長岡亮介のよもやま話344「現代社会を生きる上で、ストレスに負けないレジリエンスという力」

*** 音声がTECUMのオフィシャルサイトにあります ***

 現代では、しばしばストレスがかかるとそれに対して弱くなる。「ストレスをかけないように暮らしましょう」というようなことが、キャッチフレーズのように言われているのですが、精神的なストレス、ストレスは元々物理学の用語でありまして、“応力”ですね、力がかかっている状態。その応力に対してストレスを感じる。ストレスが溜まると、人間の気持ちが否定的な方向に進んでしまう。と、こういう言い回しで「ストレスから解放しましょう」というのが一般的なようでありますが、私に言わせるとストレスがかからない精神生活というのは、言ってみれば、人間にとって、人間的でない生活、考えることを知らない人間として生きる、そういう立場を表しているように思うんです。知的に生きる人間はストレスに囲まれている。あるいはストレスだらけであると言ってもいい。そういうストレスに対して、ある緊張感を持って、そのストレスの原因を探り、そのストレスから脱却する、その道を探るというのが人間の知的な活動の基本であり、ストレスは私は大いに歓迎すべきことで、ストレスのない生活っていうのは、言ってみれば精神が弛緩している。そういう状況でしかないと思うんです。

 ストレスに対して弱い人間。ストレスを感じると、それですぐ壊れてしまう人間。これは現代では生きて生きづらい人ということになってしまうわけで、ストレスの多い現代社会の中にあって、大切なのはストレスを感じない生活をするのではなく、ストレスに対して、そのストレスを受け止め、それを乗り越える力だと思うんですね。そのストレスを感じながら、それを乗り越えるストレスに負けない力、ストレスによって破壊され尽くさない力。そのことを化学の世界、特に高分子化学の世界では、“レジリエンス(resilience)”っていう言葉を使います。レジリエンスっていうのは、例えばポリエチレン樹脂の袋、これ引っ張るとちょっと弾性があって伸びますね。伸びますけど元に戻ります。ところがあんまり引っ張りすぎると、高分子の材質が破壊されてしまって、伸びたところからもはや縮まないという状況になってしまいます。そのところよりさらに進めると、破壊される。切れてしまうという状態になるわけです。高分子の材料を加工するときに重要なのは、弾性を保った限界、レジリエンスがある程度確保されている状況で、これが大変好ましいわけでありまして、私はそれを人間に例えれば、ストレスに囲まれた現代生活ではありますが、その現代生活の中で、レジリエンスの高い人生を生きていってほしいと願うんですね。

 ストレスを感じない生活っていうのは、ある意味で馬鹿みたいな生活であります。私達現代で生きていくと、ストレスを感じること。もうテレビのニュースなんかを見ると、ニュース番組を見るだけでうんざりしますね。世界の中で起きている様々な絶望的な不幸のNewsの先に、「では今日の天気予報です」とか、「今日の楽しいニュースである」と、それを連続して流している日本のテレビ番組を見ますと、一体この人たちは何を考えているんだろうと、私は非常に大きなストレスを感じます。そのストレスを感じて、それで頭にきてテレビをぶちっと切るというのも、ストレスを感じないための一つの方法ではあるけれども、そのストレスを受け止めて、日本国民は所詮この程度である。この程度の日本国民から出発しなければいけないということを考えて、明日からの自分の生活、あるいは今日からの自分の生活を組み立て直そうと考える。そういうたくましさを持たなければならないと自分で思っています。

 そういう言葉の中で、皆さんに今日覚えてほしいのは、“レジリエンス”という言葉ですね。タフ”っていう言葉もありますが、単にタフっていうのではなくて、応力に対して負けずに弾力的に返せる、そういう限界。そのレジリエンスの大きい生活を、私達は目指さなければならない。そういうふうに私は考えています。そして若い人にもレジリエンスの高い人物になっていただきたい。そう願っているということです。切れやすい人間というのは、レジリエンスの小さな人間でありまして、これではどうしようもない。それでは現状を変革するという大きな使命を託すわけにはいかない、と私は思うんですね。皆さん、いかがお考えになりますか。

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