長岡亮介のよもやま話251「私の青春時代」

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 今回は、私のこの拙い話を聞いてくださっている方の1人からいただいた質問に、答えたいと思います。質問は要点をまとめると、「私(長岡)自身はこのように、まるで自信満々に喋っているけれども、挫折、言い換えれば自分の周りの人で自分より遥かに優秀な人に会ったことがないのか。そういう人と出会ったときに、もしあったとすれば、どういうことを感じたか」というようなご質問でした。言うまでもなく、私自身はものすごく素晴らしい友人に恵まれてきたと思います。本当に優れた人々に囲まれて、そのおかげで私は一生懸命勉強して、必死に頑張ってきたんだと思います。私がこのように皆さんに対して、おこがましい話と思われかねないことを語るのは、私自身がいかに多くの挫折、苦難、それを通り過ぎてきたかということ。それがバックボーンにあるからです。人間は多様でありますから、いろいろなことが得意な人もいれば、不得意な人もいる。私は、全ての人が何らかの意味で、神様から選ばれた特別の才能を持っているんだと思います。その特別な才能というのは、決して金儲けがうまいとか、こずるく世の中を渡り歩くのは上手だとか、この世の中でともすれば評価されがちな価値観だけではなくて、笑い顔が素晴らしいとか、その人の声が素敵であるとか、そういうものも含めて、ものすごくいろいろな人がいるわけですね。

 話を逸らさないように、いわゆる「頭の良さ」という問題に限定してお話したいと思いますが、私が本当に良かったと思うことは、優れた友人、特に学問において優れた友人に恵まれたことです。その優れた友人というのは、いろんな意味で優れているわけでありますが、普通の人が考えるように勉強がやたらによくできるという人、記憶力がやたらに良い人、そういうものも含めてともかくものすごく優れた友人たちでありました。私は自分の人生を振り返ると、小学校・中学校・高等学校・大学・大学院、そしてそれ以降といろいろあるわけですが、その中で最も楽しかった、全面的に楽しかったのは、小学生時代と大学生時代でした。小学校のときには、毎日毎日が新鮮な喜びに満ちていて、いじめとかそういうようなネガティブなこともありましたけれども、それでも友達からいろいろなことを学んで、とても楽しく過ごしました。今から考えると、すごく勉強がよくできる人、あるいは勉強ができなかった人もいたんだろうなっていうことはわかりますけれども、前にお話したように、私は転校を通していわゆる勉強の挫折というのも味わっているわけで、そのときにクラスの友達が何でも知っていてすごいな、本当にすごいなと感心したということは、まさに事実としてあります。しかし、その後、本当に数年で、短い場合には1,2年で、長い場合にも4,5年で、そのような秀才たちが必ずしもものすごい秀才たちだったのではないんだと、それは単に物事を覚えていただけだということ、それがわかってきたことは私にとって、すごく残念でもあり、また、勉強の仕方というものについて、私が子供の頃、小学生の頃、私を教えてくださった先生が、本当に重要なことだけに絞って私を教えてくれたっていうことに対して、深く感謝した、ものすごく大きな思い出です。

 ダントツに面白かったのは大学生のときです。大学生になって、本当に優れた友人たちにありとあらゆる分野で出会った。私は数学を専攻したいと思っておりましたので、数学に関してけたたましくよくできる友達にも、もう大学の1年生のときに出会いました。びっくりしました。私が当時一生懸命勉強しようとしていた解析概論という本を、小学校のランドセルに入れて持っていたというような友人もいて、数学の勉強に関しては早熟っていうことがあるんだなということを知りました。そして、私が想像もつかないような難しい問題、あるいは私がいくら頑張っても読めない問題、それを本当に私から見ると信じられないスピードで読破していく友人たちも見て、本当にびっくりしました。反対にそういう本格的な勉強になったときに、全く歯がたたない、私の出た大学では「五月病」ということがよく言われていましたが、地方から出てきたもう天下の秀才と思われていた人が、実は東京の大学に集まってみると、本当にボンクラっていうか、平凡な人間に過ぎないという事実を突きつけられて、人生に悩んで目標を失うっていうことをジャーナリスティックに言った言葉であると思いますが、私自身は「昔は冴えていたんだろうなと思う、プライドだけが高い、実は実力がない」そういう級友にも会いましたけれども、そういう級友は私にとって目新しいものではなかったわけです。それは、私が既に小学校のときの大秀才たちが中学校・高校で脱落していくのを見て、知っていたからです。大学も過半数は、そういったいわゆる受験秀才でありましたけれども、しかし、1%から10%くらいの人は本当に優れていました。私にとってその優れた人たちと出会うということが、大学に通う楽しみでありました。

