長岡亮介のよもやま話419「『学歴社会だって?!』ーー歴史を学ぶ意義」

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 「日本は未だに学歴社会だ」と思っている人が、結構いますね。良い学校を出て、良い同級生にあるいは同窓生に囲まれることによって、人生が切り開かれる。これが学歴社会であります。かつての東京帝国大学を初めとする帝国大学、未だに7帝大というような言い方をする間違いが多く存在しますけれども、旧7帝大というのは、もう廃止されて存在しない。無くなってしまっているわけです。帝国大学は全て廃止された。これが、GHQによる教育改革の大きな目玉でありました。なぜGHQが7帝大を解体したか。それは7帝大と言われる非常に数少ない大学の卒業生たちによって、行政のトップいわゆる高級官僚という人たちがほとんど占められ、そしてその高級官僚が天下りするような民間企業、といっても当時は財閥企業といった方がいいんですが、そのトップが全て占められている。そういうような状況のもとに、日本の軍国主義が育ったに違いないというGHQの分析に基づいて、帝国大学というのは全て廃止されたわけです。かつての帝国大学のあった敷地に、同じように大学ができています。東京大学とか、名古屋大学とか大阪大学とかあります。敷地は同じですけれども、組織としては全く異なるわけです。それが、敷地が同じであるために、東京帝国大学が新しい大学として名乗り始めたのは東京大学であるとそう誤解している人が多くいる。

 そして、戦後しばらくの間は、当然のことながら庶民の間にもそのような誤解が一般的であったんだと思います。実際に帝国大学はいろんな意味で、特権的な地位を占めてきたわけですね。帝国大学に限らず文科省によって選ばれたいくつかの大学、昔は1期校、2期校って、国立大学を受験するには2回チャンスがあって、1期、2期とわかれていた。その1期校と2期校の間に、1期校というのはしばしばかつての帝国大学の流れを踏むような大きな大学、帝国大学以外にも当時専門学校から大学に昇格した職業学校でありますけれども、職業学校などはエリート大学、東京工業大学とか、一橋大学のような大学、その他多くの有力大学が属していた。そしてふざけた話でありますが、文科省が建物を作るときの設置基準、1平米当たりいくらの予算をつけるという建物の予算に1期校予算、2期校予算という差別があったくらい、言ってみれば1期校と2期校の間に、区別があったわけです。地方大学を一括される大学の中には、そのような差別の中で頑張ってきた大学もあるわけで、かつての東京医科歯科大学、これは最近東京工業大学と一緒になって名前がとんでもない学校に変わるという話になっておりますが、そういう有名な有力な大学、大学の受験生で言えば、1期校の下の大学よりはよほどレベルが高いと言われる大学がいくつかあるんですね。横浜国立大学とか、東京医科歯科大学と今述べた大学、そういう2期校の中にも、2期校の差別をはねのけて、2期校ならではの特色を出して頑張っていた大学もあったわけです。

 しかし、「1期校2期校というような差別というか区別というのを、国が率先してやるということを止めなければならない」という当たり前の行政の流れの中で、その区別が薄れていった。その薄れていく大きなきっかけの一つは、共通1次試験という試験によって、国立大学が全て共通の試験をやる。それが最初に開始されると私が聞いたときには、なんと馬鹿げたことであるかと。東京大学に行って原子力の研究をするという人と、東京芸大に行ってバイオリンの専門に行くっていう人が同じ数学の試験で、選別されるというようなこと。実際には選別されるということじゃなくて、0点を取らなければいいという程度の試験なんですけれど、そんなことが為なされるということは、実に愚かなことであると私自身は思っておりました。共通1次試験というような制度を敷いていくという大きな行政の流れの中に、1期校2期校の差別をやめるということがあったんですね。

 1期校と2期校の差別あるいは区別がなくなるということは、何を意味していただろうか。多くの人が、そのことの意味を理解してなかったと思うんですが、実は学歴社会が崩壊していくということ、それを意味していたわけです。1期校の卒業生であろうと、2期校の卒業生であろうと、もっと正確に言えば、1期校でも2期校でも有名な大学の卒業生は有名大学の卒業生として扱われていたわけでありますから、そういうなんていうか社会の潜在意識下の学歴社会はあったかも知れませんけれども、実際は名目的にどこどこの大学の卒業をした人ならば、何年卒業でどこどこの行政職について、何級何号俸の職に就く。三流官庁であれば課長くらいになるだろうが、一流官庁であれば係長がいいところであるというような役所間の中での学歴社会、そんなものも隠然と戦後になっても生きていたわけであります。

