長岡亮介のよもやま話252「正義?誰にとっても?!」

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今日はアメリカの大衆娯楽映画に関する、ちょっと私らしい評論です。評論の対象となっている作品は、『ボッシュ』、ドイツ風の名前をつけた刑事。ロサンゼルス市警の刑事の話なんですが、彼の思うところの正義に向かって非妥協的に戦う。戦う相手というのは、決して犯人を追い詰めるというだけではなくて、自分の身内の警察官、警察官の中にも保身的な人々が少なくない。つまり、警察が市民から浮くと、それによって予算が減ったり、自分たちの出世が妨げられるはずですから、市民の関心を引くような行動をとる。そのことが正義感に燃える刑事ボッシュにとっては、自分の活動の足を引っ張る役割を果たす。そういうことに対して彼は常に腹立っているわけです。最近みた映画の中でこれは大変な大ヒット作で、もう本当に10年以上にもわたって連載された、連載というのでしょうか、続いたテレビ映画でありまして、Amazonのオリジナル作品であるということですから、テレビ局とは無関係かもしれませんが、大ヒット作品でありまして、その中に出てくる登場人物の、特に私は黒人の刑事が大好きなのですが、その刑事ボッシュのストーリーを彩る様々な要素がみんなかっこいいんですね。そのボッシュっていう名前の影に有名な中世のヒエロニムス・ボッシュっていう人が存在してたとかいうちょっとした彩りを飾る歴史的物語も入っていたり、ともかく楽しめる要素がふんだんにある。

 でも私は皆さんに今日お話したいと思ったのは、もっとすごく簡単なことで、昨日観た作品の中に、ボッシュに対して、そのボッシュのやり方に反対する立場で一生懸命頑張っている女性の警察官のような人がいるのですが、「正義が大切だった」というふうに女性が言うのですね。「正義が大切。」その通りですよね。でもそのときにボッシュの答えは、「誰にとっての正義だ。」という反論するわけです。つまり、正義という言葉を軽々しく使うなと。それは、ある側面から見れば正義に見えるかもしれないけど、他の側面から見れば、不正そのものである。そういう可能性があるんだということ。事実は一つだというふうに人々は気楽に言うけれども、一つの事実が、見る側によって全く違って見えるんだということ。従ってその背景を深く知らなければ事実を見ることなんかできっこないというセリフが裏に隠れているわけですね。そういう短いセリフ、切れ味の良い短いセリフの中に深い意味が込められているということがわかるという意味で、刑事ボッシュはなかなか面白い番組です。

 アメリカの刑事物とか、あるいはER緊急医療物、あるいは消防隊物、みんなそれぞれに面白い面があります。刑事ボッシュは、そのライター・シナリオを書いてる人たちの中にかなり知識のある人がいて、セリフを上手に飾っている。そこが何とも素晴らしいところに私には思います。そういうわけで皆さんに、これはAmazonの会員であれば無料で見ることのできる番組でありますし、そうでない人もきっと簡単に見ることができると思いますので、お勧めする次第です。

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    ボッシュ、早速見てみました。
    「誰にとっての正義だ。」
    この言葉を聞いた時に、東京大学の入試問題を思い出しました。(cf.1972.前期.第6門.)

    この問題の最後の文言は、数学の問題としては蛇足だと思ったのですが、私は大好きです。
    ボッシュのその発言に、通ずる部分があると感じました。

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