長岡亮介のよもやま話445「年長者の経験に基づく表現の重みを問う」

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⏰水曜日 2025.08.13 14:53 · 5mins

最近お天気が大変に不順というより荒れている状況を描写するのに、「経験したことのない雨量」というような表現が使われるのですけれど、私はとても違和感を感じます。昔かわいい水泳選手がオリンピックで優勝したときに、「生まれてきて一番嬉しい」というような表現をして、それは大いにかわいらしく感じたものですが、生まれてきて、これまでの中で一番と言っても、その子は生まれてきてからは、せいぜい10数年しか経ってないわけですから、生まれてきてからという表現は、やはり奇妙なものであったわけです。

年をとった年長の方が、「今まで生まれてきてからこんなことはなかった」という表現をするときには、それなりの重みがあるということは理解しつつ、天気予報あるいは天気の状況に関して言えば、人間はせいぜい70年とか80年、あるいは100年しか生きていないわけですから、生まれてから未経験のことに遭遇することは自然現象ではいくらでもあり得ることであるわけですね。

私達が生まれてきてからのいわゆる経験で物事を判断するというときに、その経験の長さで判断して良いことと、経験の長さでは判断すべきでないこと、それを区別できていないような気がして、私は最近テレビなどの報道でしばしば天気予報士という人が使う「未経験の、生まれてきてから体験したことないような」という表現が、その緊張の度合いを表現しようとして使われていることは理解しつつ、その甚だ不適当であると、感じざるを得ません。

自然を相手にするときには、私達は通常は10万年単位くらいを最小の単位として、考えなければならないわけでありまして、数百年を単位として考えること自身が馬鹿げたことであるわけです。「人間の生きている人生の長さと、自然現象のやってくる繰り返しの長さとの間に、決定的な違いがある」ということを私達はともすれば、忘れているのではないかと思い、現代人の傲慢を、私はそこに感じてしまいます。私は少し大げさなのでしょうかね。

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