長岡亮介のよもやま話454「教育の難しさ:学習者と教師の視点のギャップ」

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⏰月曜日 2025.08.18 10:35 · 10mins

教育の最も厄介な点は、初めてなら学習者にとっては、学習すべき内容の全体像が全く見えていないにも関わらず、他方教える側の教師にとっては、その全体像が馬鹿くさいほど単純な姿をしてるという点にあるように思います。

特に甚だしい例として数学をとると、数学で学ぶことは、実際にわかってしまえば、本当になんてことはない些細な事柄であるわけですが、初めてそれを習う人にとっては、まさにちんぷんかんぷん、意味がわからないわけですね。その意味がわからないものに耐えて、意味がわかるまで頑張って努力するという「艱難辛苦汝を玉にす」、そういう美徳を良しとするようなタイプの人から見れば、少々我慢していれば勉強はわかるようになると言えると思います。

他方、そのような努力が何に役に立つのか、一体何を意味するのか、一体努力はそもそも何なのか。そういうことに根本的な疑問を持つ人は、そこで突っかかってしまい、とてもじゃないけど勉強する気が起きない。勉強する気が起きないと、その全体像はわかるはずがないわけですね。

勉強の全体像がわかるように、最初に先生が示せばいいじゃないかと思う皆さんもいらっしゃるかもしれませんが、実は勉強の全体像はわかってみれば、なんだ、たったこれだけの事だったのかというほど単純なことであるのに、わからない人にとって、その全体像を別の言葉で説明する、その説明を通して理解するということは、絶望的に難しいことなんですね。

実際に検定教科書のようなものには、数学的なエッセンスが凝縮してきちっと書かれているはずであるわけですが、私達数学を専門にする人間から見ると、そこに書いてあることは嘘ばっかり。大げさに言えばそういうことなんですね。丁寧に説明しなければいけないところを、丁寧な説明を省いたり、あるいは詳しく説明する意味がないところで、やたらに詳しい説明があったり、非常にバランスが悪い。このバランスが悪いものが教科書として標準的な本として与えられる。

これが勉強をつまらなくしている最大の理由なのですが、実は学校教育というのは、教科書というものを規範的な教材として使うということが義務付けられている。そして、その規範的な教材である教科書が、資本主義経済のもとでは、子供たちをよりよく理解させるために、あるいは子供たちをより賢くするために作られるというよりは、教科書の制作会社がたくさん売れるように、したがって儲かるように、教材の善し悪しがどうせ判定することもできない先生や生徒が使うんだから、そのユーザーが満足するように作る。こういうふうにして作られているわけです。

顧客の満足を最大にすること、これが一番いいことであるというふうに思われておりますが、一般の世界ではそうかもしれませんが、少なくとも教育に関しては、一般のユーザーという学習者と教師、その人たちが満足する教科書が理想的とは言えないのが、厄介な問題なんですね。この問題の厄介さについては、ほとんど今まで言われてきたことがなかったと思います。数学の場合、それが典型的でありますが、他科目に関しても、同様の限界はあるのだと思います。

教科書というものを使って教育するという、この学校教育の標準スタイルそのものが、実は学校教育をものすごく硬直化し、結果として、学習者にとって面白くないものにしている最大の理由なんだと思います。「良い教科書を作れば、楽しい授業、よりわかる授業、より良い授業、より納得のいく授業が展開できるはずだ」というふうに私が言ってるわけでは決してありませんから、注意してください。

しっかり書かれた教科書というのを読破するのは、平凡な教科書を読むよりも遥かに難しい。ですからそういうようなしっかり書かれたものは、一般に市場では歓迎されないという現実があるわけです。市場経済のもとでは、結局顧客の満足によって、いわば理想の教科書のようなものまで姿形が決まってしまう。そのことに大きな限界があるということに多くの人が気がつかなければなりません。このことに気づかないと、単に教科書が詳しく書かれていれば、それだけで理想の教科書になると思ったり、あるいは簡単な記述でわかりやすく演出する教科書が素晴らしいと思っていれば、そういう教科書をもって、理想の教科書だと思ってしまう。

という具合で、教科書に関しては理想像というものを簡単に語ることがそもそもできない。それが市場経済という私達の社会的な仕組みの中で、いわばがんじがらめの拘束条件と言ってもいいと思いますが、そういう中にあって、よりよい教科書というものは作られることが阻まれていることを、今回のお話では主題といたしました。

大学になりますと、教科書の持つ問題点はまた別問題があり、大学の教科書だからいいっていうわけにはなかなかいかないのですが、高等学校以下の教科書に比べると、大学の教科書の方が一般に、そういう市場経済の持つ弊害からは自由になってると言えますが、今時は大学の教科書といっても、市場経済の嵐の中にあるという現実がありますので、楽観は許されないと思います。

でも、ともかく小学校から中学・高等学校という、いわば半ば義務教育、あるいはセミ義務教育という範囲の教育が、教科書を中心としてなされるということに伴う難しさ、困難が、常に深くあるということに気づくことがとても大切なことであると思います。

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