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⏰木曜日 2025.08.14 13:21 · 8mins
最近の若い人の立場に立ってみると、つらい時代に生きているなというふうについ同情して見てしまいます。それは、例えば修士課程の2年間に、あるそれなりの成果を上げないと、その後のドクターコースの展望が開けない。あるいはドクターコースに行かずに、マスターコースだけが終わる。そういう人にとってのキャリアとして、十分な成果を上げることができない。そういう風潮があり、マスターコースの学生諸君が非常に業績を上げるということに対して、焦っているんですね。その焦る気持ちを肯定して、焦る気持ちをむしろ焦らせる方向で助言する教授たちがいるのも、困った話であると思いますが、やはりマスターコースの2年間くらいはじっくりと自分の研究生活全体を見渡して、これはと思う問題を探し当てる。そういうような、じっくりした勉強に取り組んでほしいと思うのですが、そのような大規模な研究計画では、研究成果としてまとめることがマスターの2年間ではなかなかできないという世知辛い世の中にあって、どうしても小さくまとまった研究をものにして、それをキャリアアップの材料とする。そういう発想に行く人が少なくないようで、私はとても残念に思います。
そもそも人生で一番大切なことは、あれかこれか、という選択であって、あれもこれもという、いわば贅沢なというか、甘ったれたというか、そういう曖昧な生き方は、一般には許されないわけです。論文として良い結果も出したい。しかし、しっかりとした成果を早く出したい。これは、一見すると矛盾する要求で、その矛盾した要求を調和して達成するというのは、尋常ならぬ努力を必要とするということ。これは常識なのですが、そこそこの成果もそこそこの速さで完成するというような、どっちつかずというよりは、どちらの方向も狙う。要するにあれもこれもというわがままな選択肢っていうか、自分本位の選択肢を、根本的な間違いであると思わずに、その選択肢の路線を突っ走る傾向が一般化していることは、非常に若い人にとって気の毒なことであると心から思います。
あるところでちらっと見かけた広告ですが、研究も就活もっていう、就活というのは就職活動という意味だと思いますが、研究と就職活動っていうのは、一般に両立するわけではない。特にマスターコースまでで研究を終える人たちにとって、就職活動のための研究活動というのは本当におざなりの準備期間を過ごしているに過ぎない。ドクターコースに進んで、より本格的な研究生活を実践している人であれば、就職活動などに目が向くはずがない。就職活動に目を向けているようでは、研究生活が成り立たない。こういう二律背反の世界が健全な世界であるはずなのに、就活も研究も、あるいは研究も就活もどちらを先に持ってくるかによって、力点がちょっと微妙に違うような気がしますのが、AもBもっていうふうに並べるときに、AとBの並列性に重要なポイントがあるわけで、そこの間に差があるんだったらば、AもBもという言い方はあまり正確であるとは思えないわけですね。Aも大事だけれどもBも無視したくない、という言い方をするならばともかく、AもBもっていう言い方は、AとBを並列的に目標に見据える。そういう不潔な人生観が現れていて、私は嫌な感じがするのですが、その中でとりわけ研究も就活もというのは、やはりおかしいなと思います。
研究を思い切りして、その研究生活に見切りをつけて就職活動の方に行く。そういうふうにしても、実は時間的に十分間に合うはずであるのに、実は大学院に入った頃から就職活動するというような浮ついた傾向が一般化している、という日本社会の現状を若い先生から話として聞くと、本当に我が国はこの先どういうふうになってしまうんだろうかと。これでは、まともな研究者は育つはずがないと、私などは心配になってしまうわけですね。いささかそういう一線を離れた立場から、若い人に対して元気付けると同時に、叱りつけるというようなメッセージを発信したいと思いました。


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