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役に立つ、役に立たないということをあまり扁平に語るべきでない、という話をつい最近いたしましたけれども、dLなんて使うことが全くない、小学校の算数のための算数の問題である、こういう指摘に対して、それが馬鹿げているという話をしたわけでありますが、私はたまたま最近deciがなくては話が進まない、そういう単位があるということに気づきました。
それは、皆さんにとってもかなり身近なものとしてあるデシベルという、いわゆる信号の減衰、あるいはその信号を運ぶ電力、エネルギーに関する減衰率を表現するときの単位でありまして、何でデシベルというかというと、ベルという単位が元々定められた。このベルという単位は非常に巧妙なもので、基準値を考えて、その基準値に対して、いまの値の比をとって、その比の対数をとる、対数というのは本質的に何を底としても構わないのですが、昔から人間は十進法で考えてきましたから、10を底とする対数をとるというのが、とても良い、便利であるということでありましょうね。デシベルというのは、そのある基準となる量と、それから測定される量との比、それの10に関する対数でありますから、ベルという単位は1増えると、値は10倍になる。2増えると100倍になる。3増えると1000倍になる。というふうに、いわゆるレンジの広い、そういう量を表すのに対数を使うと大変に便利であるということがあって、ベルという単位が考案されたわけです。
これはいうまでもなく、アレクサンダー・ベル、いわゆる電話の発明者ですね。そして、その電話の普及で、巨大な財をなした人であります。アメリカにはベルが作った会社が未だに大きな存在としてあるのではないでしょうか。それはともかくとして、bell、ビー・イー・エル・エルですね。彼の名前、それから取ったという意味でベルという単位があるんですね。これは素朴に、先ほどのような対数で定義される量なのですけれど、残念ながらそのベルにするとですね、巨大な単位を巨大なレンジ、巨大な幅の値を非常に簡単に表すことができるという意味では、便利なんですけれど、微妙な値、それを表現するときには、ちょっと大きすぎる。10倍100倍1000倍これはある意味で人間の感覚などには適した単位でありまして、私達が騒音が2倍大きくなった、あるいは3倍大きくなったというときに、実は音のエネルギーは100倍1000倍とそういうふうになっていることが多いわけです。私達の感覚器官というのは、強い刺激に対しては、次第に鈍感になるように非常にうまくできている。そういうことがあって、対数が使われているわけですが。ベルという単位だと大きすぎるというわけでデシベルという単位、いまでは小文字のD、大文字のBを書いて、よくいろいろなところにデシベル(dB)というのが出てきます。音響ファンの方であるならば、音響、そのアンプリファイヤーの能力、それを示すとき、あるいはレコードのノイズ、それが正しい音の情報の比、SN比と言ったりもしますが、そういうときもデシベルという単位は、不可欠のものでしょう。 デシベルっていうのは、dLを知らない人は、デシベルを聞いても意味がわからないのではないでしょうか。
一般に、学校で習ったことというのは、役に立たないということの方が多いわけですが、役に立たないことを習うということに私は意味があると思うんですね。役に立つこと、それを覚えたいのだったならば、学校なんか行かずに、早速仕事に就けばいいんだと思うのです。しかし、幼少期に学校に行って、日常生活とはちょっとかけ離れた価値のない知識であるかもしれないけれど、そういうものと触れることによって、学問的な認識、それが実践的な、あるいは日常的な認識と異なるものとして価値のあるものだということを理解することには、私は一生にわたる大きな価値があると思うのです。ですから、世界で使っていないものを学校でわざわざ教えている、馬鹿げているという議論こそ、私は馬鹿げていると思うのですね。もちろん、学校の先生が何を教えるかって言ったときに、そのバックグラウンドにきちっとした学問の体系が控えているということに確信を持てるくらい、きちっとした理解を持つことが必要で、ヒラメというふうに悪口を言われるように、上役のこと、上からどういうふうに見てもらえるか、そういう評価だけを気にして毎日せこせこと動いているというようでは、話にならないことはいうまでもありません。
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