長岡亮介のよもやま話387「音楽における楽譜通りの演奏、料理におけるレシピ通りの調理が、音楽でもご馳走でもないのと同様、正しいだけでは数学にならないこと」

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 多くの人が、「数学というのは、正しい方法、つまり公式や定理にしたがって正しく解けば、同じ答えが出てくる」ということに数学らしさを見いだしているという話を、よく耳にするのですが、数学では間違っていては話になりませんから、もちろん正しさを求めているんですが、正しくやればみんな数学になるかっていうとそうではないということを、今回お話したいと思います。

 正しくやっていてもつまらない数学というのはいっぱいあって、それは数学になっていない。数学もどきであるということです。世の中の多くの場面で行われている数学は、数学になってない数学もどきであることがほとんどであるというくらい、本当の数学に触れることのできるチャンスっていうのは少ないのではないかと思うのですが、そのことをこういうふうな形で表現するといささか誤解を呼ぶので、お料理の話にいいたとえてみたいと思うんですね。

 例えば、おでんを作るっていうときに何をしなきゃいけないか。おでんの種と言われるもの、つみれとか、おでんの素材となるものを買ってきて、グツグツと煮る。醤油をベースとして味付けをする。こういうふうにするとおでんができると思っている人がいますけれど、「おでんもどき」を作るにはそれで十分なんですが、本当に美味しいおでんを作るには、やはり油抜きをするとか、だしを取るとか、いわば料理人それぞれの秘伝のような心があって、その秘伝というのは真似して済むというようなものではなかなかないですね。それは“技”と言われるものであって、なかなか見よう見まねで真似することができない。その人が仮に「京都の老舗風おでんの作り方」という本を書いて、そのレシピにしたがって家庭でそれを再現しようとしたところで、実は「似て非なるもの」しかできない。

 それは本当のお菓子と偽物のお菓子を比べればわかるわけで、例えばショートケーキと言われるもの、それはどこのお菓子屋さんにも売っているようなものであり、最近ではコンビニやスーパーマーケットでも売っていますが、本当に美味しいショートケーキというのは、なかなか食べることができるものではありません。ショートケーキの作り方、それはもうきちっとしたレシピになっている。レシピ通りにやればみんな同じケーキができるじゃないかと思うのはケーキを知らない人で、ケーキを知っている人だったならば、例えばスポンジ一つ取ってみても、美味しいスポンジケーキとそうでないものとの間には天と地の開きがある。生クリームをホイップすれば似たような生クリームになるじゃないかと、みんな思うかもしれませんが、その生クリーム一つ取ってみても全然違うわけですね。洋菓子の場合だと、その違いは必ずしもわかりづらいかもしれませんが、和菓子の場合で言えば、典型的でありますね。前回紹介した洋菓子であっても、本当に職人の心のこもった洋菓子というのは、もう口の中にとろけるようなというような平凡な表現では表現し尽くすことのできないような、風雅な味わいがあります。そういうものをレシピが公開されたら、それできるかっていうとそうではないということですね。

 例えば音楽で言えば、楽譜というのは、言ってみれば音楽のためのレシピでありまして、楽譜の通り弾けば良いというふうに、普通の人は思っているかもしれません。楽譜というのは、その曲を構成するための最も基本的な主題というか土台でありまして、その土台を創るという作曲家の技量、それはそれは大したものなんですが、その楽譜に込められた曲の心、作曲家がそこの音に込めようとした意味、そういうのを理解して演奏するということになると、同じ楽譜でも演奏の仕方は千差万別、ありとあらゆる人によって音楽が変わってくる。これが名演奏家と言われる人と、コンピュータミュージックと言われるもの、つまり楽譜通りに正しく鍵盤を弾く音楽との決定的な違いですね。難解な曲で有名な例えばリストの超絶技巧の曲これも簡単に例えばグランドピアノ楽譜通りに立派な演奏させるということは、コンピュータを使えば簡単にできます。そしてそのような装置も売っています。しかし、それで音楽になるかっていうと、それは音楽としては最もつまらない物にしかならない。たとえ楽譜を再現することを間違えたとしても、そこに演奏家の解釈、演奏家の作曲家の精神に迫ろうとした努力のあとを感ずることができるときに、私達は大きな感銘を受けるわけで、決して丸暗記しているような曲の演奏が素晴らしいわけではないのですが、多くの人がそれがわかっていない。譜面通りに弾ける、正しく引けるならば素晴らしいと思ってしまいます。

 このように、音楽とか、料理の世界で言えば、レシピに従ったものというのは最低限の基準をクリアしているということであって、それ自身が料理とか、音楽とかって言える代物ではないということはおわかりになっていただけると思うんですが、数学においてもそうで、教科書に書かれているようなことというのは、言ってみれば料理本に書かれていること、あるいは楽譜に書かれていることであって、それをそのまま再現したところで、それでは数学にならないということなんですね。数学であるためにはその人なりの解釈が入るということ、その人なりの数学の世界に接近して、それを表現しようとすること、そのことがとても大切だということなんです。

 私はこの例えに行き着くまでにずいぶん時間がかかって、うまく今まで言い表すことができませんでしたけれども、たまたま美味しいお菓子、美味しい料理に出会い、また素晴らしい演奏に出会ったことによって、「数学においても、そのようなレシピ通りにやれば、正しい数学ができるわけではない」ということをお話すれば、わかりやすい例えなるのではないかと思い、このお話をさせていただきました。

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