長岡亮介のよもやま話227「嬉しかったご感想に答えて」

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 今日は、このよもやま話を続けてきてとってもよかったなと思ったことについて、短いお話をしたいと思います。それはこれを聞いてくださった方の中から、とても嬉しいレスポンスがあったことです。私自身は直接読んでないのですが、このお世話をしてくださっている方から、間接的ながら連絡をいただきました。私のこの拙い話を毎晩、寝物語のように聞いていてくださる。そういう方がいて、それも学校の先生がすすめてくれたからということでしたので、こんな話を進めてくださる学校の先生が存在しているということにとても嬉しく思い、またその先生の言葉を聞いて、反発することが一般的であると思いますが、その先生の言うことを一応聞いてみようと思って、それに倣って、私の話を寝物語にしてくれた。寝物語というのは、私はこの話をできれば、本当に私の物語創作能力がきちっとあれば、千夜一夜物語のようにしたい。そういう夢を持っているのですけれど、私は、一貫したファンタジーとして組み立てるという能力と、努力する時間を今持っていないので、毎日毎日思いついたことを、いわば次の世代へのメッセージとして残しておきたい。そういう気持ちで、喋っております。本当はきちっと文章に書いて残すべきなのですが、やはり文章としてきちっと残すとなると、そのための準備も大変なものになりますので、なかなか多くのメッセージを気楽に送るということはできなくなります。もちろん、濃密になり、緻密になる。そして論理的になる。そういう良さは文書の方に明らかにアドバンテージがあるのですけど、こういうお話は、そういう緻密さがない。あるいは濃密でない代わりに、和風だしのお吸い物の美味しさというんでしょうか、本当に簡単なもので新鮮な題材を入れさえすれば美味しい。和食の中でも、単純な料理の美味しさに例えられるような、気楽に美味しい。そういうものを、大げさに言えば、目指しているということですね。結果としてそういうものしかできないということでもあるのですけれど。

 そのコメントに、私が“メンタリスト”というアメリカのドラマを知っていますか、見たらいいですよっていうお話がありました。メンタリストというのは、元々そのMentalにistをつけているっていうことでありますから、人の心理を読み取って、それによっていわば霊媒者のようなありえないこと、過去に亡くなった人の言葉を伝えるとかってことを、いわば詐欺師みたいな人も中にいる。そのメンタリストのように振る舞いながら、その主人公は極めて理知的な分析、論理的な分析、あるいは観察的な事物の分析の基に論理的に推論しているということで、大変に面白い。それをみたら面白いですよって言われて私も嬉しかったんですが、私も大好きでずっと見ておりました。全話全てのシーズン、全てのエピソードを見ております。メンタリストをおすすめくださったその若い人は、きっと私の話の中に、まるで人の心を覗き見るかのように、ズケズケと人の心の中に入りながら、しかし私は霊媒者でも何でもなくて、ただこの世の中の出来事を冷静に観察しているだけで、それでいて見破るところは見破れるということを言ってくださったんではないかなって勝手に思って、これは思い過ぎかもしれませんけど、嬉しく思っています。

