長岡亮介のよもやま話253「物価危機より深刻なこと」

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 昨今のガソリンなどの原油製品から作られる製品の値上がりは、私達庶民にとっても衝撃的と言っているほどですね。私の場合、そんなに頻繁に車を使うわけではありませんけれども、ガソリン価格の上昇というのはびっくりします。1万円札でお釣りがこなかったという経験は、今まで人生で一度もしたことがなかったからです。そんな折、日本政府は原油の卸業者に対して、価格を少しでも安くするために、財政的な支援をして、つまり、製品を出荷する価格に政府の補助金分の価格を差し引くことによって、市場における原油から精製された製品の価格の上昇を抑えようとしているという話です。

 何もわからずにこの話を聞くと、自分たちが払うガソリン代が政府の補助金によって、少しでも減らすことができるならば、それは生活は楽になるなと、そういうふうに感じる。なんと政府は心優しいんだろうと思う人もいるかもしれません。しかし、政府というのは、私達1人1人が払う税金によって成り立っているわけであります、健全な政府ならば。日本のように税金で成り立っていかない。税金だけでは足りない。そういう予算を組んでいる国では、国債という将来の世代への借金によって、そのお金を払っているという非常に深刻な事態が、裏でまさにその直接的な背後で進行しているんだということ。そのことに、私達はもっと敏感に反応しなければいけないんではないかと思うんです。

 それは確かに、小麦にしろ、食用油にしろ、ガソリンにしろ、私達の日常生活に近いところでものすごく物価高が襲うということは、私達の生活を圧迫する大きな要因となりますけれども、元々それを我が国が輸入に頼ってきたという過去の私達の政策に基づく結果であって、海外における市場の価格の上昇が背景にあるとすれば、私達はそれを購入せざるをいう生活をしているならば、価格の高騰を受け入れなければならないということになるのではないでしょうか。もちろんその価格の高騰を他の予算を使うことによって抑え、そのことを抑えることによって浮いたお金、そこで生じるお金でもって、その補填金を逆にちゃんと調整して補填する。そういうことができれば、それは立派な政策であると思いますが、一方的に国債を発行し、国の借金でもって、国民の生活を安定させたかに見せる。これはいわゆるポピュリズム・大衆迎合主義の政治の典型でありまして、「自民党政権は、誰が総理になっても変わらない」というふうに言われておりますけれども、今の政権になってから、ちょっとこの間まで一世を風靡していた“ネオコン”と言われるような考え方の政治家、言ってみれば、小さな政府を志向する政治思想で、アメリカで言えば共和党が代表でありますけども、その小さな政府というのは、政府がやることは小さく、民間でやることに期待をかけようということ。反対に、民間がやることに全てを任せていたら、それで悲惨な人生を送らざるを得ないという人が存在しうるのであるから、そういう人々のことも考えて、いわゆる最近ではもう死語となりましたが「社会民主主義的な政策」、社会主義とか共産主義とかって謳うんではない資本主義の枠内でありながら、一種の計画経済的な国家的な経済に対する介入。ニューディール政策として世界史でも習った有名な政策でありますが、そのニューディール政策の成功以来、世界のいわゆる先進国における主要な政策の柱となってきました。

