*** 音声がTECUMのオフィシャルサイトにあります ***
一体長岡は何を考えて、こんなことを続けているんだというご懸念、ご心配、そういう声をいろいろなルートからいただいておりますので、それについて、正直にお答えしたいと思います。私がこのよもやま話というのを始めた動機は、単に「最近はFacebookとかTwitterとか、そういうもので情報発信することが大事である。理事長にはそういう理解がないのではないか」というテクムの若い理事の皆さんからのお叱り、ご指摘を受けて、しかしそうは言っても、私はSNSの様なものは、最も古くからのメンバーの1人であり、そしてそれに最も早く飽きてしまった人間であって、日本でも、もうほとんどの人が知らないと思いますが、日経新聞が主催していたものなどもあったのですね。それがいつの間にか会員が国外のものに移っていきました。私も、当初からそういったメディアも便利かなと思って、特に外国との連絡が気楽にできるということでもって、日本では最も最初のユーザーの1人でありました。
まだ日本に入っていてきていないサービスも、国際的には結構あります。その中でビジネスマンの皆さんに特になじみ深いのは、LinkedInでありましょう。これは一般の子供じみたユーザーが少ないこともあって、私は日本に入ってきたばかりのときには好んで使っておりましたが、やはりそれも飽きてしまいました。FacebookやTwitter社が、巨大な産業になるということに対して、私自身は、広告のお先棒を担いでいるのかというような、何といったらいいんでしょうか、自己嫌悪というか、猜疑心というか、そういうものがあり、次第に遠ざかってしまったわけでありますが、理事会で、「とにかく理事長はそういうことに無関心なのは、今風でない。何をお昼に食べたとか、そういう情報で良いのだから載せろ」と言われても、私は自分の写真を撮るという趣味は全くありませんし、自分のランチや、あるいは美味しい店の情報特に美味しい店の情報は、私にとっては昔それを人に教えてしまったために、それが全国の情報になってしまい、大失敗をした。つまり、それによって私は美味しいものをひっそりと楽しむということができなくなってしまったわけですね。入手しやすかった日本酒が手に入らなくなることもありました。そんなこともあって、そういう本当に大切な情報というのを、私はあまり一般には公開しないことにしてしまったわけです。そうなると、理事会の決議にも関わらず、理事長は理事会の意向に沿っていないというか、理事会の総意を無視しているということになりかねませんので、私は私なりの情報発信はするぞということにしたわけです。
しかし、そうは言いながらも、何と言っても私は最近視力の低下が著しく、しかも海馬の動きが悪いのか、左手の指と右手の指が連携が悪くなりまして、例えばkaを打つときには、普通は右手でkを打ち、左手でaを打つ。指は違いますけど一瞬にして打てる。打つやすい文字なわけですね。同じことですが、kiのときには同じ右手でkとiを打つ。kuのときもkとuを打つ。koのときもkとoを打つ。これ全部左指だけなんですけど、kaとkeのときには左指と右指が交差しなければいけない。それが、昔は右の方が早く左の方が遅く、私は右利きですから、そういう順番で打つのは得意だったんですけど、最近脳の連携が悪くなって、どうもその指の運動が、脳の指令と指の動きが逆になったりすることがあるんですね。akとかekとか、そういうふうになってしまうことがある。本当に情けないんですが、タッチタイピングがすごく不得意になりました。ですから、タイピングもできない。
目が悪くなったんですから、完全なタイピングができるんでしたら、まさに昔タッチタイピングのことブラインドタッチと言ったぐらいで、盲目であってもキーボードは使える。私の友人に盲目の人はキーボード使いこなしているわけですね。ですから、本当はそれができるはずなんですが、脳の動きが悪くなってきたときには、これ一種の障害でありまして、障害という言葉を言うと差別発言だっていうふうに大騒ぎする人が最近増えてきたのは不快な話でありまして、私自身がその障害を持っているということ。その障害者を差別するということではなく、その障害を負っている自分の身を嘆いているだけのことです。そういう障害を持つとキーボードを打つことも不得意になる。目が見えないですから、打った結果が間違っているということがだいぶ後になってからでないと気がつかない。私の場合、今、小さなスクリーンでは文字が読めないので、それを大きなディスプレイに拡大して映して文字を確認する。そういうような有様です。
しかしありがたいことに、テクムの事務局長が、「それだったならば、音声入力してもらえれば、その音声入力の自明な間違いを直して、アップロードしますから、録音だけしてください」というお申し出を受けたわけです。そしたら、そこまで言われたらやるしかないと思って、始めたものがこれなんですね。いろいろなテーマを模索しておりましたから、まさに1人の理事がつけてくださったように「よもやま話」というのにふさわしく、真にいろいろな話を雑多にしていたわけであります。テーマを持って一貫して話すとなると長くなるので、せいぜい15分くらいにまとまるように短くお話するようにしました。決めたのはそれだけで、毎回毎回思いつきで話していますから、全然一貫しておりません。だから、どんな気持ちでやっているのかと言われたら、一言で言えば、自分が感じていることをできるだけ端的に伝えてみたい。伝えたみたいと思う本当の対象は、今はまだ幼い子供たちかもしれない。まだ生まれてきてない子供たちかもしれない。私が世の中から消えた後、この情報が何らかの形で残って、私がいなくなった後、このようなことを考えていた人生の先輩がいる。私にとって、例えば江戸時代の儒学者が考えていたのはどんなことであったか。こういうことであったかとハット思い当たって、その苦悩の胸中を察するということが今でもあるわけですが、ちょうどそんな感じに何年か後何十年後、あるいは100数十年後そういうふうになれば、それも楽しいなと思って、やっているということです。
そうして、こういうような簡単な情報発信でないと、本格的な情報発信をしなければいけないと思うと、それだけで肩に力が入るというか、心の準備あるいは全体を描く構想とか考えて、そのためにほとんどの時間を費やしてしまう。いつまでたってもできないっていうことになりかねない、ということが背景にありますね。既に編集者と約束している本だけでももう何冊も増えてしまっていて、それを私が生きている間に実現することができるかどうか危ぶまれる状況でありますけれども、このよもやま話を通じて、そういうまとまったきちっとしたものでないとしても、私が生きてきた足跡の一つとして、若い世代の人に残しておきたい。そして若い世代を育てる若手の先生たちに残しておきたい、という気持ちが大きくあるということです。
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