 その優れているということは、決して数学とか物理とか、そういう自分の立場を専攻する分野に関して優れているというだけではなく、私が全くそれまでは理解していなかった領域、例えば哲学とか倫理学とか思想と言われるものについて、私は本当に表面的なことしか勉強してこなかった、全然その裏の意味、その真実の隠された意味、それを考えるということを全く知らなかった。ツァラトゥストラかく語りき、ニーチェ、そんな言葉を丸暗記する、そういうような馬鹿げた勉強しかしてなかったということ。本当に、原典と言いますがオリジナルテキスト、ニーチェの場合ではドイツ語で書かれているわけですが、そのドイツ語をもう大学1年生のときにはそれをスラスラと読む。そういうような級友に出会ったときには、本当にたまげました。英語なんかでさえ、読むのに四苦八苦している友人がいました。私は横浜で育ったおかげで、英語は高等学校時代は特にできるっていうふうには思っていなかったんですが、大学に入ったときには、私はクラス中で長岡は辞書を使わないで英語を読むと、みんなにびっくりされて、それ自身にびっくりしましたけれども、横浜では当たり前のことでありました。少なくとも私の友人たちの中では、それは平凡なことであったわけです。大学に入ってそういうふうに周りの人が意外に大したことないということもわかりましたけれども、そんな私の英語力なんか全く比較にならないというくらい、すごくよくできる人。それを私は今ドイツ語で話をしましたけど、ドイツ語とかフランス語とか、そういう平凡な言葉ではないんですね。デンマーク語でさえマスターしている。それは大学2年生の先輩でありましたけど、私はその方と生涯にわたるお付き合いをさせていただきましたけど、本当に大きな教えをその人から受けました。残念なことにその方はもう亡くなってしまいましたが、私が生涯の目標として生きてきた人生の、言ってみれば、私の伴侶というのが家庭内の妻のことであるとすれば、私にとって生涯の先生、私にとって生涯の目標となった人でありました。

 そのような優れた友人、今私は哲学のことを例に引きましたけど、それだけではないんですね。歴史においても、あるいは法律においても、経済においても、本当に優れた人々がいることは、私にとってとても嬉しいことでありました。私の大学はいわゆる総合大学でありましたので、教養課程のときには一つのキャンパスにまとまっていますが、3,4年になると、それぞれの学科にわかれてしまうわけですね。それぞれの学科にわかれてしまうと自分たちのいる教室も限られてくるわけですが、私は時間を見つけては、他学部の他教室に行って、そういう友人たちと一緒に勉強させてもらうということを、無上の喜びとしておりました。そのように楽しい大学生活を送ったということは、最初のご質問にお答えしたと思いますが、私は私よりも圧倒的に優れている友人たちに何人も出会い、その人たちに少しでも近づきたいと思って努力したということです。もちろん努力したからといって近づけるというほど生やさしいものではない。でもその人たちが優しく、私と一緒に勉強会をしようかっていうふうに言ってくれたときに、本当に手取り足取りであったと思いますが、私にいろいろなことを教えてくださいました。私自身が、今皆さんに対して、自分の専門以外のことについて多少なりとも喋ることができるとすれば、それは私が大学生時代に私を導いてくれた多くの専門分野の方から教えていただいたこと、そしてその教えをきっかけとして、私も少しは勉強しなければならないと思ったこと。それが大きいですね。

