長岡亮介のよもやま話442「薬剤師の社会的地位向上を目指した医薬分業の課題」

 最近は毎日のように病院に通う、本当に金を食う老人の代表のように過ごしている私でありますが、病院に行くたびにおかしいと感ずることがいっぱいあります。今日はその中で、いわゆる薬の問題についてお話しましょう。

 医薬分業、医療と薬剤師のような仕事を分業するという政策が決まってから、もうずいぶん時間が経っているのですけれども、これは医師と同じように薬剤師の生活と社会的なプレステージを確立するという野心のもとに行われたものであることは疑いないでしょう。しかし、その政治的な野心あるいは行政的な野心が、実現するように行政が行われているかというと、全くそうではなくて、処方箋薬局といえども、基本的に医師の書いた処方箋通りに薬を棚から取ってきて整理して出すという、そういう機械的な仕事を委ねられているだけで、処方箋薬局を利用して薬をもらう人々の本当にたった1%の人でも、これが「医師による処方箋を創造的な視野から、あるいは批判的な視野からチェックして、薬を出しているのは処方箋薬局の仕事である」と考えている人は、本当にいないと思うのですね。1%もいない。

 実際問題として、それによって、医薬品の単価が下がっているかというと、必ずしもそうではない。行政ができることだと言えば、「ジェネリックの薬をできるだけ使うように推奨せよ」というような行政指導のくらいであります。それでいて私がちょっと頭にくると思うのは、私はたまたま昨日眼科に行ったんですが、眼科に行けば必ず眼科が出す薬というのがあるんですね。眼科が出す薬は、眼科で持ち、購入することができれば、ずいぶん手軽に手に入るのに、わざわざそれを別の処方箋薬局に処方箋を持っていって出してもらう。その手間を患者にかけさせるっていうことに対して、どういうメリットを皆さんは感じているのか。行政はそれに対してどういう責任を負っているのか。誰も物事を考えず、本当に常識的なストーリー、それが常識的に行われると勝手に解釈して、新しい行政の方針を作っているだけではないか、と思うんですね。

 医薬分業を徹底して行うことで、これが本当に患者や医師のためになるとすれば、多くの医師によって処方された薬の中に重複して服用することによって問題が発生する薬、そういう可能性が排除されることがあると思いますが、そのように機能しているとは私には到底思えません。むしろ、100%に近い人々の手間を増やしている。そして、処方箋薬局という、あまり創造性のない仕事にわざわざ薬学部を出た人が、薬剤師として配置されなければならない。よく言えば、薬学部の卒業生の就職あっせん業になっているのかもしれません。

 薬学部を出た人たちはそんな簡単な仕事を期待されているんではありませんよね。薬の開発というのは非常に高度な先進的な科学の筈です。そのような科学を修めた人によって、日本の製薬業界を含めて、医療業界が知的になっていくということがとても大切なことであると思うのに、実際にはせっかくの薬学部を出ながら、処方箋薬局の薬剤師をやっているのか、という情けない仕事を押し付けているだけのように、私には見えるのですが、これは私の偏見なのでしょうか?

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