長岡亮介のよもやま話358「近頃の体調回復に関するご報告,嚥下という高度で不思議な機能と人間の声によるコミュニケーション」(5/21)

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 今日は多くの方からご心配いただいている私の病気の症状について、現状を報告したいと思います。私は食道がんと言っても、咽頭の近くにあるかなり上部の食道の上皮扁平がんという診断で、それが食道の周囲の6分の5にまで達していたので、一般には大がかりの手術、背中が肋骨を何本か追って食道を露出する、というような大がかりなシー手術をやらなければいけないというのが医者の標準的なハンドブックに書かれていることだったのですが、私の医師はガイドに従わずに、私のためにより簡単に済む手術方法で取り組んでくださいました。大変深く感謝しておりますが、部位が悪かったということと、それから取り除く組織が大変に大きかったということでもって、私はとても元気に暮らしておりますが、後遺症にはかなり悩まされています。

 後遺症というのは実に不思議な話でして、私は呼吸は普通にできるのですけれども、いわゆる食べ物を飲み込む嚥下、燕のようにごっくんと飲み込むことができない嚥下障害という症状に悩まされているわけです。一切嚥下ができないかというとそうではなくて、例えば唾液のようなものは口に溜まればそれを飲み込むことはできる。水もサラサラの水であれば飲むことができる。水でなくてヨーグルトのようなものであればすっきりと喉に通すことができる。さらに、今風でありますが、ウィダー インゼリーというような栄養食品であれば、それを何とか飲み込むことができる。そういう状況ではあるのですが、いざ一般の食べ物ということになると、なかなか一筋縄ではいかない。例えば、湯葉のような非常に繊細な食べ物であっても、その湯葉をいただいたときに喉に一旦詰まってしまいますと、それから30分くらいはどうやってもにっちもさっちもいかない。上に上がってくるのは、飲み込んだときの水とか食べ物だけであって、詰まっている本体は出てこない。だからといって下に行くわけでもない。詰まり続けるわけです。

 それを「食道狭窄」と、難しい言葉で言います。医学用語は一般に漢字が難しい言葉が多いんですが、どうってことはない。狭くなっているというだけの話です。この食道が狭くなっているということも、食道自身が自分で治癒しよう、治ろうと思っている努力のプロセスでありまして、それは食道の上皮を大きく剥がれたわけですから、その食道がいっぱいいっぱいにひっつれて、その傷を治そうとしてくれているのは、本当にありがたい話なんですが、私自身からすると、飲み込みができなくなったということでもって、食事が取れないということで、苦しんでいるといえば苦しんでいる。悩んでいるといえば悩んでいるわけであります。

 が、先ほども申し上げたように呼吸が苦しいわけではないので、嚥下障害というと、その症状は大げさに発言するわけでありますが、しかし、本人はそれほど厳しい病床にあるわけではない。ただ栄養がとれないので、何としても栄養を取らなければいけないと、いろんな工夫をしているありさまでありますけれども、こういうふうに体が不自由になってみると、飲み込むなどという誰でもができることがなかなか大変なことである、ということがわかります。食道と気管というのが、肺に行く気管と胃に行く食道とで分岐していて、それがいわば開閉の蓋のようにして、食べ物が通るときには食道には行くが気管には行かないようにする。万一気管支に入ったときには大変ですから、むせてそれを吐き出す。人間の自己防衛の反応でありますね。むせることによって食道から間違って気管の方に入った食料を吐き出しているわけです。素晴らしい人間の機能ですね。よく、気管に入れてしまって誤嚥したっていう人がいるんですが、気管に入ってしまったら、もうこれは大変なわけです。我が国は老人が長生きするようになっておりますけれども、その老人の75%は誤嚥性肺炎で亡くなるというくらい、気管に食べ物を入れてしまうというのは、末期の老人にありがちな病気、病気というよりいわば自然の働きなんだと思います。

 そういうものを予防するためにいろいろなことが工夫されてはいますが、それ以上に私がびっくりしたのは、咽頭とか、声帯とか、あるいは気管支に蓋をする装置っていうのが、私から見ると喉元に一体になって存在しているんだと思っていたら、そうではないんですね。私達がいわゆる「喉ちんこ」と言われるひらひらの部分、その奥に嚥下するための、ごっくんする機能があるわけですが、ごっくんする機能の上にもしかしたら声帯があるのかもしれません。声帯というのはご存知の通り、高周波のブーンという音を出すだけなんですね。そのブーンという声帯の振動を声という豊かな音に変換するためには口腔構造が大いに関係していて、その口腔構造の中には口の中の舌とか上顎とか、それも大きな役割を果たしている。これを皆さんは英語などで習うことだと思います。

 声を出す上で、声帯よりさらに奥に妙な空洞がありまして、その空洞部分に私の食料の一部が詰まり、それがまた食道に詰まる、というような仕組みになっているような気がするのですけれど、本当のところはわかりません。そこにある種の空洞が、私の声を作る上で非常に重要な役割を果たしているということです。ある意味で、人間は声という非常に繊細なコミュニケーションの手段を手に入れ、その過程で嚥下に伴う生死の危険というリスクを背負った、そういう悲しい存在であると言ってもいいかもしれません。それは悲しい存在であるのではなく、そのことを犠牲にしてでもコミュニケーションを重視しようとした、私達の進化の本当に素晴らしい成果であると私は思うんですね。私は普段は声を出すというようなことは、特に意識しなくても誰でもできることと思っていますが、声を出すことも、唾を飲み込むこと、食事を飲み込むこと、嚥下するということにも、ものすごく複雑なことが絡み合っていて、人々はそれを単純化して説明しようとするのですが、単純化して説明すればするほど、実は真実から遠くなるということを私は感じています。

 いろいろなトレーナーの方が私に嚥下についてのトレーニングをしてくれましたが、それは全て無駄であったということを私は感じています。それくらい嚥下は難しい。その難しい嚥下を何なくとこなす人間の能力、その意識しない人間の持っている能力の素晴らしさに、改めて深く感動する日々です。こんなふうに私は回復してきておりますので、皆様あまり心配なさらないで、ください。若干のがん細胞が体の中に残っていて、それに対してどういう治療をするかという方針が、まだ定まっておりません。私は、がんに対して積極治療をするという気はサラサラなく、がんとともに私の人生を全うしたいというふうに考えておりますけれども、それも簡単ではないことではあると思います。でも、人間は人間の体の中でさえほとんどわかっていないということを、病気をするたんびにわかることは、とても楽しいことではあります。

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