 アメリカのテレビドラマにはなかなか高級なものがたくさんあって、その中で大フィーバーをした、大ブレークをしたというんでしょうか、こういう番組の場合は、その中のやつにThe Big Bang Theoryっていうのがあります。The Big Bangっていうのは約138億年前に宇宙は大爆発を遂げた。その大爆発を通じて、時間とか空間とか物質とか、そういうもの、“素材”、今私達が原子あるいは素粒子と呼んでいるところものものも、「その瞬間から本当に短い時間に創り出されて、それ以来宇宙は膨張を続けている」という先端的な物理学の常識となっている理論があります。その理論も、その詳細はなかなか見極めることが難しいので、ついこの間までは標準理論というのは一つの夢でありまして、「基本的な素粒子あるいはニュートリノといったものが分類できる」という標準理論というものを目指して、現代物理学の理論が作られてきた。そして実験物理学がそれを追いかけるような形で、例えば中間子っていう本来観測できるはずがないものをもほぼ検出することができる。中間子は中性子と間違えてはいけないんで、中性子の話は簡単なんですが、中間子というのがある。中間子は全ての物質の中を通り抜けていくので、通り抜けていくということは、観測できないっていうことを意味する、ほとんどですね。それでも、にもかかわらずそれを観測することができるということは、実験物理学者の一つの夢でありまして、実験物理学の世界でノーベル賞を日本では二つ取ったわけですが、それがスーパーカミオカンデと言われている大型の巨大な観測装置ですね。今、カミオカンデ的な観測装置ではなくて、もっと3次元的な観測が可能である。こういうアイディアを持ったインターナショナルな研究チーム、日本もそれに参加していて、南極に巨大な実験のための装置、その実験装置のためのボーリング、穴を掘るんですね、その穴を掘って、その実験装置を埋める。そのことによって巨大な3次元的な観測装置ができる。これまた素晴らしいアイディアで進んでいるんですが、そういう中間子なんかに関しても、観測できるっていう時代がやってきて、それによって「標準理論」と言ってきたものが極めて心理の一部分でしかないっていうことも、わかってきているんですね。現代物理学はものすごく面白い世界で、この100年くらいの間に、本当に空想的な理論と思われたものが、実際上の実験によって確認され、その確認されることを通じて議論がさらに精緻に描き直される、大幅に書き直されるドラマティックな歴史をたどってきたと思うんです。

 そのThe Big Bangは、theory、理論に過ぎない。そんな138億年前に行ったことのある人は誰もいるわけじゃない。そもそも私達が宇宙を観測するときに、よく望遠鏡で観測関する。それが宇宙の観測の方法だと思われていますけど、当然のことながら、望遠鏡で見るというのは望遠鏡に届いた光を拡大している、あるいは光を集めて、本来非常に細い、か細い光を明るい光として見るということ。それは地上の大型望遠鏡であろうと、例えばハワイのマウナケア山にある大きな天体望遠鏡があります、そういう天体望遠鏡であろうと、あるいはグローバルに地球上のいろいろな地域に配置された望遠鏡を連携させて、巨大な望遠鏡として動かすというような望遠鏡であれ、そしてまた最も精度の高い私達にとって驚くべき映像を送ってくれたのは、ハッブル宇宙望遠鏡っていう有名なものですね。これはスペースシャトル計画の中で唯一科学的に大きな成果を産んだものだと私は思っているのですけれど、そのハッブル宇宙望遠鏡というのが、精度をどんどん上げて観測する。そして宇宙の中で、我々が全く見えていなかったその先まで見るということができるようになってきている。しかも、私達は見るというときにはそれは光を見るということですが、普通の私達の知っている望遠鏡では、可視光、つまり赤外線よりも波長が短くて、赤外線よりは波長が長いもので、赤外線と紫外線というのは波長が私達の可視光、見ることのできる光より外れているわけですね。私達が見える光っていうのは、ほんのその一部分でしかないわけです。ですから、可視光による観察は、人間ならば一番最初にやってできるものなんですが、最近の望遠鏡は赤外線や紫外線どころか、遥かに波長が違うγ線、いわゆる電波望遠鏡と言われているものですね。そして、ハッブル宇宙望遠鏡になりますと、さらにいろいろな光、その中にはX線と私達は呼んでいるところの放射線も含まれるわけですが、そういうものに特化して観測する能力を持っている。私達の目よりも遥かにバンド幅が広いというか、見ることのできる範囲が広い。

