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今回は、「ちょっとした知識でも自分の生活に接近して考える機会を得ると、それがとても自分にとって身近なものとなる」という例として、外国語を引きたいと思うんです。皆さんにとって英語はあまりにも卑近な言葉ですので、今日は珍しくドイツ語を引こうと思うんですね。皆さんはドイツ語の歌詞というと、おそらく「ベートーヴェンの第九交響曲合唱付」っていうのはありますけれども、その最終楽章で歌われる有名な歌を連想する人が一番多いんじゃないでしょうか。日本人はとにかく「第九合唱付」が大好きで、大晦日の恒例行事のようになっています。あのような大きな合唱団付きの交響曲、これを演奏するのに1年の締めくくりにふさわしいと大晦日の行事としては良いのかもしれませんが、本当はあの歌に込められているベートーヴェンの気持ちというのは、一年の締めくくりに歌うのではなく、本来は一年の最初に歌うべきではないかと私は思っているんです。なぜそうであるかというと、あれが「喜びの歌」というふうに日本で歌われることが多い。そういうふうに訳されることが多いわけですね。それは理由がないことではないわけで、ベートーヴェンの“Freude(フロィデ)”っていう言葉が何回も日本人の耳にもよく入ると思うんです。実はあの曲はベートーヴェンが詩を書いたというよりは、詩の冒頭部分だけはベートーヴェンが付け足しているんですけれども、詩の大部分はシラーという詩人によるものでありまして、最初の部分だけがベートーヴェンの気持ちを込めた加筆なんですね。その加筆の部分は“O Freunde(オーフロィンデ)”という言葉で始まっているんです。このFreunde、Freunds(フロィンズ)という言葉とFreude(フロィド)という言葉は、日本人からするとほとんど発音が同じなので区別してない人が多いかもしれません。そしてベートーヴェンの第九を歌うという人もドイツ語を勉強している人は残念ながら少なくて、ベートーヴェンの歌詞を上手に日本語に翻訳した翻訳の言葉を通じて、意味を理解して歌っているんだと思うんです。意味がわからなければ心を込めようがありませんから、翻訳を通して理解するというのは一つの方法ではありますけど、できればドイツ語そのまま理解したいですね。
今日お話したいのは、ドイツ語をちょっと勉強するだけでも、“O Freunde(オーフロィンデ)”というふうに言っている。これは「おー、友よ」と人々同胞に呼びかけるベートーヴェンの言葉なんですね。そして“nicht diese Töne! ”「こんな歌詞ではなく、こんなメロディー・こんなトーンではなくて」。 “Sondern laßt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere.” Sondern「そうではなくて、これ「not but構文」って英語だったら言うところのものですね。私達を、心をものすごく喜ばせる。angenehmere、もっともっと喜ばせる。undそして、freudenvollere「友達同士の絆をもっと深めるような友情に溢れた、そういう歌を」、というところで始まる。これがベートーヴェンのメッセージなんです。その後始まる合唱は、Freude、Freude、Freude、 Freude、このFreudeという言葉は、友達という意味のFreundeという言葉とよく似ているんですけど、意味は全然違っていて、「喜び」という意味なんですね。「喜び、歓喜」というふうに日本語で難しく訳しますけど、英語だったら、多分Pleasureというような言葉なんだと思います。そしてそのFreunde“友達”という言葉と、Freude“喜び”という言葉、それが交互に出てくるのが、この歌の非常に大事なところだと私は思うんです。ドイツ語をたった1時間でも勉強した人だったらば、例えばEUというふうに英語式に言えば、それをEUというふうに書いたときには、“オイ”っていうふうに発音するんだと。だから、Freunde“友達”の事はフロィントと言う。そして、喜びのことは、“Freude(フロィデ)”と言う。これもう1時間でわかるわけです。そのたった1時間でわかったことだけで、ベートーヴェンの第九がものすごく身近なものに感じられるのではないかと思うんですね。
このように私達の単なる知識、ドイツ語で、EUは“オイ”と読むとか、そういうようなことを機械的に覚えるだけでは何にも面白くない。君っていうことをeuch(オイシ)って言いますが、euch(オイシ)っていう発音、そういう2人称の目的格のときのeuch(オイシ)、そういうのを ich(イッヒ)から順番に覚えてく。そういうような機械的な暗記しているだけでは何にも面白くない。でも、自分の知っている世界に自分の知識が生きているということがわかると、全然違いますね。私がこの話をしたのは、今日私は珍しく朝起きして、いや朝早く起きることは珍しくないんですが、朝早く起きて眠かったこともあって、久しぶりに聞いてみようと思って、グレゴリオ聖歌、グレゴリオ聖歌っていうのは昔の中世の音楽ですね、まだ和音が発明されてない短音階の非常に単純な音楽っていうふうに言えますけれども、それが非常に美しい旋律で、しかも合唱じゃないので、歌詞を聞き取るのがすごく簡単なんですね。歌詞はラテン語ありましたけども、歌詞が私でも知っている程度のラテン語で聞き取れる。歌詞を聞きながらその音楽を聞いていると、現代であると例えばバッハ以降であると合唱になりますから、ヨハネ受難曲とか聞いても、やはりそれがドイツ語として、あるいはラテン語として聞き取れるわけでは必ずしもない。それがくっきりと聞き取れるっていうのが、グレゴリオ聖歌を聞いて楽しかったなっていうふうに思ったことだったんですね。
