長岡亮介のよもやま話441「政府備蓄米放出の背景を探る – 米不作の影響は限定的か」

 本日は、私の記憶によれば、数十年前に古米とか古古米というふうに呼ばれていた政府の備蓄米の市場への放出を巡るニュースがやたら大きく駆け巡っているのですが、現在そのような危機的な状況が生まれているのはなぜかということを私なりに考えると、その根拠がどうしてもおかしいというふうに感ずるからであります。

 そもそも米が取れなくなってしまったのか。米がえらく不作で、不況の夏であったのかというと、私の知る限り、そんなことはほとんどない。多少の農産物への影響が、猛暑の夏であったとしても、野菜や果物に与える影響ほど大きなものが米の生産にあったとは私の知る限りはないわけです。それにも関わらず、このような事態、混乱と言っていいような事態が生まれているのはなぜかと言えば、要するに、ギリギリに調整してきた政府の米の管理システムが破綻して、破綻した管理システムに付け込むかのように利益を確保しようとする勢力がうごめいているということの結果なんだと思うんですね。

 利益を求めて活動することが資本主義の原理なのですから、利益を求めて活動する人たちを、そのこと自身を非難することはおかしなことであると思うんです。むしろそのような活動が可能になっている現在のシステム自身がおかしい、というふうに考えるべきで、要するに、政府が政府の力でもって、米の生産を管理するということをずっとやってきた。一時は米を作らない、減反するということに対しては補助金をばらまいてきた。米を作らなくなったらば米を作ったのと同じようなお金を払いますよ、とこんな馬鹿な政策を国はとってきたわけです。そして米余りという状況が生まれないように一生懸命コントロールしてきたと言えましょう。

 今でも私は米が本当に足りなくなっているとは信じられないんですね。なぜかっていうと、食生活もずいぶん変化してきて私自身もかつてのようにお米をたくさん食べるという生活ではなくなってきてます。美味しいお米をほんの僅か食べればそれで十分、という年齢に達しているわけですね。そういう人たちが決して少なくない。少子高齢化ということが言われますが、食べ盛りの子供がわんさかいて、米をいくら作っても足りないって、そういうような時代とは全く状況が違うわけです。

 海外に米が売れるようになった、だから米は国内で足りなくなるんだという議論をする人がいますが、ちゃんとした統計的な数値を出して検討して欲しいですね。そんなに海外で売れるほど、日本の米が国際的な市場で圧倒的な強さを持っているか。こういうことを言うと叱られそうですが、私はアメリカのカリフォルニアでお米を食べたときに、カリフォルニアの昔の話でありますが、ローズブレッド、ローズ米、薔薇米という名前のついたお米は日本のお米にそっくりで本当に美味しいなっていうふうに思いました。そのようなお米が日本で考えるとありえないような金額で手に入るわけでありますね。

 日本はアメリカの関税に対して、いろいろとびっくりしたというような報道をしていますが、日本が米に関してかけている関税、あるいは砂糖に対してかけている関税がどれほど巨額なものであるかということをちょっと調べてみれば、どこの国も自分の国内産業を守るために関税というのをかけているわけです。しかし、関税としてかかった分は決して相手国に対して、輸出国に対してかかってるんではなくて、実はそれを国内で消費する人に対してかかってる。私達が米に対して、あるいは牛肉に対して、かかっている関税を払っているからこそ、外国の商品を食べることができるわけですね。それは外国で食べるよりも遥かに高い金額であるわけです。関税というのはそういうものをだと思うんですね。

 砂糖に関しても、日本の砂糖は世界の国債価格のおそらく10倍ぐらい、米も10倍くらいであると私は思いますが、そういう中にあって日本の米が自給率100%を目指すために、農業の唯一の生産物と言っていい米を外国から守らなければいけないといって、関税をかけてきたわけですが、それだけ関税で守られてきた米が、海外との米のいわば流通の戦争で、あまりにも高い人気を占めているために、国内消費分が足らなくなるというような事態が生まれるはずがない、と私は思うんですね。

 私は日本の米が大好きで美味しいと思いますし、特に日本の米で作った日本酒は美味しいと思いますが、それゆえに、米が足りなくなるという事態が深刻化していて、特にお酒を作る専用の酒蔵米が手に入らなくなる農家が出てきているという事態は極めて深刻であると思います。どっかで米の流通を妨げて利益を得ている人たちが、残念ながらいるということ、みんなが困ることを御承知でやり、その事で利益を得ている人がいるということであると思うんですね。

 米の問題に関して世間でいろいろと話が出ていますけど、国が管理している、昔の言い方をすれば古いお米、さらに古くなった古古米、昔は本当に売ることができなかったようなお米であります。それを市場に放出して、それで価格を冷やすというような一時的な措置がずいぶんマスコミを賑わせていますけれども、私自身はそれは事柄の本質的な解決とは全く関係ない、緊急避難的な施策にすぎない、と考えています。

 そのことはほとんど常識ではないかと思うのですが、これを聞いている若い人たちの中には、古米とか、古古米という表現さえ知らない方も多いかと思いまして、ちょっとそのお話をいたしました。そして、今話題となっているもっと大きな問題である、いわゆる関税の問題についても、ちょっと考えていただきたいと思って、話題として取り上げました。

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