています。先生のこの公式webサイトを見つけるまで時間が掛...

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  4. 新海 翔琉 より:

    17歳、兵庫県の高校生です。勉強の合間に、少しずつですが「よもやま話」を聞いています。最近総合的研究ⅠAを中古で入手し、感動致しました。受験が近づくにつれ学校や塾に不安を煽られる日々ではありますが、「...

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    • 墨辻 旋哲 より:

      先生のご著作が絶版になって悲しい気持ちなのは私も状況が全く同じです!総合的研究がもっとメジャーになってほしかったな。赤いⅠAⅡBⅢの総合的研究は持ってないのですが、深い青色の総合的研究論理学で学ぶ数学...

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