 私の友人の中にはものすごく読書家がいて、とにかく1日に1冊は必ず本を読む、できたら1日に3冊本を読むくらいものすごく読書家の人がいて、岩波文庫で出ているものは、赤いシリーズ・青いシリーズと昔はシリーズでわかれていたわけです。今もそうかもしれません。私はもう目が悪くなって、岩波文庫、今はかなり字が大きくなっていると思いますが、それを読むこと今ではできなくなりましたけれども、当時その小さな岩波文庫を少なくとも1日1冊は読む、岩波新書であれば1日3冊は読む、そういう読書家の人に出会ったときに、「何でそんなに本がたくさん読めるんですか。本を読むのは結構大変な時間を食うんではないですか」と言ったときに、その読書家の友人が私に言ったことは、「自分は読書の時間を取るために、全ての時間を倹約している。」そういうふうにおっしゃったんですね。私より1年先輩の人でした。その先輩が「長岡、お前は歯を磨いているんじゃないか」ってそういうふうに言ったんですね。「私は歯を磨きますよ。親からうるさく言われていますから」というような返事をしたんだと思いますが、「お前、歯を磨くために1日何分使う。それは1週間で何分で、1年間で何分である。その間に一体何冊の本が読めるのか。」そう友人が言いました。その先輩の言葉を持って、それから私はしばらく歯を磨かなくなりました。そして歯を磨く時間を読書や勉強に使いたいと思ったのですが、なんと私はそのために、歯槽膿漏になってしまい、かなり若い時代から歯を悪くしてしまいました。それは私の友人の教えでありまして、私は読書をする時間を増やすことはできたけれども、歯を磨くというための時間を減らすことによって、残念ながら自分の健康を、特に年取ってからの健康を悪くするという代償を払ったわけでありますが、人生はやはり何かを成し遂げようと思ったらそのためのコストはかかるという当たり前のことを考えれば、私自身が私自身の若い頃の選択を今から少しバカだったなとは思うものの、やはりそれはそれとして、若気の至りとはいえ、私らしい選択をしたんだと今は自分を納得させております。

 このように、失敗は数多くありますけれども、そういう中で、友達、優れた友達、もう絶対近づくことが接近することさえできない、そういうような優れた友人に出会ったということを、私は自分の人生において本当に幸運なことであったと感謝している次第です。私は常に自分より上の人を見つめて生きてきましたから、ある意味では、質問者がなさったように、私はコンプレックスの塊になった時代もあるかもしれません。しかしながら、私はそれを単なる劣等感というのではなくて、コンプレックスという言葉は日本では誤解されていますが、複雑という意味で本当はinferiority complex劣等複合っていう心理学の用語でありますね。そういう劣等複合に悩まされた時期もないわけではありませんけれども、私が私自身でもできることをやりたいというふうに考え、私の能力を、私の才能が与えられた限りの才能の限界まで発揮することが、私自身のいわば使命であるというふうに感じたのは、やはり優れた人たちが私をかわいがってくれたということが大きいかと思います。よく世の中では、優れている人でせこい人がいて、自分がちょっとできることを自慢して威張り散らすという人がいますけど、私の経験では、威張り散らす人は実は大した能力を持っていません。私が尊敬する本当に優れた人々は、みんなものすごく謙虚な人々です。自分の力というものを発揮することに関しては貪欲でありますし、能力のない人に対して、君はその能力がないっていうことを明確に言いますけれども、しかし、だからといって、偉そうに振舞っているのでは決してないということを、最後にお話したいと思います。本当に優れた人は、実は人格的にもとても優れていることが多い。人格的に劣っているという人は、いわば能力的にも本当に優れているわけではない。いわゆる受験秀才とかって言って周りからちやほやされているという人は少なくありませんが、そういう人たちは所詮その程度でしかないということです。世の中には本当に優れた、そしてとても立派な人がいるということが、私がこの困難なしょうもない世の中を頑張って生きていかなければいけない、私なりに努力していかなければいけないと思う最大の理由と言っていいかと思っております。これで、お返事になったでしょうか?

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    私の質問は、

    「私(長岡)自身はこのように、まるで自信満々に喋っているけれども、挫折、言い換えれば自分の周りの人で自分より遥かに優秀な人に会ったことがないのか。そういう人と出会ったときに、もしあったとすれば、どういうことを感じたか」

    ではないのです。
    私の稚拙な日本語が、誤解を招いてしまった事を反省しています。
    本当にごめんなさい。

    私は、長岡先生は、自信満々に喋っていると思った事はありません。
    自分が批判に晒されるのを恐れて、相対主義という言葉を都合よく口に出し、自分に信念が無い大人は多く存在していると思います。
    こういう大人、教師、政治家、評論家を私は軽蔑しています。

    長岡先生は、そんな輩とは異なると思っています。
    多少の批判に怯える事なく、自分の信念を ”肝心な所では” 断言して公言する、そういう男だと思っています。
    こんな事を私が言うと、「出会った事もないガキが分かったような事を言うな。」と言われそうですが。

    私が長々とこのような文章を書いた理由は、誤解を解消したかったからです。

    この度は、申し訳ございませんでした。

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