長岡亮介のよもやま話407「入試問題の『難易』を語ることの<難しさ>について」

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 今日は日頃考えていることで、今年の大学入試でもはっきりしたことでありますので、ここで皆さんに私の持っている考え方を明確にお伝えしたいと思います。

 我が国では、一流と言われる有名な大学の入学試験は、数学が特にでありますが、難しい。数学の難しい問題が解けるか解けないかで、合否が決まるというくらい、決定的な合格決定力を数学という教科が持っている。そのために受験生諸君は、大げさに言えば小学校の頃から大学入試に向けて、受験勉強に精を出す。そういうジャーナリスティックな報道がまだまだ続く日本の状況ではありますが、まるでインドにおけるIndian Institutes of Technology これは一つの大学ではなくて、大学の連合体なのでIITsと言うことがありますが、いわば立派なビジネスマンになるための登竜門と位置づけられている大学に対する受験生の諸君の熱望が日本でも時々話題となります。国際的には、日本そして韓国、インドあたりがよく報道されてきたんですが、その中でも群を抜いて難しかったのは日本であったと思います。

 日本における数学の難しさというものに、歯止めがかかったというか、大きな変化があったということが言える。これがこの数年の状況であり、2024年度の大学入試においては、それが入試問題のいわば近づきやすさ、解きやすさ、受験生にとっての易しさという点で際立っていたというのは、予備校関係者から私が耳にする言葉です。私自身は入試問題が易しくなるとか難しくなるとか、こういうことについて批評家のように難度が上がるとか、易度が上がるとか、難易度が上がるとか、わけのわかんない表現も含めていろいろと論評する人が多いのですけれど、入試の難しさというのは、採点の厳しさによるところが大きくて、受験生がほとんどできていなければ、ちょっとしたアイディア、一番重要なアイディアに気づいているだけで、大きな配点を得ることができるでしょうし、みんなが平凡なアイディアに気づいているという問題であれば、アイディアに気づくこと自身には採点はない。むしろそのアイディアを実際に形にする計算の部分でいかにうまく話を組み立てるか、その組み立ての部分に、より大きな配点が加されるということで、実際には入試の難しさというのは、問題の難しさだけで測ることは非常に難しい。つまり、受験生全体の出来・不出来というのを考慮して、採点基準が決められるということでありますから、そのことを考慮すれば、問題そのものを見て難しい・易しいと論評したり、難しくなった・易しくなったというふうに変化について論評するのは、もっと難しいことではないかと思います。

 しかしながら、私は表面的な入試問題としての難しさ、その問題の核心に気がつくところまでの、問題に秘められたアイディアを見抜かなければいけない。そういう難しさ、これは一般にとても難しいと受験生には思われるものでありますね。そのアイディアがほとんどない、誰でもがわかる平明なものである。これが受験生にとっての入試問題の易しさだと思いますが、実はその平明のアイディアに気づいた後に、それをどのように論理的に組み立てるか。構文にはなかなか難しい話がいっぱいありまして、受験生諸君が全く自分は間違っていないと思っている答案を、私がもし意地悪く数学的に採点するならば、実は至るところボロボロであるというくらい、欠点の多い答案であることが多いのですね。

 私もかつて関係していましたが、「大学入試問題正解」と書いてある本は、私は入試問題正解と名乗るんではなくて、「入試問題誤答例」と名前を書き換えた方がいいんじゃないかというようなことを言ったくらいでありまして、正解というのは本当はすごく難しいということです。その正解を受験生一般の出来を基準にして、決める。これが実際の入学試験であるわけで、問題が易しくなった、あるいは問題が難しい。このことだけをもって、入試が易しくなったとか難しくなったと評価するのはおかしいと思うんですね。むしろ反対に数学がすごく難しい入試の年があったとすれば、そのときは数学の正答率あるいは回答率、あるいは得点率、それが概して低いわけでありますから、数学が不得意な人にとっては、特別に有利な年ということになるでしょう。

 数学の平均点が上に傾くときには、数学が得意な人は数学でその得意なところを発揮できないわけですから、数学得意な少年にとっては厳しい入試になることでありましょう。国語とか、社会とか理科とか英語とか、そういう他教科の実力がものを言うということになりかねません。東大入試の難しさは、やはり科目数の多さであり、その科目数全てに対して、そこそこの得点つまり合格者ならば取らなければならない点を取るっていうことの難しさにあるんじゃないか、というふうに私は考えております。だから数学に対してだけ皆さんの注目が集まるということは、数学に関係している私にとっては、少し嬉しいことである。正確に言うと、くすぐったいことではある。

 しかしながら、本当にそれが現実を反映しているかというと、なかなかそれが現実を反映するには複雑なプロセスがその後に待っている、ということを皆さんにお伝えしなければならないと思っています。こういう微妙な話はなかなか明確に喋ることが難しいので、東京大学の発表においてもそのようなことが明確に述べられることは、まずはあり得ないことであります。私が申し上げていることが精いっぱいのことであるということをどうかご理解いただいて、皆さんの勉強の指針なり、励ましなり、慰めになってもらいたいと、願っております。

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