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我が国の数学教育の現状を肯定的に考えるならば、かなり高水準の数学教育が、ほぼ国民全員に対してなされているという状況。これを肯定的に評価しなければならないと思うのですね。かつて識字率、文字を読める人の割合と同じように、数を基本的な取り扱いができる、識字率という言葉をそのまま転用すれば、識数率でありますけれども、日本は諸外国の中でも、とりわけ識字率および識数率の中で、明治維新の頃から外国の人を驚かせるほど、高い水準を誇っていたわけです。このことはなかなか大変なことで、何によって可能になったかというようなことがいろいろ言われますが、寺子屋式の「読み・書き・そろばん」という、言ってみれば私塾ですね。本当は江戸時代の各藩が作ったエリート官僚を養成するところの藩校というのがありますけれども、その藩校というのではなく、一般の寺子屋というところで、士農工商の末端階級に属する庶民、商人が一生懸命識字教育に取り組んでいた、あるいはそろばん教育に取り組んでいた。
これは、どうしてそうなったのかということまで含めて考えると、ある意味で日本のたどってきた歴史的な経緯の軌跡を思わざるを得ないところがありますけれども、その識字教育あるいは識数教育、仮の言葉でありますが、それを語るときに決して肯定的にだけ語ることができないという側面を、私は指摘しなければならないと思うんです。というのは、識字教育の場合で言えば、一つの漢字を一つの読みがなで読む。これが正しい識字ではないわけですね。あるときは音読み、あるときは訓読み。そして、訓読みにもいろいろあり、音読みにもいろいろある。そういう文字を読むときの多様性、そういうものまで含めて、寺子屋のレベルで教育がなされていたか、甚だ不安になります。
同じように、数の計算に関していても、小学校レベルの数の計算というのは、正解が必ずでる。要するに正しければ○という答えが出るわけですが、そのような「○X式の正解を教えることが、数学を教えることと同じことでは全くない」ということが、どれほど理解されていたかということは、私達が今日小学校や中学校の数学の勉強を見ていると、依然として○X式である。先生が正解を示し、その正解と異なっているものは誤答である、だから何点減点する。こういうようなことが正々堂々と行われているという話を聞くと、やはり数学には正解があるんだという考え方が、人々の間にあまねく行き渡っている現状を認めなければならないと思うんです。
もちろん、正解がある問題について、正解を求めることはとても大切です。しかし、正解をして正解たらしめるための多くの前提、これが必ず存在するわけでありまして、世の中のことを、○かXかで判定するということはそれほど容易でない。これは裁判においても、完全な白黒がはっきりしない判決がよく出ることから見ても、判決というのが容易でないということがわかるわけでありますが、数学のような簡単な世界においてさえ、正解であるとか、正解でないとか、ということを簡単に判定することが、非常に難しい。その難しいということを、多くの人がちゃんと理解しているならばいいんですが、どうも日本では下手すると、高等数学あるいは高等教育のレベルに至っても「正解主義」から依然として脱していない。そういう面があるんではないかと思い、いささか心配になるわけです。
私達は、より良い正解を求めて、より努力しなければいけませんが、そのためには言葉を正確に使うこと。そして、言葉の意味をきちっと定式化すること。そういう作業をすることなしには、正解もあったもんではない。言葉を曖昧にしたまま、安易な正解主義に行くことが、言ってみれば、学問的な堕落の出発点でありまして、それは、本当の学理的な認識とは違う。私達は言葉を、より精密に、より深く使用する。そういうことを通して、ますます深い正解へと達することができるわけで、一つ一つの問題に対して○Xとつけておしまいではないんだということ。
それが小学校の頃は仕方がないですが、小学校の高学年になったら少し、中学生になったらもっとわかり、高校生になったら当然わかる。大学生になったらそんなことは言うまでもない。となるのが、私は普通だと思っていたんですが、最近の日本の風潮を見ていると、これがとっても心配です。およそ物事に必ず正解があるんだ、という考え方。これほど知的に堕落したものはないということを、私達は肝に銘ずる必要があります。
私は、今日とても抽象的に話していますので、何を問題としているのか、ピンとこない人も多いかと思いますが、要するに、世の中のことは○とXでは済まないということであります。その世の中の難しさを少しでも厳密に理解するために、言葉を正確に使い、曖昧な言葉で逃げることを避け、できるだけ正確に議論を組み立てる。そのことがとても大切であるという、ちょっと一般論の結論になってしまいましたが、そういうお話をしたいと思いました。
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