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今日はお隣の国のトップニュースになっている話題を取り上げたいと思います。それは韓国で今、医学部問題というより正確に言えば、医学部の学生定員問題、これが国家的な大事件に発展しているということで、連日そのような報道がKBSを通じて流されてくるわけでありますけれども、日本から見ていると、お隣の国の事情が似ていて、よく理解できるという面もあり、ちょっとこの問題について、数学的に考えてみたいと思います。
それは、今、政府の出した方針というのは、医学部の定員を従来の3000人、約3000人から5000人に、2000人増加させようということですね。3000人から2000人増加させるということは、言ってみれば67%の増加、当事者から見れば、2倍に増やすというような劇的な変化でありますね。それに対して反対が出てくるのは、いわば必然だったと思うんです。この課題は前政権の話題のときからくすぶっていた話題として韓国の友人から耳にしておりましたけれども、このような反対の表向きの理由は、行政側から上がってくるのは、韓国の医師人口が、国際的に見て、まだまだ非常に少ないということ。従って、国民の医療水準、それをきちっと最低限確保するためには医師が必要であると。地方に医師がいないという現状を、回復改善する、そのためには、まず医者をたくさん作らなければいけない。またいわゆる医師の見習いレベルですね、初期研修医のレベルの医師の非人間的な労働も、この問題、これも日本でも既に話題となって久しいのですが、それに向けて具体的な解決の道は開けておりませんし、その解決を安易に急ぐことにも問題があるということも、日本の経験は既に明らかにしております。働き方改革などということによって、実は職場の雰囲気がものすごく悪化して医療の水準の低下すら招きかねない、そういう状況は日本の国内でも既に報告されていて久しいことです。しかし、ともかく韓国の行政は医師が足りないことが、韓国社会の医療を向上する上で、医療水準を向上する上で鍵となるということで、定員増を何としても実現したいということです。
それに対して反対する側は、本音はともかくとして、表向きはそのように医師を大量生産すれば、その大量生産された医師は、美容整形とか、韓国で流行っている分野、そこに医者が行くだけであって、決して国民的な医療水準の向上には繋がらないという、大変最もらしい意見を述べているのですね。私から見ると、実は美容整形に医者が行くという現象が韓国において多く見られるのは、とりあえず美容整形にいって小金を貯めるということが現実的な話であるという現実があるのだと思います。他の科にいってもなかなか努力が報いられない、そういう韓国の医療の状況があって、それは日本でも同じことがありますから、容易に想像がつきますが、そのような、言ってみれば末端医療で金を稼ぐということが、本当に若い医者たちの夢になっているのかというと、絶対そんなことはあり得ないと私は思うのです。
それは日本の経験を外装する、そのことによって想像しているだけで、韓国社会特有の倫理感、道徳感やそれが別にあれば、話は変わってきますが、日本人と同じような感性を持っている、そういう韓国社会において、若い人たち、とりわけ学力の高い層、エリートというふうに思われている人たちがその美容整形に走るそして金儲けに走るというようなことは、大規模に起きるはずがない。例えそれが起きたところで、もし起きたならば、美容整形のマーケットは、一定なわけですから、そんなに多くの人が全員美容整形したいと思っているわけじゃない。必死にマーケットを拡大しようと、開業医たちが苦労している、そういうはずでありますから、当然のことながら決まった市場に対して供給が巨大になれば、直ちにその産業は破綻すると思うんですね。
アメリカのように、診療が自由な社会において、美容整形がみんなの夢になっているかというと、なっていないのですね。アメリカでは美容整形医は最も訴訟の高い、被訴訟率っていうのですか、訴訟率、訴えられる可能性が高い。そういう科で診療している人たちは訴えられたときのために払わなければいけない保険、その保証金、そのための保険、それを毎月何百万も払っている。こういう馬鹿げた話が、アメリカの方からも聞こえてきます。韓国からそういう声が聞こえるようになるのも、そんなに遠い先ではないでしょう。