 GHQは表面的な改革に関しては画期的なことをやりましたが、日本人の心の内側に潜む古くからの風習あるいは風土というもの、そのものにまでメスを入れるということはできなかったわけです。しかしながら、帝国大学というのは廃止された。それによって、高級官僚への道あるいは高級な管理職への学歴による道というのは途絶えたはずなんですね。しかし、庶民の心の中に隠然として残った学歴社会というのがありまして、それは制度としては全く存在しない。東京大学を出たから、あるいは京都大学を出たからといって特別待遇を受けるということは、制度上一切なくなったという社会が続いてきたわけでありますが、その制度もさすがに戦後20年あるいは25年経つ中で、そういう戦後の制度の中で、大学を卒業し社会に出てきた人たちがだんだんだんだん社会の中で多数を占めるという時代になってきて、もう学歴社会というものが意味を持たなくなった。つまり、例えば帝国大学を出ているということを言っても、帝国大学の中での差別がものすごくはっきりあって、どこどこ帝国大学の流れを汲むある大学は優秀だけど、あの帝国大学はもう廃れた。そういうような旧帝国大学の流れをくむ大学の中での、言ってみれば、実質的な実力の差が無視できないほど大きくなってくる。それが教授たちのレベルの差あるいは研究レベルの差という以上に、学生間のレベルの差といういわば実態として、そういうレベルの差というのが崩壊していく。そういう時代を迎えるわけです。

 私のざっくりした見積もりでは、大体戦後25年当たりということであると思いますが、折しも開始される共通1次試験というような制度的な改革、それも相まって、国が率先して、国立大学の言ってみれば特権的なプレステージっていうか特権的な地位を自ら放棄するというような方向で、国立の共通試験という制度がセンター試験というのに変わったというのは、要するに国立大学と私立大学の差をなくしていこうという趣旨でありまして、大学の水平化というのが、GHQによって制度的にきちっとなされたときから約4半世紀あるいはもう少しの時間を経て、国民の間で次第にそのGHQの改革が意味を持つ社会になって来るわけです。私が言った25年というのが短すぎるという考え方をする人であれば、戦後半世紀といってもいいかもしれません。戦後4半世紀から半世紀、25年から50年を経て、GHQによる日本の学制改革というのは、本格的に日本に定着する時代がやってきたんですね。

 皆さんはそのことに気づいていらっしゃらないのではないでしょうか。日本にはまだ学歴社会があると思われていますが、もう学歴社会は崩壊しているんです。例えば、国家公務員上級試験かつての高級官僚の登竜門でありますけども、高級官僚になる人たちは決して東京大学法学部の出身者が多数を占めているわけではありません。もう既に私立大学の出身者が、公務員の上級試験の合格者の多数を占めるようになってきている。多くの馬鹿な私立大学の中には、うちの卒業生の中から国家公務員になる人たちがこんなにも出てきたというのを自慢げにしている人たちがいますけど、実は国家公務員上級職これがエリート職でなくなったという時代が来たっていうことなんですね。日本の戦前から続いてきた暗然と、あるいは隠然と続いてきた日本社会が完全に戦後の社会に突入した。戦後4半世紀とか半世紀という時代を、私は何でもって言っているかというと、社会の中で中心的な役割を占めている人が、社会の中で中心を占める勢力でなくなってくる、過半数を割ってくる少数派になってくるという時代。および戦前を知らなかった人たちが、社会の中で大多数を占めるようになってきた時代。これが私が言う4半世紀あるいは半世紀という言葉の数学的な根拠であるわけですが、このことを通じてもはや戦前がなくなってくる。戦前の日本社会というのが内側から崩壊する。そういう時代になってきているわけです。

 そのことを象徴する言葉がありまして、私は当時意味を理解してなかったんですが、4大卒っていう言い方が、流行だした時代があります。4年制大学卒業という意味なんですね。短大卒と4年制大学の間に区別はあるけど、4年制大学は4年制大学として区別しないという言い方であります。これは、もし戦前の学歴社会を知っている人が聞けばびっくりする話です。全ての4年制大学が、卒業生として同じ資格を持つ。こんなことは普通は考えられることではない。これが学歴社会であるんですが、学歴社会というのが完全に崩壊した社会、どの4年制大学であっても、卒業生は全部等しく平等に扱われるという社会。こんな社会はアメリカにもないわけですが、日本においてGHQによる大学水平化という厳しい占領政策、日本を二度とエリート社会にしないという占領軍の政策が本当に実を結ぶ時代が来たわけです。

