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教育に関係して、特に教員になったばかりの若い先生を応援する気持ちで、短いメッセージを作ります。教員といっても、大学を卒業するとなれるわけですから、高校生と比べて大差ない、高校生の3年生と比べたら、4年くらいしか人生の先輩とは言えない。人生の先輩と言ったからといって、例えば、教える教科に関して、数学なら数学に関して、高校3年生と比べて、たったの4年間、あるいは大学院修士コースまで行くと、たった6年間、それだけで立派な経験、学識が身についたなんていう人がいたら、それはチャンチャラおかしいですよね。先生っていうのは元々、先に生まれるっていうことですから、中国語では先生っていうふうに使うときは、何々さんとか、何々様という程度の意味で、特別の教える側に立つという、そういうことを職業とする、それをたったの4年ないし、たったの6年間のアドバンテージ、時間的なアドバンテージですよね、それだけで確保できると思う方が本来はおかしい。それはそうですよね。そういう新米の先生は、先生として最悪なのかというと、私はそうは思いません。
実は、私自身も学生時代から家庭教師をやっていました。高校生の頃からやっていましたから、そういうふうに考えると、もう60年なんてもんじゃない、えらく長い間、教師というのをやってきているわけですが、最も私が教師として優れていたのは、もしかしたら、学生時代じゃないかと思うことがあります。それはどういうことかというと、学生時代は、相手の気持ちに立って考えるとか、そういう余裕がほとんどありませんから、自分の考え方をガンガン、ガンガン子どもに対してぶつけるわけですね。失礼極まりない、と思いますけど、その稚拙さ、拙劣さ、それが実は教師として結構良いことではないかと思うんです。教え方について考えたりはしない。どういうふうにしたらわかってもらえるか、そんなことは考えない。正しいのはこれだというふうに示すだけ、よく言えば、一途な気持ち、悪く言えば、妥協ということを知らない。少しでも間違っていたら間違いだ、とそう断定する。でも、そう言って、相手をびびらせるとか、怖がらせるとか、自分に対してひれ伏せさせるとか、そういう傲慢な気持ちは全くなくて、自分自身に対しても同じ厳しさでもって、学習者にも向かっているわけです。つまり、自分が先生だっていう意識で、教壇に立っていない、これが一番良いことではなかったかと思います。つまり、学習者と同じ目線で、学習するとはどういうことかということを考えているということですね。
ちょっと誤解しないでいただきたいのは、何もわかってない学生に習うのが、一番いいことなのかいうと、私は全くそう思わない。最近の学生諸君、大学生を見ますと、あまりにも学力が低いので、こんな学力が低い学生に勉強とは何か、とかって教えられたら、子どもたちもたまったものではあるまいと思うのですが、最近は個人塾っていうのでしょうか、僕はよく言葉を知りませんけども、学生の家庭教師以上に無責任なんですね。親も無責任なのです。「誰かいい先生を適当につけてください、先生が気に入らなかったら交換できるその制度がいいです」こんなことを平気で言う。そんな親に育てられた子どもだったら、どんな先生に習っても、とても駄目だと私は思いますけれど。
アマチュア的な先生がいいわけでは決してない。そして、個人で一対一に習うということが一番能率的だというふうに考えているわけでもない。むしろ子どもたちは、子どもたちの仲間と一緒に勉強することを通じて、より学習が能率的に身につくというふうに私自身は考えている人間なのですが。ですから若い学校の先生にぜひ、私が激励として伝えたいのは、若さということだけで、素晴らしい取り柄になるんだということですね。若さをハンディキャップだと思うなということです。若く頭が柔軟で、態度もときには優柔不断になってしまうこともあるかもしれませんが、いつも毅然としているわけではない、ときにちょっとひるんでしまう、そういうような先生が、実は生徒にとって、本当に生涯付き合うこともできる、そういう仲間の1人、そうなれるんじゃないかと。それが、新しいベテランでない新任の先生たちの最大の魅力ではないかと思うのです。
若い先生が完璧な授業をやろうと考えるのは、そもそもよくない。そして若い先生に完璧な授業を求めるというのもよくない。若い先生に求めるべきは情熱ですね。何だかわかんないけれど、あの先生やたら燃えているね、と子どもたちから茶化されるようなそういうような先生であってほしいと思うのです。先生たちが後になったら恥ずかしくなるような情熱、それが子どもたちに必ず伝わると、私はそういうふうに自分自身の人生を振り返って思います。
実際に、私は未だに初期の学生たちと付き合いがありますが、初期の学生たちっていうのは、もうおじいさんおばあさんになっているわけですね。それくらい年の近い人たちに教えるそのときの私は、本当に何もわかっていなくて、学校という世界も知らなければ、学習ということで、子どもたちが積む経験、それもわかっているわけではない。でも、自分が青春時代を生きてきたという思い、そしてこのような青春を生きていってほしいという願い、それだけが強く、それに導かれて指導してきたというふうに思います。それでいいのではないかと。若いうちはともかく、そのような情熱が一番大切である。変なベテランに倣う態度とか、先生らしさとか、そういうのは、やはり良い先生になるための障害でしかないと私は思うんですけれど、これは過激な意見でしょうかね。
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