長岡亮介のよもやま話244「健康第一?」

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 日本のような地質学的に難しいところにあるところでは、昔から地震あるいは火山などについて、我々の先祖は大きな苦労を払ってきたのだと思いますが、そのようなものを予知し未然に防ぐということ。そればかりが騒がれる世の中になってしまいましたけれども、私が子供の頃言われていた「地震・雷・火事・親父」という本当に自然が怒り出したら手をつけようがない。それは頑固の親父が怒ったときと同じ、お父さんがそれほどの権威を持っていたっていうこと自身が今では懐かしい思い出ですが、地震や雷という自然災害に対して、私達が非常に弱い存在であるということ。これは、昔からの教えでありました。

 そういうものに対して、政治家が国土を強靭化するというようなことを言っているんですが、私達が文明の力を使って自然に対して対抗するということは、ほとんど絶望的です。つまり、相手の力が圧倒的に強い中でただの強がりを言っているだけ。まるでガキのセリフであるわけですね。相撲取りに向かって、「僕は強くなるんだ。どんな相手にも負けないぞ。そういうふうに体を鍛えているんだ」というのは、男の子が言うのはかわいいですが、大人が言った恥ずかしいですよね。国土強靭化対策と言われているもの。これは自然に対してものすごく小さな私達のかすかな抵抗を、示すことができるようにするという程度のものでしかない。自然が本当に自然の力を発揮したときには、恐ろしい力になる。これは、古代の人々が感じたことと全く同じように、今もそのまま通用するんだと私は思います。皆さん、いかがお考えですか。

 皆さんは、科学や技術の発達によって私達が自然に打ち勝つ能力を身につけつつある。そういうふうに思ってらっしゃるかもしれませんけど、とんでもない話だと私は思うんですね。我々が科学あるいは技術の力で得たものは、ものすごくわずかなものであって、自然の力に対抗するというような力ではない。自然について深く知るということに関して言えば、私達はずいぶん多くの知見を、この間に獲得してきたと思います。この300年間における人間の知識の発展、これは目覚ましいものであります。しかし、何回もこういうお話の中で触れてきたように、私達はその300年の知の大爆発を通して、私達が知っていると思っている知識が全体的な知識の広がりの中で、これからますます発展していくだろう知の発展の中で、いかに小さな一歩でしかないかということ。そのことを私達は忘れてはならない。我々は本当にちょっと探求し始めたばかりである。そういう状況にあるということを忘れてはいけないと思います。

 まして、自然を制御することなんかできるはずがない。一番多くの人が誤解していると思うのは人間は、病気に勝って長生きができるようになるという願望ですね。昔から“生老病死”、生きる・老いる・病をする・死ぬ、これは人間の本当に言ってみれば「最終的な苦難」だと言っていいと思うんですね。生きることというよりは生まれることっていうふうに言うべきなのかもしれません。“生老病死”、そういったものであります。これからは私達は逃れることができないということを、現代の人々はほとんど忘れているんではないでしょうか。「健康が第一」、これは間違いなくその通りです。健康以上に大切な価値はない。これは普通の意味ではその通りだと思うんです。お金を持っていることよりも、美味しいものをたらふく食べるよりも、何といっても健康である。これが大切であると。これは間違いないことでありますが、私達がいつまでも健康でいられると思ったら大間違い。私達は必ず病いや老いによって体を衰弱させていって、やがては死ぬ。これはほとんど絶対的な真実と言ってよい。それは、私達の過去の歴史の中で死ななかった人が1人もいないという経験法則にすぎないかもしれませんが、どんな若い人でも、自分が子供の頃と成長してきた自分の違いを理解すれば、自分がこれから老いていく姿を想像することもできるでしょうし、私と同じように、歳を取り体が弱っていくっていうことを実感する人々は、やはり死というものがひたひたと近づいているということを認識せざるを得ないはずなのですが、そのときでも健康第一というふうに言うのは可笑しい。

