長岡亮介のよもやま話82「世界の中での日本」

 今回は、「世界の中で、日本の置かれている今の位置は」ということでお話したいと思います。というのは最近。わが国の公共放送で、「日本がこの30年間の間にすっかり様変わりしてしまった。」「元気がなくなってしまった日本のもう1回復活させる。そのリバイバルを実現するためにはどうしたらいいか。」という問題意識から出た番組を見たからでしたが、私から見るとどうやら日本の中で、世界に先駆けてビジネスを展開している、そういうパイオニアになっている人々、ベンチャーと言われる人たち。そういうところにフォーカスが当たり、いわゆるもの作りという分野で、世界を牽引してきた日本の大田区などの零細な町工場。それは高い技術を持ちながら、世界の中でそのプレゼンスを十分に発揮できていない。価格競争力やあるいは新しい人材の養成という点でひどく遅れている。そして、日本の優秀なエンジニアが、会社の縮小・倒産・整理ということを通じて、海外のメーカーに流出している。

 海外でそのエンジニアたちが得た経験は、日本のビジネスは意思決定があまりにも遅すぎて、一つのアイディアを実行するため、その上職、上長というのでしょうか、課長とか部長とかその課長代理とかよくわかりませんけれども、「そういう人からハンコをいっぱいもらわなければならない。そのために資料を作らなければならない。そういうことに時間を潰されていく。」という話を紹介されていましたけれども、私から見ると、ありとあらゆる分野でそれは日本的な光景で、日本はかつて軍国主義の時代にでさえ、帝国軍の参謀本部、総合参謀本部、その意思決定を待たないと本当に何も決まらなかったわけですね。そしてその結果が惨めな敗戦へと繋がっていくわけでありますが、私達の中に、例えば意思決定という当たり前の日々やらなければいけない事柄に関しては、「自分自身の問題に対してさえ、明確に意思決定をしない」という伝統が続いている、ということにもっと私達は気づくべきだと思います。何か自分の責任を棚上げして、「周りの空気を読む」というような風潮が一般化し、それが言語表現の中にたくさん現れている、ということが私はとても残念に思うわけです。

 「世界の中での日本」ということを言うときに、言ってみればゲームとかアニメとか、そういう良く言えば文化、悪く言えば遊びの世界で、世界に先駆けて情報発信し、そして世界の人々を惹きつけている。そのこと自身は結構なことだと思いますが、それは韓国のK-POPの流行、これが世界を席巻しているということと同じで、本当に大切なことか。それはお金の問題で言えば、確かに韓国にお金をもたらしている、あるいは日本にお金をもたらしている、ということが言えると思いますが、所詮そういう問題に過ぎませんね。国民がそれによって幸せになっているのか。国民がそれによって思慮深くなっているのか。国民が本当の意味で自分の人生を生きているということに対して満足しているのか。その満足を増大させることに貢献しているのか。というと、私は極めて怪しいと思うんです。その公共放送の番組にしても、そういうところには全くフォーカスが当たってなかった、ということを私は残念に思います。海外からの人がやってきて、日本の産業を盛り上げてくれる。そして日本がもう一度元気になる。そういうきっかけになればいい。という程度の発想でしかなかったように思うんですね。

 私は、皆さんが世界の中で日本がどのように見られているか。そういうことは最近アメリカの連邦準備理事会FRB、そこからのアナウンスがあり、「日本がこのような財政状況を続けていくと、世界の経済にとってものすごく大きな痛手となる可能性がある」というような警告でありました。それが日本で報道されないことに、私はショックを受けたわけです。最も重要なニュースとして報道しなければいけない番組が、どういうわけか少なくともテレビの主要なニュース番組からは、おそらく意図的に削除されている。意図的にというのが、政治の圧力によってであるか、政治家に対する忖度によってであるか、それはわかりませんが、大学を出た記者たるもの、そのような情報に接して、それが報道に値しないものだと捨てているはずがないと私は思うんです。

 皆さんが世界の中で後日本の状況というのを見る上で、やはり一番気にして欲しいことは、「財政規律の問題」、つまり予算の中で国債という将来の世代に対する借金によって運営している割合が、世界の中でどのくらいなのかとか、一番の安全保障の要と言っていい「食料自給率」、これがどの程度であるのかとか、国民が教育にかける経費というのは、実に奇妙なことに小学校や中学校や高等学校の学費としては国際的に見て異常に高いにも関わらず、大学を出た社会人が勉強するための経費というのが、国際的に見て先進国の中でどれほど低いか、そういうデータは調べている人がいらして、ジャパンランキングのようなものをキーワードにしてひくといくらでも出てきます。一般に世界の大学ランキング、このようなものが意味があるかどうか、私は甚だ怪しいと思っていますが、そういうことはしばしば報道されます。日本の東大が決して1位でないということを、ジャーナリズムが喜んで報道している。それこそ昔の大臣が言った台詞でありますが、大学って1番とか2番とか測ることができるんですか、と私は言いたい。いろいろな特色を持った学校があって良い。この分野において1番である。しかし、この分野においては10番がいいところである。という面があっていいわけですね。それをまるで受験の偏差値であるかのように、大学ランキングなどというのを発表する。これはクレイジーだと思います。それをそのまま信じている日本人も情けないと思います。

 私が皆さんにぜひ注目してほしいと思うのは、政府の債務残高、借金の総額ですね。それが対GDPに対して占めている割合、これに関しては、私は古い情報しか持っておりませんが、IMF国際通貨基金がだいぶ前に発表した世界経済の見通しの中で、日本がその世界ランキングの中でワースト1位になっているということです。そしてこのことがごく最近IMFを通してアメリカで大きなニュースにもなったわけです。その昔のランキングで言えば第2位がスーダンでありまして、内戦にずっと苦しんでいたスーダン。そして第3位が、金融破綻でデフォルトが発生するかも知れないということで、EUからの離脱あるいは脱退を迫られたギリシャであります。そういうような国を越えて日本が1位なんですね。この1位という不名誉な値は、おそらくこの数年でさらに悪化しているに違いないと思います。

 最近もまた市場未曾有の大規模な予算が編成された、というニュースが入ってきましたが、その予算に賛成したのは、与党自民党公明党だけだと思います。もしかすると他にも同調した人がいるかもしれません。私が残念に思うのは野党、具体的な名前は言いませんけれども、本当にしっかりと物を言うべき野党も、予算のばら撒きに対して反対でないことなんですね。社会保障費あるいは社会保険・医療保険、それの補填に日本政府が一体いくら支出しているのか。これが多ければ多いほど社会福祉が豊かだという見方がありますけれども、それが本当であるのか。それが将来的に見て良いことなのかという根底的な反省をして、日々の暮らしの中でそれを何とか是正していくという個人的な努力さえも求められる。そういう段階に来ている。前に紹介した「プラン75」という映画はそういう問題を提起したいと思ったものだと思いますけれど。

 もうにっちもさっちもいかないという段階まで来ているのに、「本当に破綻するのは将来だから、もう少し今のまま行こう」という、よく言えば慎重な姿勢、悪く言えば決定を先延ばしする無責任な体質。それが日本政治の中に深く染み付いていて、その政治家の体質を補強しているのは、その政治家を選んでいる私達国民であるということ。政治家が悪いのではなく、国民があまりにも貧しいということ。そのことに私達はもっと目を向けなければいけないと思います。特に若い人が選挙で棄権することを何とも思わない、ということは本当に残念なことです。指標を作ることでさえ意味を持っている、ということを若い人には理解してほしいと思います。

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