長岡亮介のよもやま話437「美意識を磨く教養を本当に身につけるには安直な方法に頼らないことが大切!数学も同じ」

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 数学者の悪い癖で、数学者はしばしば「数学で一番大切なのは、数学的な美だ。」とそういうふうに軽はずみに発言します。美という言葉を言われた途端に、その数学が美しいと思わない人にとっては、数学は疎遠な世界になってしまうんですね。私はそのことに、もう少し数学者は心を配った方が良いのではないかと思っています。というのは、音楽的な美、あるいは絵画的な美、彫刻的な美、建築的な美、様々な美に私達は囲まれているわけですが、その筋の専門の人にこの美がわかりますかと言われたときに、ちょっとピンとこないと正直に答えなければならないような場面、ありますよね。それが特に前衛的な芸術であると、前衛的な絵画、前衛的な彫刻あるいは前衛的な建築、前衛的な音楽、前衛的なもの何でもすごく難しいんですね。前衛的なものは誕生するまでの歴史、それを知っていると比較的わかりやすいのですが、いきなり前衛的なものを見せられると音楽にしろ、絵画にしろ、建築にしろ、彫刻にしろ、やっぱりちょっとひるんでしまうところがある。古典的なものの方がわかりやすいということは一般に言えます。数学に関しても、言ってみれば、古典的な数学あるいは古代の数学、その数学の中にある面白さ、それを語ると、おそらく多くの人が感動してくれるのではないかと思うのですが。それが前衛的なという言葉は数学では使えません。現代的なっていうふうに言います。現代的な数学の美しさ、それについて語られたときに、それはちょうど前衛的な芸術の美について語られたのと同じような当惑を人々が感ずるとしても、それは不思議ではないということです。

 では、現代的なる美も含めて、それが理解できるようになるためにはどうすればいいか。多くの人はそのためのハウツーあるいはノウハウがあると信じているようですが、実は私に言わせると、どんな芸術にせよ数学にせよ、その美の世界がわかるためには、それなりに努力が必要で、あるいは手間暇が必要、コストがかかるということです。数学の場合で言えば、自分自身が数学と付き合う時間というコスト、あるいは必死に考えるという努力のコストそれが不可欠なわけです。しかしながら、そのコストを払った人は、そのコストに見合うだけのものが取れる。コストと正比例するというわけではありませんけど、やはりコストを払ってこそその良さがわかるということ、これは数学の美に限らず全ての芸術においても言えるわけです。私はずっと理解できなかったのですが、クラシック名曲100選、例えばそういうようなもの、これが売れるということは、ちょっと私としては信じられないことで、名曲100曲というのをてんでバラバラに聞いたら、全然面白くないと私は思う。その中に展開される歴史的なストーリー、それがわからなければ意味がないと思うのですが、そういうことからしてしっかりと勉強するという暇はない、とりあえずクラシック音楽に関する素養を身につけたいそういうふうに思ってしまう人が少なくないらしいのです。少なくないらしいのですというふうに、ちょっと無責任な言い方をしたのは、ごく最近どうもそのように考えている人がいるんだということを直に話を聞きまして、「それではなかなかクラシックの世界には入っていけないような」とそういうふうに思いました。一般に、何とか百選っていうのは、文学で言えばリーダーズダイジェストでストーリーを追う、手短にまとめて何となく全体がわかった気になるそういうものを読んで、名作に触れたと勘違いするのと同じで、大きな勘違い。つまり、コストを払いながらコストを回収することができない、馬鹿くさい投資をしているということなのです。本当は音楽にせよ、あるいは美術にせよ、そういうコストをですね、正しく、順当に支払うべきであるわけです。順当にコストを支払うのは、最初は高いものについているそういうふうに思うかもしれません。しかしながら、私はそのように自分自身に教養のためのコストをかけるっていうことによって、十分ゲインがある。それを簡単に名曲100選というふうに言われた途端につまらないもの、文学で言えばリーダーズダイジェストを読む、そういうようなものになってしまうということに注意していただきたいと思うのです。

 つまり、昔から言う安物買いの銭失いではありませんけれども、やはり、芸術にせよ数学にせよ、本物に出会うということが何より大切だと思うのです。そのことによって美意識というのは自然に磨かれるということですね。コストを払っているときには馬鹿くさいコストに思えてしまう。しかし、それは決してそうではないということを、お話したいと思うのです。特に何を聞いたらいいかわからない。本当にクラシック音楽って言われているものは、本当にたくさんあるわけですから、とてもじゃないけど全部体系的に聞くことなどできっこありません。そういう方にとって、何でもいいですから、自分の尊敬する人が、これはとてもいいよ、そういうレコードあるいはCDを勧めてもらったら、それを何回でも何回でも聞くということ、これを出発点とするばいいんじゃないでしょうか。たった1曲でいい、でも本当に素晴らしい曲の素晴らしい演奏、それに触れてほしい。そのことによって、皆さんの音楽に対する美意識っていうのが、知らない間に磨かれているんですね。本物と出会うということがとても大切なことです。数学においてもそうなんですが、数学における本物とは何か、これは普通の芸術を語るよりも、ちょっと複雑になりますから、ここでは省かせてください。でも、ともかく本物との出会い、たった1つ、たった2つ、たった3つ、それで構わないから、何回も何回も聞いて、その素晴らしさに自分の目が開かれる、そういう経験を積んでほしいと私は願っています。そのコストは、やがてちゃんとした投資効果を結ぶものだと私は自分の経験から強く思っています。インチキなものに流されてはいけない。安直なものは所詮、安直な成果にしか結びつかないということを忘れないでいただきたいと願います。

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