 やはり、本当に大切なのは、そういう儚い人生をみんなが生きている。その儚い人生を生きているみんなとともに、私達も生きている。そういう生きている人間同士の共感の輪というんでしょうか、そういうものが失われつつあるのではないかっていうことに対して、私はもっと危機感を持つべきだと思うんですね。本当に大切なのは、「人間の人間に対する共感の輪、あるいは連帯の強さ」、昔絆って言葉がやたらもてはやされていましたけど、私達は決して絆で結ばれているわけではない。紐で結ばれているんではないんですね。絆っていうのは糸編を書いているわけです。糸で結ばれている。でも、そういうものではなくて、“共感”という人間的な精神、あるいは霊的なって言ってもいいかもしれませんが、そういうと宗教的なりますから、Spiritualという英語を使ってもいいかもしれません。そういう共感の輪で結ばれている。その共感の輪が、薄れつつある。私はそれを感じるのは、ものすごく大きな事件が起きた後のテレビの番組で、それを報道した直後に、それと全く無関係な能天気な番組が続く。これを見ていたら、国民はみんな馬鹿になってしまうと私は危機感を感じます。そういうふうに思うのは私が年寄りだからに過ぎないのかもしれませんが、私はそう感じざるを得ないですね。

 人間にとって最も大切なものは、同じ人間に対する同じ悲しい人生、限りある命という儚い運命を背負った人間同士が持つべき連帯の気持ち。それを破壊しようとするものに対する最大の警戒心。それを絶対にくい止めなければならないという強い意志。そういうものが、私達の中から薄れつつあるとすれば、それはやはり、悲しいことであるなと思います。単に、80歳まで長生きした、90歳まで長生きした、あるいは100歳まで長生きしたと言っても、そういう気持ちがないならば、10代や20代で亡くなる人がいるとすれば、その人は気の毒だと思いますよね。やっぱりもっと長生きさせてやりたかったと思います。それと同じように、せっかく長生きしても、人間的な共感というものを失って生きているんだったらば、その人の人生はあまりにも儚いのではないか、と私は思うんです。私達が生きていくときに、一番大切にしなければいけないものは何か。健康第一というような常識的なフレーズを繰り返すときにも、それよりも大切なものはないかというようなことを考える思索の深さというか、広さというか、可能性を調べ尽くすような数学的な精神というか、そういうものが必要ではないか、と思う日々であります。

コメント

  1. 中筋 智之 より:

     私は,radio講座,駿台予備校で長岡 氏から受講し大学への数学を解き早大土木に合格後,線形代数等を読み,東北・東工大単位を合わせ工業・理科・数学・情報免許が授与されました.
     国土強靭化は東日本大震災,豪雨被害を経て,主に工学部と理学部地質卒から成る国交省と政治家が掲げ,活断層調査をし,首都直下型地震に対する耐(・制・免)震化を進め,防潮堤を築き,補修・補強する標語で,地球物理の視点では私も傲慢だと思い,古代から肥沃な川の氾濫を一部許しながら被害を低減し,現在は通信を含むinfrastructureを整備し首都機能を分散して被害を低減しています.今回の能登半島震源地は,1981年新耐震設計法案でC地域,阪神大震災後の2002年道路橋示方書で加速度応答spectrum地域別係数は0.85で,2022年に東北大で津波simulationがされた地域です.
     計画的に大陸plateに蓄えられる歪みenergyが小さい段階で海底plateの滑りを誘発して解放し被災を減らす人工地震は研究段階です.
     豪雨や温暖化の原因はCO_2等の温室効果gasで,人為的に排出するgasを減らさねば成らないが,宇戦争やイスラエル紛争で火薬を使い命やinfrastructureを壊し, 地球人の視点で即停戦する様に働き掛け国際刑事裁判所が公正に裁かねば成らない.
     太陽はH2の核融合に因り約77億年後に地球軌道まで膨張するとされ,地球人は宇宙開発を進めなければ成らず,独裁者が使い兼ねない核兵器を禁止し地球が破壊しない様にしなければ成らない.

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