長岡亮介のよもやま話361「パイロットになれば女なんか自由自在だという馬鹿げた言葉について」

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 「金で買えないものはない」という言葉に関して、「この職業に就けば女は自らついてくる」という言葉があるのですが、例えば今から10年前だったら国際線のパイロットって言えばもてまくるというようなことが、まことしやかに言われておりました。私は私の友人の中に給料の高い国際線のパイロットがおりますが、彼が私にしばしば言っていたのは、「長岡プライベートジェットを持ってくれ。そうしたら俺はお前の専属パイロットになるから」という言葉でした。要するに、超大型旅客機を運航するというのは、パイロットにとっては自分の収入を確保するための手段なのでしょうが、その彼に言わせると、「これはバスの運転と何も変わらない。もしかしたら今、東京の中でバスを運行する方がよほど難しい知的な注意を必要とすることである。それに対して、大型旅客機を運航するというのは、それほどの知恵さえ必要としない。つまらない仕事である」という言葉でありました。だから、私の専属パイロットになって、世界中いろんなところに長岡のわがままを存分に聞いて、自分ならではの飛行をしてみたい。そういう野心を私に語ってくれたのでした。

 日本の田舎娘が都会のパイロットに憧れる気持ちはわかりますが、私は田舎娘と言いましたが、今や日本の田舎でもそれほど田舎であるパイロットが憧れの職業であると思っている女性は、よほど学のない人間でありましょう。私が子供の頃は、バスのガイドさんというのが、女性の憧れの職業であった。今でも鉄道の車掌さんになるということを夢見ている鉄ちゃん鉄子と言われる人々がいますが、そういう鉄道の運行をする、あるいはそれに責任を持つという仕事が、ものすごく少年少女の大きな憧れであった時代がありました。それが今でも続いていることが私は理解できないことであるわけですが、こんにちでさえしょっちゅう止まる非常にダイヤの厳しい電車の中で、復旧が短い時間で行われるということに対して、私は敬意を表しております。単なるコンピュータのプログラミングではできない難しい制御がそこで行われているに違いない。そういうことは想像するだけで簡単にわかることであるわけです。目に見えないところで、大きな叡智が働いている。大変な汗と涙が働いているということに、私は深い敬意と尊敬そして感謝を持っておりますが、一方でそういうことを何もわからずに無責任にがなり立てるそういう人々に対して、生理的な嫌悪感、「この無教養者め」と言ってやりたくなる気持ちがあり、私が人間として出来が悪いということを、自分自身がそのたびに反省するわけであります。

 私は、人々が憧れであるというふうに思っている世界が、まだパイロットのお嫁さんになりたいというくらいであったならば、かわいいもんだと思いますが、それが「YouTuberになって、広告収入で、サラリーマン収入よりも高い収入を得て、早く引退して、ゴルフとテニスに明け暮れる毎日を優雅に過ごす。」こんなことが、子供たちの夢になっている。そういう世界を私達が残したとすれば、何よりも若い世代に対して私達が責任を負っているっていうこと。それを皆さんと一緒に、強く感じなければならないと思います。

 パイロットになればいくらでも女にもてるなんて言っている馬鹿な男。あるいは、それについて行く馬鹿な女には私は興味ありません。そういう人が未だにいるということは、いろいろな背景があるんだと思いますけれども、パイロットやスチュワーデスの制服は軍隊の制服ですね。軍隊の制服っていうのは、世界中でかっこいいわけです。そのかっこよさ、表面的なかっこよさの陰に何があるか、ということを想像する。その人間的な想像の力を私達はますます研ぎ澄まさなければいけない、と考えております。

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