 しかし、そうは言っても、限界が絶対的にあるわけですね。なぜかというと、光は速度を持っている。つまり無限の速さではない。1秒間に30万km、私達から見ればほとんど無限と言っていいような速さですけど、それでもその時間を経てやってくるわけですね。例えば、3万光年の距離にある恒星からの光は、私達の目に届くまでに3万年かかるわけです。だから私達が見ているのは3万年前の映像でしかないわけですね。どんどんどんどん遠い天体になるにつれて、私達に届く光は過去の光になるわけです。望遠鏡を使って見ているものは、私達の宇宙の過去の姿であるわけです。過去の姿と言っても、限界があるわけですね。光の速度で行って届く範囲までしか私達は見ることができない。言ってみれば、私達の観測という技術は高まっているんですけど、それでもいわゆる地平線のような限界があって、その地平線の限界を超えて遠くは見えない。私達の宇宙がほとんどの部分が見えていないんだということまで、わかってきているわけです。そういうわけで、ビッグバンの話というのは、その話をガモフによって提唱されたときからはわくわくする話がいっぱいあったんですが、今最もわくわくするのは、実はそういうような話では話が通らないっていうこと。いろいろと超ひも理論とか、いろんな新しい理論が提唱されてきているんですが、最近の最も新しいものはdark matter、つまり見えない物質で宇宙が満たされている。dark matterの方が見えるようなものよりも大きい。と、こういうような話もまことしやかにささやかれている。これは数学的にそのように計算できるってことであって、dark matterが見えるわけではないですね。見えないからこそdark matterなんです。

 でも、こういう話って結構難しいですよね。なんでこんな話を長々としたかというと、そういうことを知ってないと理解できないはずのドラマ、それもテレビドラマですよ、大衆的なテレビドラマ、それがアメリカで大ヒットした。私はそれに大変ショックを受けました。その中には、そういうことを言ったらアウトだよっていうような、今の日本だったら非常に軽薄な世論が沸き起こって沸騰する。それでそういう発言そのものが封じられる。封印しなければならない。そういうような日本のマスコミは、もはやそういう低俗な流れにもう飲み込まれていますよね。ところが、驚くべきことに、その座ビッThe Big Bang Theoryは、そういう高度なものを知らないとわからないジョークに満ちたものでありながら、アメリカで大ヒットを続けてきた。そしてその中にはアメリカ社会ならではのタブーもいっぱい盛り込まれているわけです。例えば、人種差別問題ですね。アメリカでは黒人に対する差別問題というよりはより深刻な人種差別がありまして、例えば、ヒスパニック系の人々に対する差別があるということは有名ですよね。そしてもっと深刻なのは、ユダヤ人に対する差別、英語ではJewっていうふうに呼ばれていますけど、ユダヤ人というのがアメリカ社会の重要なところで力を握りながら、大衆からは差別された存在である。当然のことながら、イエローモンキーと言われる日本人も表ではともかく裏では何を言われているかわからない。やっぱり差別されているんだと私は思いますけれど。それからインド人。インド人は英語がすごくインド訛りの英語であって、これもアメリカの社会の中ではインド人の英語はよく聞き取れないというようなのがジョークとして語られるくらい、ちょっと特殊な存在として見られているわけですね。