 そんな時代になってきているにもかかわらず、時代の変化を感じてない人々がいる。これは驚くべきことで、日本人の歴史観の貧困さと言うべき非常に深刻な事態であると思うんです。私達は一般に、歴史に関してものをあんまり真剣に考えない。中学校や小学校で教える歴史っていうのは年号と事件の名前、あるいは戦争と年号、あるいは戦争で活躍した将軍の名前を暗記させるだけなんですね。例えば日清・日露、誰でも知っている戦争の名前ですが、その戦争が何で日本が奇跡的に勝利するのか、その奇跡的な勝利の背景にどんな奇跡でない隠れた必然があったのか、ということを教えることはほとんどありません。日本人が知っている日清・日露戦争は、そこで活躍した英雄的な軍人の物語のような軽薄な戦争物語だけと言っていいでしょう。せいぜい日本人が知っているのは、森鴎外が米にこだわったために、かっけのために戦争の被害者として亡くなる軍人よりも病気で死ぬ軍人の方が多かったというような、戦争秘話というものが結構有名ですが、もっともっと本質的に重要な、「なぜ日本は奇跡的にあり得ない勝利に恵まれたか。その恵まれたことによって、それが日本にとって決して恵まれた運命とならなかった。大きな不幸の出発点となった」というようなことについて、日本人は全く理解していませんね。私はそれをとっても悲しく思いますが、日本の歴史教育がもう少しまともな歴史教育、別に日清・日露じゃなくてもいいです。大化の改新に一個取っても結構です。そういう古いものであっても、その古いものの中にどのような必然があり、どのような偶然があり、その偶然と必然が混じり合うことによって、いかなる日本の古代史の展開があったのか。その古代史がいかに近代史の中に溶け込んでいくか。そういう問題を考える大きなきっかけになってくれるならば、それはそれでいいと思うんですが、少なくとも私は、日本人が現代を生きるのに必須の教養であるべき現代史に関して、日本人があまりにもとんちんかんであるということ、それを悲しく思っています。

 とりわけ私は、戦前から戦後日本の本当にドラスティックな転換が、ドラスティックな転換として行われたということだけが述べられているんですが、私はドラスティックな転換は表面で行われただけで、隠然とあるいは暗然と、闇の世界あるいは人々の心の内に出して、言葉には出さない世界において、ずっと続いてきた社会の闇とも言うべき裏の世界で、その裏の世界の歴史に目を向ける。そういう歴史観を持たなければならないと思うんですね。

 今日は、いわゆる戦前からの学歴社会という言葉を取って、その学歴社会というのがもはや完全に崩壊する時代を迎えているんだと。その崩壊した時代に、では若い人々はどのような学歴を目指すべきか。あるいは保護者たちは自分たちの子供にどのような学歴をつけるほしいと願うのか。そういう問題について少し歴史的に物事を考えるという習慣を身につけてほしいと願って、このお話をあえていたしました。多くの方々にとって心に痛い、あるいは耳に痛いお話も含まれていたかと思います。しかし、私達は自分たちの心の痛みあるいは心の闇、そういうものを見つめることなしには、明るい未来を見つめることはできないんだという歴史を学ぶことの原点に立ち返って、考えることもときに必要ではないかと思い、こんなお話をいたしました。

コメント

  1. 中筋智之 より:

     教養試験が有り最高学歴については記す機会が有る教員選考では筆記試験免除の大学推薦が存在し,公務員試験では結果分析,募集に資する為に用い結果に影響を与えないと記されています.
     学歴社会で無くなったとされる原因として,公平に知識,技能,判断力,実績(資格)で評価すると共に,営利が優先され公正に改める事を含むcomplianceが徹底せず資本主義での競争原理が十分機能していない事も有るのではと私は懸念致します.
     実力や社会で還元する教養を身に付ける為に,沿革・学風,蔵書,施設,取得できる学位・免許,互いに研鑽できる教員・技術員・学生,入試問題・配点,学費等で志望大学を決める事に成ると私は考えます.敗戦後GHQが航空学を学べない様にし,戦争をしては成らなかったと僭越ながら申さざるを得ません.

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