というわけで、今、医学部の人たちが言っている言い方というのは、国民の医療の質を向上することに必ずしも繋がらない。むしろ医者の品位を下げることに繋がるということの、一つの理由として、例えば開業して美容整形で稼ぐそういう人が増えてしまう、という議論ですが、美容整形はおそらく自由診療で社会保険ではありませんから、社会保険を圧迫することはないということがまず第1点。そして、私が先ほど申しました、若いエリートの医者たちは、決して蔑まれるような人から訴えられるような、そういう職業に自ら就きたいと思うはずはないという二つの点から、明らかな反対論、自明な反対論をお話しました。
一方で、医学部の教授たちが言っている国民の総医療費がますます圧迫されるということになるに違いないということに関して言えば、おそらく政府が考えているのも同じストーリーで、これから大量の高齢者が人口の中で大きな割合を占める。そういう時代が来ることが、もうひしひしと迫ってきているわけですね。毎日毎日そういう日に向かっているのだとすれば、国民の総医療費を抑制するために、医者の所得を下げるという他ないというのが、多分行政が考えていることで、そして、今のお医者さん、そして医学生が考えていることも、自分たちの収入がやがてパイが一定ではないわけですから、パイを食べる人が増えればそれだけで激減する。これは明らかなことである。激減に対して、事前に抗議活動を展開している。この政府案を撤回しない限りは、もう何としても自分たちの未来が立ち行かない、そういう危機感を持っているんだと思います。そして、それはある意味で正しいのですね。
行政対策というのは、3000人を5000人っていうふうに非常にドラマティックな数字で進める。要するに、ポピュリズム政治で成果を上げたということをアピールしたいからでありますけれども、社会変動というものを、それを受ける者の立場に立ってみれば、それはたとえ今は特権的な医者であったとしても、その特権を夢見てそれまでコツコツと頑張ってきたという人生の記録があるわけですから、その人生の記録、あるいはその人の歴史、それを一遍に書き換えるような行政は革命以外ではあってはならないということです。じわじわと進行させなければいけない。しかるに、行政府、あるいは行政府の長をする、一番の行政の長、大統領とか首相そういわれる人たちはとにかく、成果を上げたい、国民の前で見栄を張りたい。それは独裁政権であっても、全く同じで、プーチンにしてもそうなわけです。そういう立場から、ドラスティックな行政の舵取り、これをやる人がいるのですが、私自身は、アメリカの保守といわれる共和党がしばしばそうであるように、コンサバティブである、保守的であるということが、ときに大切であるということ。伝統を重んじるということは大切であるということ。例えば、医師の特権、それを要望するそのことによって、医師として一定の能力のある人が、医師として集まるという状況を、社会的に作っておくということが、社会全体のためになるという思想、これもありうるわけですね。
一方で、医師が足りないということであれば、それは、数学的に簡単な解決は段階的増大、20年間の間に、6割増しにするというのを、毎年毎年ちょっとずつ行い、そして20年後に劇的な成果となっている、そういうような変化でも構わないんじゃないかと思うんです。日本ではかつて薬学部および歯学部において、定員の大増員というのを、大学を設立したいという側の要望、それに従ってやった結果、もう首都圏では薬剤師あまり、そして最も健康に大切だと言われる歯医者さん、それが粗製乱造されて、言ってみれば本当に立派な歯医者さんと、分数の計算もわかっているかどうかわからないような歯医者さんと、それが乱立してしまうという状況が東京に生まれているわけですね。これは要するに、急激な変化というものを、平気でやってしまう行政の担当者の数学的な知性のなさがもたらしている社会的な制約なのです。私は数学的に考えるならば、できるだけ滑らかな変化というのを、常に考えなければいけない。不連続的な変化、急激な変化、これは政治家の手柄話としては面白いかもしれないけれども、社会は決してそれに対して着いていかないであろうということを今日はお話したいと思いました。いかがですか。要するに等比数列の公比が極めて小さいならば、1.01のn乗のnが少々大きくなっても、人々は気がつかないものだということです。
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