 そういういわゆる自立差別問題も中に入っているし、それから大学間格差。日本では大学間格差っていうのは存在しないことになっていますね。例えば、日本の学術会議メンバーが東京大学教授が占める割合が大きすぎるのは問題だと、内閣府の役人が文句を言うのは全く馬鹿げたことでありまして、それだったら、昔財務省とか昔の通産省、今の経産省、そういうエリート官庁には東大の法学部の卒業生ばっかり多かった。そういうことについてはどうするんだ。今は、もはや東大を卒業した人が官僚になりたいと思わない時代になったので、私立大学出身者もいわゆるキャリア組の中に占める割合が1%以上になりましたけど、それでもなかなか30%を超えるところにはいきませんね。そういう問題を全然無視して、日本学術会議が東京大学教授で占めている割合が多いと、こんな馬鹿な話が本当に堂々と国会とか、あるいは内閣府とかのきちっとした官房長官の答弁として出てくるってこと自身が非常識も甚だしいと思うのですけど。アメリカでは、例えばMITとか、ハーバードとか、プリンストンとか有名な大学がありますね。アメリカの有名な他にもいっぱいありますけど、その中でもとりわけやはりジャーナリズムに対する受けとか、あるいは財政、寄付の集め方とか、そういう点でハーバード、プリンストン、MITっていうのは、東海岸の大学中では突出しているんではないかと思います。一方西海岸の方では、UCLAとかUCBとか州立大学で有名なところもありますけれども、日本のメーカーがいろいろ寄付したということもあって、非常に著名な私立大学が存在します。これがアメリカの国内での評価と必ずしも一致しているわけではない。これは日本のマスコミの人たちの、言ってみればアメリカ知らずということと、もう一つは、人の世論の誘導ですね。そういう政策に寄るところがあると思いますけれども、アメリカ人ならば誰でも、MITあるいはそれ以上にハーバード、プリンストン、その名前は口に出して言うと思うんですね。その大学の中でも、実はエリート学科エリート学部っていうのはあるわけで、あいつは学歴が低いからねとかというふうにMITの卒業生が言われる。MITを出た人よりもちょっといい大学を出た。しかも難しい学科を出た人が登場人物にいるわけです。だからそういう話が出てくる。それで最も馬鹿にしているのは、中学校で大学を終えたテキサス出身の天才物理学者なんですが、彼は有名大学を出ていない。でも、中学校のときにもう大学を得ている。そういう天才的な人が主人公なんですけど、あんまりお話はしません。でも、普通の人が聞いたら嫌味になるんではないか。例えば日本で言えば、東大卒業生が京都大学の卒業生を馬鹿にする。そういうようなシチュエーションがあるわけです。ありえない話ですね、日本では。でもそれを大衆が拍手大喝采して見ているというシチュエーションなんです。

 そういうわけで、私はメンタリストはとても面白い番組であると思いますけど、それと同じような意味で、アメリカの世論が馬鹿なように見えて意外に手ごわい。実はレベルがかなり高い。私達がアメリカの世論と言われているものを、マスコミを通じて鵜呑みにすると大変なことになるということ。アメリカの市民あるいはアメリカ国民の民度はかなりバラエティーに富んでいて、かなり上位の人がたくさんいるということです。私達は、日本は、どんどんどんどん水平化に向かって歩んでいる。水平化の良さもありますけれども、しかし知性を鍛えるという点では水平化っていうのは一番まずいことです。自然科学の言葉を使えば、“エントロピー”という言葉があります。エントロピーというのは、言ってみれば、熱で言えば熱いところと冷たいところっていう温度差がある。分布が激しくある。いろいろなものがあるというのが、エントロピーが低い状態。それがだんだんだんだん乱雑さを増していく。つまり、熱で言えば熱いところと冷たいところが混じって生ぬるいところになっていく。そういう意味で、水平化していくっていうことです。宇宙は全体としてエントロピー増大の法則、エントロピーが増える方向にしか進まないっていうのが熱力学の基本法則であるわけですけれど。

 私は、日本が知性において水平化するという方向に進んでいることは、ある意味では平和なことなんですけれども、少しでも長期的に考えるならば、これは恐ろしいことではないかというふうに思うんですね。しかし若い人の中から、海外ドラマの中に知的なものを感じるという人たちが出てくるということは、素晴らしいことであると思います。日本のテレビ放送が、民放だけでなく公共放送まで非常に大衆化してしまったということを考えると、アメリカの民放、アメリカには民放しかないんですね、それでも立派なドラマをやっている。私はもう一つ、皆さんにおすすめしたいのは、Mozart in The Jungleっていう映画です。「ジャングルの中のモーツアルト」って、なんの意味かわからないと思います。でも第1話を見れば、その第1話に全てが凝縮していると思います。演奏家と指揮者を巡る物語というのをヒントにして、あとは見てのお楽しみということにいたしましょう。

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    こんばんわ。
    私の拙い感想を、よもやま話の主題として取り扱ってくださった事を嬉しく思います。
    長岡先生を紹介してくださった私の先生も、喜びを感じておられました。
    その先生の感想は以下のようなものでした。
    「昔のラジオ講座を思い出した。若返った気分やわ。懐かしい!」
    私はまだ中学生ですが、少し背伸びをして、長岡先生の本を読んでみようと思います。

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