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数学の言語は非常に簡潔で平明であるので、あんまりそういうことが起きないのですが、物理で使う数学の言葉は現代数学の言葉であるだけに、その言葉を普通の人にわかりやすく説明しようとすると、比喩とか例えがはいり、その比喩や例えを通じて、意味が誤解されてしまうという側面があることに、今日は注意したいと思います。
有名なのは、アインシュタインの一般相対性理論によると、「時空は重力によって歪みが生ずる」という表現ですね。アインシュタインが、「重力が空間の中にあるとその重力によって空間が歪む」と説明したのは、「重力によって普通は引っ張られる。引力が働く。そして、物体の運動する方向が変わる」という現象が、古典力学の世界からずっと観測され続けてきたわけですが、「なぜ重力が働くと、そこに運動の加速度が生ずるか」という問題、重力と加速度との関係、もっと広く言えば、力と加速度の問題、いわば古典力学の最も本質的な重要な法則なんですが、それがなぜあるかということをアイザック・ニュートンは説明することができませんでした。説明することができないというより、彼はその説明に入ることを自ら拒んだ。あるいは遠慮したわけであります。アインシュタインはここで一歩踏み込んで、重力が働くと、そこで加速度が起こる。これはなぜか。その問いに初めて答えようとしたわけです。
実は、重力が働くことによって、空間自身が歪んでいるんだと、私達は普通は3次元の空間の中で、2次元的な空間の図を描くことができるだけですから、あくまでもイマジネーションの世界でありますが、そのイマジネーションの世界において、あたかも穴に物体が吸い込まれるように物体が運動していく。これが重力の本質であると、説明したわけですね。一般相対性理論というのは、こういうふうに重力の謎を説明する。非常に巧みな数学的なアイディアであり、その数学的なアイディアは、アインシュタインよりも半世紀以上前のベルンハルト・リーマンという驚くべき天才的な数学者によって、予感されていた一般空間論であったわけです。
空間が、空間上の各点において、ある種の歪みといったらいいのか、曲りというか、そういうものを持っている。普通私達は、空間はあらゆる方向に広がっていて、どの方向に関しても同じであると、よく物理の世界では「等質等方」と表現しますが、そういう空間であると思っていたのに対し、実は等質等方ではない。その空間の中にある質量によって、空間が歪むんだと。空間の歪みというのは、これは例えと言えばそれでしかないわけですが、数学的な言葉で語ることが厳密にできるわけです。ですから、一般相対性理論を理解するには、リーマン幾何学を理解することが必須不可欠なんですが、どうも啓蒙的な科学番組ですと、リーマン幾何学を全て無視して、非常に視覚的に空間の歪みを説明してわかった気になる。挙句の果てはそれでwormhole(ワームホール)というような、宇宙人が長い距離を旅行する際に使う基本となるテクノロジーの世界にまで話は及ぶわけでありますが、これはファンタジーあるいはscientific fictionの類でありまして、科学的な議論になっているというわけではありません。
しかし、空間に歪みがあるという事実は、現代物理学あるいは現代天文学にとって、必須の理論的な前提でありまして、その理論的な前提を目に見えるように素人に理解してもらうというふうに、多くの物理学者・天文学者は熱心なので、そのために誤解が起こってしまうわけです。実は歪んでいるのは平面ではなくて、空間そのものということですね。空間そのものの中に歪みがあるということによって、私達が感じている重力というものも説明することができる。これが、私が理解している限り一般相対性理論の一番の基本の基です。
その一番の基本の基を無視して、例え話だけで物事をわかった気にする。こういうことが世の中ですごく流通している、あるいは流行っているという現代の姿を見て、これは中世の魔女狩り以上に、ひどい反科学的態度であるなと思いました。中世の魔女があり伝統は今でも生きているんだと。そして、その中世の魔女狩りで語られた言葉と同じような言葉でもって、現代科学の言葉を比喩として使っている現代の最先端科学の説明は、私はかなり危ないなと思いました。そういう中にあって、現代科学も、誠実に一生懸命説明しようとしているものも存在する。そういうものがあるということは、私にとって心の救いのようなものですね。
「物事を本当に理解するためには、本当のことを理解するための基本的な教養がなければならない」という当たり前の事実を、現代人は忘れているのではないでしょうか。今日は最近やたらに使われる現代科学用語を、あたかも比喩であるかのごとく使っている物理学者であれば結構なんですが、その比喩を実態と間違えて、平気で喋っている啓蒙的な、言ってみれば扇動家のような人々が存在するということに、若い人々は少し警戒心を持った方が良いと思います。
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