皆さんはラテン語の経験はお持ちの方少ないと思いますので、皆さんがこれから必ず勉強するであろうドイツ語を例にとって、お話しました。ドイツ語は大学ではもう必修のようになっています。一番選択者が多いんではないでしょうか。でも、せっかくのドイツ語を勉強してもder des dem denとか、dir der den dieそういう定冠詞の活用を丸暗記するだけで終わってしまっている、そういう人が少なくないと思うんですね。ある馬鹿な大学で、ドイツ語で卒業できないという学生が溜まっていくのは具合が悪いということが教授会で問題になったときに、ドイツ語の担当教授に何とかして単位を出してくれという圧力が、無言有言含めてあったときに、ドイツ語の先生がもう本当に困って、いくら再試をやっても通らないっていうそういうレベルの学力の学生たちを30人ぐらい集めて、この中からかわいそうだが何名は落とすと、そのかわり何名は救ってやると極めて簡単な試験で、ドイツ語の試験とは言えないようなものであるけれども、ドイツ語と全く無関係とは言えない、そういう簡単なドイツ語の試験である。集まった順番に、「ドイツ語の単語を何でもいいから一つずつ言ってきなさい。1 eins アイン(ス) 2 zwei ツヴァイ 3 drei ドライ、それでもいい。」数を数えればそれだけで、その日が暮れるぐらいまで長くまで数えられるわけですね。1から数えて500万まで1ずつ増やしていったら大変な数になるわけで、それで十分成績が取れるとなれば、ものすごい簡単な試験なんですけど、 eins zwei drei、dreiまでしか知らないという学生多いんですね。4 vier フィーア 5 funfフンフ 6 sechs ゼックスと言えない。そういうレベルの学生たちでありましたので、直ちに破綻したわけですね。eins zwei dreiでは駄目なわけです。
かつての旧制高校の学生たちも、ドイツ語でニーチェやヘーゲル、あるいはときには「デカンショ」と言った話を聞きますから、デカルト、カント、ショーペンハウエル、それが旧制高校の学生の常識だったんでしょうね。しかしそういう学生たちも歌を歌うときはeins zwei drei、1-2の3(いちにのさん)っていうだけの話ですけど、かっこつけてドイツ語で言っていました。ドイツ語はそのくらい身近な言語であったんですが、なんとそのときに、数では言えないので、そのうちだんだんだんだんバームクーヘンとか、バームクーヘンとはバームは木で、クーヘンとは食べるって言うだけの話で、それを二つの単語くっつけてバームクーヘンっていうお菓子の名前にしているんですが、そんな名前が出てきて、やがてフォルクスワーゲン、フォルクスワーゲンっていうのも国民の車People’s Carというようなドイツ語ですね。ヒトラーがナチスの政権を高揚させるために、国民車として開発を命じたもの。それが今でも愛される車としてフォルクスワーゲン、フォルクスっていうのは民族の、人々の、大衆の、という意味ですね。
例えばオペラでもみんなが安く見ることのできる大衆的なオペラは、フォルクスオーパー(Volksoper)と言いますね。フォルクスオーパーに対して国立歌劇場なんかでやる難しい歌劇、それはシュターツオーパーでやるわけです。“フォルクス”は大事な言葉なんですが、そういうことは知らない。フォルクスワーゲンを車の名前として言った。そしたらその次に、アウディとか、ドイツ車の名前をメルセデスとか言ったやつがいて、いかにも馬鹿な医学部の私立の学生が集まっている大学らしい話だというふうに思いますけど、それが進んでいったときに、本当にとんまな話で私は笑ってしまうんですが、アルファロメオとかって言っちゃったやつがいるんですね。そのときに先生はブッーブーと言って、「それはドイツ車ではありません。イタリアの車です。」その学生は単位を落とすという運命になったということですが、教授の教授でありますが学生も学生でありますね。その教授の悲哀を思うと、私も本当に切ないものがあります。
ほとんどの人がドイツ語を勉強しても、ドイツ語を内面化するという機会を得ていない。私は、せめてドイツ語で一つの歌でも歌ったら、だいぶ違うんじゃないかと思います。私は皆さんにおすすめしたいのは、シューベルトの「Winterreise(ビンタライゼ)冬の旅」という歌曲集の中の歌でありまして、その中には私達にとっても非常に親しみやすい歌が入っています。どれもシューベルトらしい、非常に素晴らしい曲ですね。その「冬の旅」の中から、たった一つでもいい。あるいは一つの文章だけでもいい。一つの歌詞だけでもいい。そこのドイツ語を勉強すると、ドイツ語はとても身近になると思うんです。例えば、私が言ったのは、菩提樹という歌、皆さんご存知だと思いますが、菩提樹の歌がシューベルトに由来しているということは多分知らないと思うんです。「菩提樹の木に寄り添って」というメロディーも美しいんですが、詩もとても美しい。ぜひ、ドイツ語を勉強したときには、シューベルトの「冬の旅」を1曲でいいから、ちょっと勉強してみる。そういう勉強を進めたいと思いますね。身になる勉強、ためになる勉強というよりは、生涯忘れない思い出となる勉強という意味で、こういう勉強方法をおすすめしたいと思うわけです。
コメント
こんばんは。
アルファロメオには爆笑してしまいました。
医学部は、秀才の集まりだと思っていました。