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内閣が変わったと思ったら、何も大きな政治的な議論をしていないのに総選挙だそうで、これを巡っていろいろな思惑が飛び交っているようですけれど、私から見ると、どの政党の人が言っている意見もあまり意味がないと思うんです。というのは、物価高対策に対して対応がとられていないという議論があるのですけれども、どういう対策があり得るのかと考えてみると、実は何もやることがないということにすぐに気がつくんですね。
そもそも物価が高いのは、例えば、円ドル相場で円安が進行している。円安が進行しているというのは、日本の国債の残高があまりにも大きすぎて、これが日本の財政を圧迫しているという海外の見方があるからで、日本は国債の利回りを上げたいと思うのだけれども、それを上げると、今度は国債の償還が間に合わないという事態になる。日本銀行としても打つ手がなく、本当に困っているんだと思うんですけれども、例えば、円安をもしかして食い止める妙案があるならば、物価の安定にずいぶん寄与するに違いないと思うんですね。
例えば原油を初めとして海外から輸入するものは安くなるわけでありますから、そういうふうにすることができるかというと、円高に誘導するためには、日本の国債の利回りを上げなければならない。そのためには日本の財政を健全化させなければいけない。財政を健全化させるというのは、予算の大多数を、大半をと言ってもいいかもしれませんが、それを国債という借金が占める非常に不健全な体質の国家運営を、根本的に改めるっていうこと以外には、私から見ると、打つ手がないのではないかと思うんです。
困っている人が多いから、その人たちのために緊急避難的にいろんなお金をばらまこうということ、これ野党も含めてこういうことを要求しているところが多いように思うのですけれども、ばら撒くお金がどこにあるのかと、そのばら撒くお金がないから国債を売って、それを買ってもらって、予算の一部にしている。そういう情けない状況にありながら、まだばら撒けという。ばら撒いた結果、それが国債の増発という形で庶民の側に回ってくることは必然的でありまして、そしてそういうふうにして、日本の財政運営が不健全な方向に行ったときに、ますますは輸入に頼る私達の生活は、物価高に苦しむことになるわけです。
私達は米を除けば食料品の大多数を輸入に頼っている。家畜は日本産だと思っている人も多いと思いますが、その家畜を養っているのは海外から輸入している家畜用の穀類であるわけで、日本産の穀類で育っている純粋の国産の家畜なんかはいないわけですね。私達は冬でも美味しいイチゴを食べることができる、そういう極楽のような生活を享受していますが、それができているのは、石油でイチゴを作っている、いわば寒い最中にボイラーを炊いて、温まった熱で温室を温め、そしてそういう中で春が来たと誤解したイチゴが冬でも花を咲かせ実をつける。それが出荷されて食卓にのっている。私達が食べているイチゴはまさに国産ですけれども、その国産のイチゴを作っている一番大事な肥料に相当する部分、それが輸入に大きく依存している。
そういう現実を知らなければならない。そういう現実を知った上で心の物価高対策を打つとすれば、それはまさに円高に国際的な市場が動くように、日本の財政が国際的に見て健全に運営されている、というふうに見てもらう以外にない。それを、国債をますます増発するようなそういう政策でしかないような節税対策、例えば節税対策というよりは税金を減らす対策を、野党は主張していると思うのですけれども、その野党はその財源をどうするのか、国債以外に財源があるのかということを私は聞きたい。
反対に与党の方は同じように発想の転換をして、積極財政でもってこの苦難を乗り切ろうというんですけれども、積極財政というのはどういうことか。大きな借金を抱えたまま、その借金に頬被りをした上で、さらに借金を重ねてバラマキを強化する。ばら撒く部分を野党の言うなりに手柄を取られる代わりに、自民党というか与党自身がばら撒きの先頭に立つということをやっている。こんな発想の転換、これが政治の選挙で問われているというふうに主張する人がいるのですけれども、私は頭がどうかしてるんじゃないかとしか思いようがない。
私達は今、とても苦しい。この苦しい中をどういうふうに乗り切っていくか。基本は我慢しかないわけですね。我慢の上にその我慢によって、痛みを生じるところ、それを最小限にするように工夫する。工夫があってしかるべきですが、我慢がないところで工夫はしようがない、ということになぜ多くの人が気がつかないのか。若者が右傾化しているといいますが、私は若者が右傾化しているのではなく、単に無知になっている愚かになっているからではないか。一言で言えば、数学を正しく勉強してないからではないか、と私なんかは手前勝手にそういうふうに考えるんですね。
物事を大局的に見て、何がいけないのかということを、それを真剣に見つめるという眼差し。これはまさしく数学的な眼差しだと私は思うのですけれども、学校教育において結局のところ、どういうふうにしたら点が取れるかという損得勘定、私は学習の経済学っていうふうに呼んでいるんですけれども、そんなものが学校を支配してしまっている。そのために、せっかくの勉強の機会をもらいながら、若者たちが勉強することの本当の意味というものを知らされないまま、学校生活を終えている。その結果、出てきたものが右傾化というやつです。
USAなどで騒がれる右傾化というのは、明らかに教養が乏しい貧しい暮らしの人々の反乱がいわゆる右傾化っていうものに繋がっているわけでありますが、日本の国民の場合、若者がそこまで貧困にさいなまれているかというと、もちろん貧しさはあるに違いありませんが、最も悲惨な貧しさは精神的な貧しさ、あるいは学問から遠ざけられることの貧しさであると私は思うんです。そしてそういうふうに遠ざけられた知性の貧困な人々によって政治が動かされているという現状に対して、若者はもっともっとしっかりと考えて行動してほしい、と心の底から願っております。


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