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「学歴詐称」という問題が政治で話題になりながら、選挙結果には影響を及ぼさなかったという、ちょっと信じがたい事件が、我が国において起こりました。これについてちょっと考えてみたいと思います。
私はこのシリーズの中で、学歴というものはもはや日本社会の中において崩壊している。つまり、戦前のエリート養成のための、中国の伝統で言えば「科挙」のような制度、身分出自によらず優秀な若者を、中央官庁の上級の官僚として登用していく。こういう制度を日本の明治政府はまさに取ったわけであります。それは江戸時代の各藩の中でバラバラに行われている人材登用制度に対して、中央集権的な政府が「自分がリーダーとなって、本当にできる人間は誰か。自分に従順な人間は誰か」、これを選抜したかったということでありましょう。かつての東京帝国大学を初めとするエリート大学ですね。エリート大学という言い方をしたのは、帝国大学以外にもいっぱい大学はあったわけでありますが、中でもとにかく帝国大学という特別の大学を作った。日本の戦前の学制はいろんな意味でHierarchy・階層・階級がはっきりしていて、それぞれの分野において、どこが1番どこが2番と言えるような競争社会で、それが学制としても実現されていたわけであります。
そういう時代であれば、学歴をつけるということは、当然いわゆる出世の切り札になるわけですから、学歴をつけたいと思うのは庶民の切ない願いでありましょう。よく村の庄屋さんが、村の優秀な若者に勉強の機会を与えるために、私財を投じて東京の学校に行かせる、というような話が美談として残っていますけれども、そのようにしてでも、東京の官庁とのパイプを強く持つということが、庄屋さんたちにとっても大事なことであったということですね。庄屋っていう制度は、元々江戸時代に作られた幕府の農民を平定する政策の要であった重要な存在でありますけれども、江戸時代の制度が明治維新を経ても、うやむやな形で明治時代に引き継がれてくる。明治時代の農業政策が、言ってみれば、本当に出たとこ勝負というようなデタラメで、最近では資本主義の父という形で、商業資本主義あるいは銀行の設立に力を尽くした人がお札にまでなるという話が話題になっておりますが、日本の資本主義において最も重要であったのは、決して産業革命だけではなく、産業革命を支えた農業政策であるわけですが、その農業政策が、いかにいい加減であったか。いい加減の中にも、しかししっかりと芯を通そうとした人がいた。しかし、他方で農民の要求に次々と敗北するというような、明治政府の苦しい台所事情があった。いろんな話があって、この話題は本当はもっともっと大きく取り上げられるべきだと思いますが、あまり取り上げられていません。
明治期の農民によって、時代は「土地の私有」というとんでもない制度に切り替わっていくわけですね。土地が私有財産になる。この土地が私有財産になったっていうことが、農民に対する明治維新政府の懐柔政策であったと同時に、日本の資本主義において土地の私有というのを認めることで、産業の育成の基盤をつくるいろんな思惑があったと思います。しかし、土地の私有を今日のような形になるということを予見した上で、この制度を取り入れあげた人たちは、ほとんどいなかったのではないかと思っています。日本の明らかにおかしい土地の私有制度、いろいろなところで、今いびつにそれが問題を起こしておりますけれども、しかし土地の私有制度そんなものは大したことないですね。
一番みっともないのは、「学歴詐称」ということです。昔は学歴をつけるということによって、立身出世があった。今は学歴があっても、立身出世ができない。実際に有力な政治家の中で、きちっとした大学を好成績で出ているという人は、むしろ例外的な少数。官僚の中にさえそういう人が減っているという現実があるわけですね。そんな中で、エジプトのカイロ大学、入学してもいない大学の卒業資格、それを詐称した。それが自分の身の回りの人に訴えられるという事態になっても平然としている。この神経が信じられないと、私の知り合いは私に言ったんですが、私は、彼らが平然としているのは、都知事になるために、あるいは国会議員になるために、あるいは我が国の総理大臣になるために、学歴を詐称してはいけないというルールが存在しないからではないか、と申し上げたんです。
つまり、学歴というのはその人の格好付けで、言ったもん勝ちなんですね。言ったもん勝ちで、嘘が嘘として通ればそれで構わない。そういう文化の中に私達が生きているということを、私達はもっともっと深刻に受け止めなければならないと思うんです。「学歴が崩壊した。もはや学歴社会ではない」という私の言葉と併せて、そんな社会になっても、学歴を詐称する情けない人間が、私達の社会の政治的なリーダーになっているということを、ものすごく私は恥ずかしいことであると思います。およそ世界のリーダーのほとんどが、学歴においても立派な方が多い中にあって、日本はそういう意味で非常に特殊な国の一つであるということを、国民はもっともっと知った方が良い。そして、そんな学歴なんかごまかすというほど情けない、そんな人間が本当に私達のリーダーになっていいのか。そういう人間をリーダーに選ぶ私達は、一体学歴というものをどのように考えているのか。たまにはそういうことを反省するのはいかがでしょうか。
コメント
日本は終わった国です。
そんな国の大人が、
“個性”だとか”公平性”だとか、綺麗事を子供に教えたがる。
大人は、単純な事実を子供に対して言えばいい。
凡人に個性なんて、ないと思います。
突出した能力を有する者にのみ、通用する言葉なのです。
何が言いたいかというと、結局のところ、凡人には順位しかないとうことです。
喧嘩が強いか、弱いか。
金があるか、ないか。
学歴があるか、ないか。
ペテンが上手いか、下手くそか。
幸せか、不幸か。
生きているか、死んでいるか。
挙げるとキリはありませんが、とにかく、凡人には順位が付けられてしまう世の中なのです。
僕は、順位に拘ります。
大人をペテンにかける際には、順位が必要だからです。
しかし、私のように不平や不満を語るだけではいけません。
それはまるで、理想を掲げるだけで、実際に行動をしない大人と同様であるからであります。
私は早速、行動する事にします。
行動に伴う資金の調達も、半分は出来ました。
机に向かっての”お勉強”だけでは、日本は変わらないと思う次第であります。
公職選挙法235条;当選を得る目的を以て公職の候補者の経歴に関し虚偽の事項を公にした者は、二年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処す。
小池都知事はCairo大学を実力で入学・卒業したかを説明しなければ成らず,公務員や報道機関は利権でなく全国民を優先して行動する義務が有ると私は勇気を持って申し上げざるを得ない.
教員選考・公務員試験で,最高学歴については記す機会が有り,教養に基き社会に還元する事が求められる.