長岡亮介のよもやま話277「情けない国に住む覚悟は?」

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 私が学生時代、私達学生のような若い世代の人間に対して、ちょっと先輩の人たちがそれを評論するのに、政治的無関心Political apathyという言葉を使って、よく言われました。私達は政治の問題に関心を持っているつもりでおりましたが、それはごく表面的な政治の問題で、本当に国をどうするかということについて、深く考え抜いて行動していたというわけではなく、あまりにも時の政権の強引なやり方に対して反発をしていたという程度であった。そういうことを評して、Political apathyという言葉を使われてしまったんですね。少し悔しい思いをしましたけれども、言われてみれば、本当に私達は政治の問題について深く深く考えてきたわけではない。私の場合で言えば、普通に大学生になるための勉強をし、その中で数学を志すという生活を送ってきただけだったわけです。そういう人間が、先輩から見れば、なんと政治に対して音痴であろうと、そういうふうに思われても仕方がないところもあると思いました。私はこの年になって、政治には依然としてあまり関心がない。むしろ、本当に良い政治というのは民主主義社会の中でありうるのだろうか。そもそも民主主義という言葉を掲げている社会においては正しい政治は行われないんではないかと、大変Pessimisticに考えることが多くなりました。

 従って、若い世代の人が政治に無関心であるということも、今の政治がこういう状況では、それを変革しようというときに変革する方向が若い人たちもにもきっと見えないよな、そういうふうに思わざるを得ません。なぜか、それは政治が非常に厳しい決断をしなければならないときに、厳しい決断をするのを避けて、それを先送りして、とりあえず今人気が出ればいいと。まるでテレビのタレントと同じような感覚ですね。テレビのタレントたちがいかに破廉恥な広告宣伝を担っているとしても、自分が売れればいいや、別にその商品に対して責任を持つわけじゃないし、自分はただのタレントだし、と思っているのと同じように、政治家も今は政治家として暮らせればいいや。そういう思っているんじゃないかと思わざるを得ない状況が続いているわけです。実際、今私達は物価高であるとか、あるいは低賃金であるとか、社会保障費の急上昇による国債の爆発であるとか、そういう問題を抱えているんですけれども、政治家誰一人、「国民がこれだけ苦しんでいる。だから、私達はもっと我慢すべきところは我慢しなければいけない」という人が一人もいませんよね。

 なんで私達の財政がこんなに苦しいのか、一言で言えば、社会保険料が高すぎるからなんですよね。それは国際的に考えてみれば、ほとんど明らかなことであると思います。社会保険料というのは、年金とか何かを連想する人がいるかもしれませんが、年金はとっくに破綻していまして、もう私達の時代には、自分たちの納めた金額をもらえるはずがない、そういう世代に突入しています。これを聞いている若い皆さんはきっともっと悲惨な状況になるでしょう。年金は既に破綻してしまったんです。既に破綻しているのに破綻してないふりをしているもの、これが一番日本を苦しめる大きな原因なんですが、それは健康保険なんですね。要するに、医療費が爆発している。この爆発する医療費を、国民健康保険とかいろんな仕組みで補填しているんですけど、補填しようがないほど爆発している。一時厚労省、昔は厚生省と言ったと思いますが、医療費の抑制に乗り出した時期もありました。しかしそれは、患者である老人と医師会との猛反対にあって、潰れている経緯があります。今、社会保険とくに健康保険に手を出すということは、政治家や官僚にとって、自分たちの政治生命を終わらせるという危険をはらんだ爆弾のようなものですね。そしてその爆弾はいつか大爆発をするということは、数学的にはほとんど自明の理なのに、その爆発を自分の定年までは何とかしようというような感じで、どんどんどんどん先延ばししている。