 アメリカはその民主党の社会民主的な傾向と共和党の小さな政府の政策、その間で揺れ動いてきたわけでありますが、日本のように一貫して、あるいは世界に先駆けて、最も先進的に社会民主主義的な政策を推し進めている国、私はある意味で日本の社会民主主義的な政策は、その結果平等という達成目標を見ると、どの社会主義国よりも徹底していると言ってもいいくらい、日本の社会民主主義的な政策は共産主義に近いものだと思います。けれども、それは共産主義のような理想に走ってそういう政策をやってるんではなく、政治家の延命のために、あるいは大衆迎合で、自分のところの政党が政権を維持するためにそういう非常に矮小な自己保身的な願望、それを元にした政策の結果であると思いますが、そういう政策によって、ある意味で、社会主義的な保証というのが得られているわけですが、社会主義的な計画経済をするならば、その計画をしたときに、どこで取り戻すのかっていうことが、当然計画にきちっと盛り込まれなければならない。しかし、日本の社会主義経済は計画をどんどんどんどん先送りというんでしょうか、国債の返還をいつにするのか、そういう問題出るたんびに、それをどんどんどんどん順送りに先送りにしていく。自分の時代にはいいだろう、その次の世代の問題として解決してもらおうと、そういうふうに考える。そうとしか思えない政策なんですね。今の物価高、原油高、非常に深刻な事態であると私は思いますが、この深刻な事態を乗り切るために、今の政権がリードするような国債をあてにした財政のバラマキで、それが本当に国民の幸せに繋がるのかどうか。それが経済的に見て、あるいは経済学的に見て、妥当なものであるのかどうか。私は日銀の政策を見ておりますと、この10年ほど経済学というのはずっと学問だと思ってきたのですが、それは学問としての経済学であって、実践的な経済の政策を立案する際の言葉遣い、それは学問の名に値しないものではないかとさえ、思うようになりました。最も頼りにしているGDPとかGNPとか、そういうデータそのものが、本当に表面的な経済現象を捉えているだけであって、経済の状況の本質、それに迫るためには、もっともっと別の指標が探求されなければならないと感じるようになったということです。

 話がそれてしまいましたから。話を元に戻しましょう。つまり、経済学というのは学問であるかどうかはわからない。だけど、そのくらいいい加減な経済政策でもって運営されている日本の財政、この危うさに対して私達はもっともっと敏感になるべきである。国が補助金をばら撒くことによって物価を安定させたかに見せる。これは単なる見せかけであって、ごまかしだと思うんですね。ちょうど赤子をあやすように、赤子が泣いているときによしよしよしとかって言って赤子を一時的に慰める。赤ん坊が泣くのはうるさいから、一時的な対策としてはいいかもしれません。しかし、いい大人の国民を、その赤ん坊扱いするということが、国家の政策として誰もが疑わないということは、私は異常なことだと思います。それはときにはですね、国の財政を動員して、補助金をつけなければならないっていう。場面があることは私も承知しています。例えば、日本の砂糖は沖縄地方で多く生産されているわけですが、世界の砂糖価格と比べると、沖縄で生産される砂糖の価格は大雑把には10倍ぐらい、まさに桁違いなわけですね。ですから、その沖縄の砂糖生産が国際的に敗退しないように、日本政府が沖縄の砂糖を高値で買い付ける。そして国民がそれを負担しているわけです。これには、いろいろな要素があると思いますが、様々な要因を説明すれば国民も納得することだと思いますね。私達は高い砂糖を買うことによって、沖縄の農業をサポートしているんだと、そういうふうに思えば半ば誇らしくさえあります。

 しかし、輸入される原油の問題というのをそれと同じように論ずることは全くできないのではないでしょうか。しかも私たちには財源がないっていうこと。これをきちっと踏まえなければならないと思うんです。私は、今若い人々が、100年後の未来を考えて行動するということに対して、大変素晴らしいというふうに心強く思っています。地球温暖化の問題。それは決して私達の世代だけの問題ではなく、自分たちの子供、あるいは孫、ひ孫、そういう世代が快適に地球で生きていけるための生存条件として、私達が今すぐ行動を起こさなければいけない喫緊の課題である。そういうふうに真剣に考えている若者がいることは、私は大変頼もしいと感じています。しかしながら、一方で、私達の未来は、若い人たちが思うように、100年後200年後があると考えることができるだろうか。私達の築いてきた文明は、あと数十年くらいで崩壊してしまうのではないかという不安を時には感じてほしい。今世界はそれほど危機的な状況にあるということを理解してほしいと思うんですね。私達は、100年後200年後の地球のために、私達が今なさねばならないこと。それを毎日自覚して行動することは大切でありますけれども、その自覚はもっともっとシリアスに、自分の身の回りのことと結びつけて考えてほしい。

