長岡亮介のよもやま話432「一番良い勉強法?」

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 若い人と話をしていて、私はなかなか若い人の言っている意味がわからず、何を考えているのか考えあぐねている状況が続いたのですが、中間世代の人から解説を聞いて、そういうことだったのかと気づいたことがありました。そのことについて、ちょっと私が感じたことをお話したいと思います。

 要するに、若い人が「何か学ばなければいけない。勉強しなければいけない」ということは強く感じているようなのですが、勉強しなければいけないのはなぜか。そもそも勉強するとはどういうことかということについては、全く考えたことがない。勉強の仕方も含めて、そういう一番良いやり方、勉強なら勉強の仕方がある。そういうふうに思っているので、その「勉強の仕方についての勉強のガイドが欲しい」という話のようだったのです。昔から「人間は一生勉強だ」というようなことは、学問のない人でもよく口にしていました。現代でも職人さんの多くが、あるいはスポーツ選手の多くが、決して机に向かってする勉強ではないけれども、「生涯、勉強だ」というような言い方をする場面によく遭遇します。「勉強する」ということの定義は、同じでないかもしれませんが、少なくともそれぞれの人にとって、自分が新しい自分自身を発見するという行為、それを「勉強」と言っているんではないかと私は思うんですね。昔の自分、あるいは昨日までの自分と違う新しい自分を発見する。自分自身を発見するということは、別の言い方をすれば、世界が別の見え方をしてくるということです。昨日まで見ていた風景が、昨日までとは違った新しい鮮烈な印象を持って目に入ってくる。そういう「今日」に出会うときに、人が勉強するっていうんではないかと思うんですね。

 勉強するということは人に習うこということよりは、自分自身で発見することであると思いますが、人間はいかんせん1人で全てを発見するなんてことできるはずがないわけで、当然先達からこれはこういうふうにすると良いと。例えば包丁の研ぎ方一つにとっても、あるいは包丁を使って肉や魚をさばくという技一つにしても、やはり先輩から学ぶ。先輩の技を見て、それを見様見真似して真似をする。そして、その技をいつの日か体得する。そういうような勉強が続くんだと思います。

 若い人の話を聞いていて、ようやく私がわかったことは、今の若い人は勉強の仕方についてそれぞれの専門家から一番良い勉強の仕方を指導してもらうことができる。そういうふうに考えているみたいなんですね。勉強の仕方を教えてくれる人が先生だ。ある意味でとても正しい判断だと思うんです。勉強というのは知識の伝達だと思っている人からすれば、勉強は知識の伝達ではなく、知識を獲得するスタイルあるいは獲得する方法を学び取ることだ。そういうふうに理解している方が勉強について、よりその本質に接近していると私も思いますけれど、一方で、そのような意味での「勉強の仕方」というのについて、「こういうふうにするといいんだ。これが正しい勉強法だというものがある」というのはとんでもない間違いで、「こんな勉強の仕方をしていては駄目だ」とか、「そのような態度では勉強が身に付かない」とかということは言えますが、数学の勉強法とか英語の勉強法とか、漢字の勉強法とか、それぞれ事細かに言えば、そのマニュアル的に勉強法を箇条書き的に述べることができるかもしれませんが、本当に大切なことはそれではないですよね。

 漢字の書き順を正しく覚える。そのためには、書道を通して漢字というものはどのようにして作られているかということを体得すること、それがとても大切だと思いますが、書き順を覚える。それをしっかりしてさえいれば、漢字のことについて詳しくわかるというわけではない。漢字を使いこなすためには、漢字一文字一文字の持つ背景的な意味も含めて深い理解が必要でありますが、それと同時に、そのような漢字を通して、人々が開拓してきた概念の豊かな世界。その背景的な世界を知ることってとても大切でありますね。そのような、例えば背景的な知識を知る方法があるか、そのマニュアルがあるかというと、そんな簡単なもので言えるはずがない。だからこそ勉強は楽しいし、勉強は難しいわけでありますが、どうもそのような方法があると信じているのではないかと、私は結論するに至りました。人生においても何においても一番良いやり方が一つあって、それに倣ってやることが一番良い方法だという。これはほとんど新興宗教のレベルの、現世ご利益的な宗教と言ってもいいような確信だと思いますが、私は、現在の青年の中にそのような狂信的な宗教のような思想が蔓延っているのだとすれば、それはとんでもない間違いだと思います。

 勉強はやはり、一人ずつそれぞれの場面で一生懸命努力するということ。それに尽きると言ってもいいくらいで、その後の様々な工夫というのは、本当にそれぞれ場面場面に応じていろいろありうる。それを10カ条のように抜き出すというようなことが、そもそもナンセンスでありますし、それをある専門の人からプロフェッショナルのやり方で、学ぶ。その方法知っていれば何とかなると信ずることが、そもそも大きな間違いだ。自分の間違いに気がついて目が覚めない限り、結局その人が自分自身の勉強に向けて確信を持って足を踏み出すということは、永遠にできないだろう。「永遠に」と言いましたが、人間はもちろんに永遠に生きるわけではありません。でも少なくとも20歳以下の段階でそういう認識に到達することができない人が成人してしまったら、大人になってからその認識を得ることはもっと難しいことではないか、と私は思っています。だからこそ、学校において、幼稚なうちに、初々しい精神のうちに、学ぶということの喜びと苦しみ、涙と誇り、それをしっかりと体験してほしいと願っています。

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