長岡亮介のよもやま話450「教育内容の単純さと教師のマンネリ化が教育問題を難しくする」

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⏰日曜日 2025.08.17 04:27 · 7mins

教育問題を論ずる上での難しさの第2に挙げられるのは、教育される内容、教科の内容が実はあまりにも単純で、専門家となるのに、大変に容易である。つまり、新任の教師でも、3年もたてば、その教科のベテランになってしまうということです。ベテランになるというのは、ちょっと表現が良すぎて、実はもっと正確に言えば、「マンネリになる」というふうに言ってもいいと思うんです。何を教えるべきかということについて、全体が頭に入って、それを毎日、平々凡々と繰り返す。そういうことで、教師が務まるというふうに思ってしまう。これはひどい誤解なんですが、そういう誤解があまねく蔓延している。これが教育問題を難しくする第2の視点だと思います。

つまり、学校で教わるような内容というのは、それを数年でも経験したことのある人間にとっては、実はマンネリズムから脱することが難しいくらい、簡単なことであるということですね。勉強は難しいと信じている人にとって、勉強が実はマンネリで済むっていうくらい簡単なことであるということは、ちょっとショッキングかもしれません。しかしながら、実は学校で教えることというのは所詮学校で教えることでしかないので、それをマスターすることは、決して難しいことではないということです。

そして、難しいことでない学校教育の内容をマスターして、それをさも自分が名人であるかのごとく振舞って、生徒の前で堂々と教える。これがベテランであるとすれば、ベテランというのは、真になりやすい最も堕落しやすい状況の一つと言っていいかと思います。教師は、常に新しい生徒に対して、新しい感動を持って授業をする。そういう清新さがないといけないと思うのですが、そういう清新さ、心の新鮮さをもって、教育に望むことのできる教師は非常に少ない。

なぜそれが難しいかというと、実は教科の内容そのものを繰り返しだけだと、とてもじゃないけれども清新さが要求されるような教科内容ではないという現実があるからです。誰でも3年もやれば、ベテランになるという程度の教科内容でしかない。それを10年も20年も、場合によっては30年以上にもわたって続けるということは、これはよほどの精神的なタフさがなければならないことで、精神的なタフさと言いましたけど、精神のフレキシビリティ、弾力性と言ってもいいと思うんです。毎年毎年新しい生徒がやってくる。その生徒に合わせて、新鮮な気持ちで教科に取り組む。こういう教師の心構えが何より大切で、それは単なる心構えではなくて、実は学問的な教養、それまでに身につけておかなければいけない勉強というものの基本であるわけですが、その勉強の基本ができている教師は、残念ながら少数であるわけですね。

というわけで、容易に目の当たりにすることのできる周辺の教師は、そういう堕落した教育を漫然と繰り返す。そういう尊敬できない人物になりがちであるという問題が、構造的な問題として第2に挙げられると思います。このマンネリズムからいかに脱するか。これは非常に難しいことなんですが、本当にいい先生というのは決してマンネリズムに陥るわけではないということを述べて、そのためのノウハウは一体何なのかということについては、また別にお話いたしましょう。

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