 例えば、地球温暖化のための会議に人々が集まるそのときに、大量の人が飛行機で移動する。その飛行機の移動のためにどれほどの燃料が排出され、どれほどの炭酸ガスが作られるのか。ちょっとした計算で簡単にわかることであります。石炭火力発電をやるべきでないというのと同じような意味で、私達はできるだけ本当は航空機を使うべきでないと私は思います。場合によっては、私達は宇宙開発のためのエネルギー消費に関しても、全世界的な管理のもとに置くべきであるとさえ、私は時々思います。そのようなことを言うと、若い科学少年、理科が大好きな少年たちから、宇宙が大好き、ロケット大好き、人工衛星大好き、そういう人たちからそれを止めるなんてとんでもないというお叱りをいただくと思いますけれども、身の回りのことから出発して考えるということがとても大切なことで、自分のことは棚上げして、人のことを非難するというやり方はいけないということですね。わかりやすい例をもう一つ引くと、私達は、日本では新型コロナウイルス、国際的にはCOVID-19コロナウイルス感染症2019年型という病気のために、世界の人々のコミュニケーションあるいは交通が一時的に大きく抑制された。経済活動も抑制されたという経験をしたばかりであります。たったコロナウイルス1個で、あるいは一種でって言った方がいいでしょうか、突然変異を起こすので、何種と数えていいかわからないという面もありますが、それが大騒ぎしていたのは、ついこの間までです。今全くその大騒ぎがなくなっています。大騒ぎがなくなるということがきちっと学問的に証明されたということが、あるのでしょうか。私の知る限り、微生物学的にもあるいはウイルス学的にも、もうコロナウイルスというものはどんな変異をしてももはや最悪を起こすことはないということが証明されたという話は聞いておりませんし、またそれに対する免疫力を高めるためのワクチンが効くメカニズムが明確になったということも聞いておりません。むしろ深刻な後遺症に悩むという人の声がだんだん大きくなっているのを聞くと、胸が痛みます。

 私達は、ウイルス1個取ってみても、ものすごく大変。コロナウイルスというのは非常に特殊なものであったために、私達をずいぶん当惑させたわけでありますが、私達にとって身近なインフルエンザのウイルスにしても、今は1型とか2型とかA型とかB型とかいろんなことを言っておりますけれども、結局のところ、突然変異を繰り返しているわけで、それが本当に爆発的な突然変異をいつ起こさないとも限らない。特に今ウイルス学者が最も心配しているのは、鳥インフルエンザと言われているものが人間にも移るという形で変異することに対する恐怖です。私達今インフルエンザって言ってるのは英語ではswine fluって言いますけど豚インフルエンザ、豚由来のインフルエンザ、これがよく半世紀も猛威を振るってきているわけでありますが、鳥インフルエンザっていうのはその比でない感染力を持っている。鶏などが本当にホロコーストのように犠牲になっていますけれども、本当に恐ろしいウイルスらしいです。鳥インフルエンザって言われているものが、もし人間にうつるように変異をしたならば、これはコロナウイルスの比ではないと思うんですね。ウイルスのような非常に微小な病原性生命体って言っていいんでしょうか、遺伝情報だけの原始生物はともかく、もっと高級な細胞を持った細菌、スーパー細菌と言われているものが登場するということは大いにありうることでありまして、今まで何回もスーパー細菌は登場しているんですが、どういうわけか爆発的なブームになる前に沈静化してくれている。しかしながら、そのような恐ろしいスーパー細菌というのが登場し、私達の持っている医学的な武器が何の役にも立たないという日がいつ訪れるか、誰も知らない。そういう不安の中に、私達は毎日生きているっていうことを日々考えながら過ごさなければいけないと思うんですね。

 それ以上にさらに深刻なのは、人口問題でありまして、今開発途上国を中心として爆発的に上昇している人口数でありますが、今80億人レベルでありますが、それが100億人のレベルに達するのにそんなに時間はかからない、と見る人が多いですね。そういうときに食料問題は一体どういうことになるのかという問題ですね。もはや化石燃料から出るCO2のもたらす気候変動などという問題ではなく、本当に人々が日々飢えていく。そして飢えて生命を失っていくという状況が生まれる日が、そんなに遠くないところにやってきているということを考えたならば、私達が今日どのように行動しなければいけないか、今日何をしなければいけないかということについて、子々孫々のことを考えて行動をしなければならない。それは誠におっしゃる通りでありますが、それ以前に明日のこと、明後日のこと、そのことが実はもう既に問題となっているんだという危機感を強めていった方がよろしいのではないか、と私は思っております。私の持っている危機感はあまりにも老人性の心配性でありましょうか。

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