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⏰水曜日 2025.08.20 09:38 · 7mins
言葉を正確に使うということは、日常から習慣化しないと難しいことであるのではないかと思い、しばしばテレビなどで使われる言葉に対しても、不正確な使い方に敏感になる私は少し神経質すぎると言われるかもしれませんが、今年の夏、やたらに連発されたのが、「危険な暑さ」という表現でした。
しかし、「危険な暑さ」というのは一体何なんでしょうか。ある意味で、いろんな部分が表現が省略されていて、「室外で特別の支度をせずに、労働したり生活したりすると、健康に被害を及ぼす可能性のある危険性を持つ暑さである」という意味であるのか。あるいは、「この気温が続いたならば、海の蒸散活動が活発になり、それによって雲が発生し、その雲が大地の上に届いたときに大雨を降らす。それによって、私達の日常生活が危険にさらされる」という意味の暑さなのか。「エアコンをきいた部屋で、暮らしてる人が、その自分の平凡な生活の中に、危険性が潜んでいるということに気づかなければいけない」という暑さなのか。
例えば、停電が起きたときに、エアコンを使う生活というのは、それを当たり前にしていると、もはやそれが全く成立しない世界があり得るわけですね。そのときに、他の生活方式を知らないとすれば、その人は自ら知らず知らずのうちに非常に危険な状況に追い込まれていってしまうという意味で、「危険な暑さ」という言葉も含まれるように思います。
こんなふうにして一言で「危険な暑さ」と、みんなが連呼している言葉も正確に考えてみると、本当はよくわからないんだということに気づくわけですね。このように言葉を正確に使おうとすることの中から、言葉に対して敏感になる。そして、自分自身が言葉を使うときに、その言葉を正確に使っているかどうかを、常に精密に考えるということが習慣化するのではないか。
私達は、言ってみれば、テレビや新聞などの報道の流すニュースに対して、一方的にそれを聞かされているという立場にいるわけですが、それが果たして意味のある情報であるのかどうか。その意味のある情報であるとすれば、それはどこから意味が発掘されているのか。情報のソースは一体何なのか。というようなことに関心を持つことが大切で、大きな国の首脳が会談をした。会談はうまくいった、と両方の首脳が称え合ってるというような情報を、いくら流されていても、それだけでは意味がない。その意味がないということに気がつかないということは、要するに流されている情報に、あるいはその言葉にどういう意味があるのかということを、普段考えない習慣が身についてしまっているからではないかと思うのですね。
そういう意味で、日頃から言葉の使い方に対して敏感になることが、結局は私達にとって、極めて重要な、例えば国際情勢あるいは日本の国内政治、社会状況、経済状況、そういうものを分析したりする言葉を聞くときに、その言葉に本当にどのような意味があるのかというのを考える習慣が、自然に身につくはずである。
反対に、普段言葉に対して鈍感である人は、そういうニュースを聞いても、何も感じないままである。大げさに言えば、かつて大本営発表を鵜呑みにしていた国民と同じように、発表される情報を鵜呑みにしてしまう。そういう愚かな国民にまた成り下がってしまうという危険を、私としては、老婆心ながら発信したいと思っている次第です。


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