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“sum”とか“summation”という言葉は、数学では頻繁に使われる用語でありますが、その用語が数学的な意味とは全く違って、例えば、『The Summing Up』という有名な名前の小説がありますが、もっと文語的に言えば、“to sum up”という表現でしょうね。要するに、「要約するならば、一言で言えば」という程度の意味であると思いますが、なぜ「和を取る」ということと「まとめる」という言葉が、一緒になったのか。語源を少し調べてみたのですが、結局のところよくわからない。やはり「和を取る」というのが原義であって、それからまとめると、という意味になったに違いないと思うのですが、なぜ「和を取る」ことがまとめることになるのか。
例えば、$2+3+5$ 、簡単な計算ではありますけれども、「それは要するに何なんだ」っていうふうに聞かれることあるでしょうね。そうすると、それが「要するに $10$ であるというふうに答えるのが、一般的ではないか。今、非常に小さな数で言いましたけど桁数の大きな数であれば、例えば $10$ 個の数の和であっても、それを計算して答えを端的に出すというのは、一種の「一言で言う」あるいは「まとめて言う」というのに相当するものではないかと思うんですね。
その証拠に、“和”に相当する言葉“sum”に相当する英語は、productと言います。produceっていう動詞から来ている名詞でありますが、producing upとか、to produce up、そういう表現はないですね。なぜかというと、おそらく掛け算をしたときに 、「 $2×3×5$ 、それは要するに何だ」と問う人があまりいない。$2・3 が 6、6 掛ける 5 で、30$、そういうふうに計算する。それでいいわけで、「$2×3×5$ 、それは要するに$30$のことだ」という事例が昔から、古代の昔から無かった、ということを意味しているのではないかと思います。
和と積というのは、本質的にはというか、数学的に考えると同じようなものなのですが、一般の人にとっては、足し算と掛け算っていうのは、二つの異なる演算です。だから私の述べたように、producing upとか、to produce upというような表現があってもおかしくはないはずですが、しかしそういうものは無かった。足し算の方が人々にとって、掛け算に比べて圧倒的に身近なものであったということを意味しているのではないか、と考えた次第です。これには何の根拠もありません。数学的な根拠に基づいて、類推しているだけですね。しかしながら、いわゆる語源に関する辞典を調べてみても、“sum”という言葉が、「まとめ上げる」という意味に転じて使われるようになったということについての解説を見出すことができなかったので、私が想像したということです。同様に、“sum”から派生した言葉に“summary”「まとめ」という言葉もありますね。“summary”っていう言葉が“sum”「和を取る」ということから、「まとめ」という意味に転じたいきさつも“Summing Up”という言い方を考えると、それを媒介としてそのような言葉が生まれたに違いないと推定できるわけです。
こういうのは学問ではなくて、言ってみれば推定学問というか、推定語源学というべきもので、学問としての体を成しているわけではなく、ただ知的な楽しみのためにやったということです。しかし、人間には役に立つとか、それが客観的な根拠があるとか、そういう議論をする以前にちょっとやってみたら楽しかったという楽しみ、それがありますよね。私も“sum”という言葉で遊んでみたというわけです。
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