 しかし、皆さん考えてみてください。これから、私も含め老人はどんどん増えていく。そしてその老人たちのかかる病気それはどんどんどんどん増えていく。そして増えていく老人の病気に対して、今の発達した医療は高度に専門的な医療という、非常に高額な医療を使って治療をすることができる。しかし、老人にとって本当の意味での治療というのはあり得ないわけですね。若返ること以外に治しようがない病気はいっぱいあるわけです。ほとんどが遺伝病だと言って私は差し支えないと思います。やがて私達の医療が現在よりもさらに進めば、ほとんどの病気が生活習慣と遺伝によって形成されているんだということが明らかになる日が来ると思いますが、そのことが明らかになるまでは、みんな自分がいつ死ぬかわからないので、そして死ぬことは怖いとみんな思っているので、その死が一日でも遠くなるように、そしてそうふうに死を遠ざけるということがビジネスとも直結するということであれば、医療関係のビジネスっていうのはものすごい巨大なんですね。その巨大な資本が医療を取り囲んでいる。そして、医師は今やそういう医療に対して、逆らうというようなことがほとんどできない。医師は決して国家公務員なんかではない。地方公務員のわけではない。しかしながら、実際上行政の言いなりになっていく以外に、自分たちの生きる術がない。その行政の言いなりになっていきさえすれば、最低限あるいは最低限の何倍もの収入を得ることが保証されている。そういう意味で特権的な公務員って言ってもいいかもしれません。

 本当はお医者さんたちも、医療が破綻しているということはよくわかっている。というのも、実際に一昔前の開業医は自分の子供を医者にしようとしましたけれども、今のちょっと気が利いた本当に最先端で頑張っているお医者さんたち、大きな病院の指導的な臨床医たちは自分の子供を医者にしようなんて全く考えていません。それは「医療がいかに未来が暗いか」ということをよく知っているからです。首都圏では、もう誰の目にも明らかでありますが、歯科医師が明らかに供給過剰になっていて、過当競争で本当に歯医者さんたちは大変なわけです。そのことは首都圏に住んでいる人には明らかです。それでも地方に行けば、歯医者さんが足りない地方はいくらでもあると思います。それは地方では儲からないからですね。一方首都圏ではまだ診療を開始する、つまり開院する、あるいは医療法人を設置する医師が後を絶ちません。まだまだいけると思っている人たちがいっぱいいるからです。しかしちょっと気の利いた人は、まともな医療法人を立てる代わりに美容整形のようなもの、言ってみれば顧客満足を売る商売に転向していますね。「人の命を少しでも充実させる。そのために医者になった」という初心とは無縁に、自分の懐を肥やすということを最優先にする。それは顧客の満足を最優先するということも大切なことかもしれないですけど、本当の意味での顧客の満足を大切するならば、美容整形で得られるかすかな「美」の増加よりも、遥かに大きな「美」の増加方法があるわけですね。それはスポーツジムに行くとかっていうようなこともあるかもしれませんが、それ以上に大切なのは、心の充実、心の美しさ、それを磨くことですね。しかし、そのことはお金になりませんから、それをすすめる医師はいません。今、本当に世は末世だと思いますけど、そういうようなわけで、医療費が今高騰していて、そしてそれがやがて破綻するということを、専門家たちはわかっている。厚労省の役人もみんなわかっている。でも、自分がそのやめるという運動の中心になる、そのきっかけを作るというのが嫌なんですね。それで責任を取る、そして冷たい人生の荒波を送っていかなきゃないという厳しい運命に自分だけが晒されるというのは割に合わないと、一般の人は考えているんでしょう。

 そういうふうにして、国の財政はボロボロになっていくわけです。資源がない。そして、食料さえも自給できない。そんな国で、今、国防費を上げるというふうに言っている人がいるんですが、日本を攻めてくれる国が本当にあるんでしょうか。日本はそれだけ、攻められるだけの価値がどこにあるのでしょうか。農家に行っても、実際にそこで働いている農業労働者は、外国からの労働者が少なくありません。本当の意味で、日本の産業で日本人の力で海外の人にとって魅力的な、そうなっている産業というのは、もう本当に国内では例外的になってしまったように思います。そして、そのような惨めな状況である日本が一番惨めであると思うのは、自分の惨めさが全くわかっていないということです。つい最近まではウクライナ問題が朝晩のニュースの中心でした。今はガザ地区の問題、これがニュースの中心です。しかし、そのニュースの後に必ず来るのは、では次にスポーツのニュースです。そして次に天気予報です。こんなおめでたい国に私達は住んでいるということを、わたしはとてもとても悲しく、情けなく、感じています。

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