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今日は、私達の身の回りで起こることに関して、わからないことがすごく多いという現状を、どのように考えていくべきかという問題について、大原則を提案したいと思います。私達は、実際に多くの現象あるいは事件を目の当たりにし、あるいはそれを報道で知り、それに対して「一体それがどうして起きたんだろう」というようなことに関心を持ちます。「どうして起きたんだろう」と、その原因や理由を探ろうとする人間の心自身は、大変に知的な行為だと思うので、それはとても大切にしなければいけないと思うのですけれど、一方で、私達が果たしてその答えを知りうることができるのかどうかという根本問題について、あまりにも多くの人が無知で無責任ではないかと私は感じています。
それは、私達の心の中にある実際の基盤的な精神というのは、ごく日常的な感覚に根ざした、実に素朴なレベルの感情であるのに対し、出てくる事件あるいは現象は自然科学に関する本当の教養がないと理解することができないものであるということ。従って私達は、そういう現象について知り得たということに対しても、それを耳で聞いてわかった気になっているだけで、本当に理論的に心の底から納得してわかるというのではない。そして、そのことをわかることがそもそもできないような難しい問題もあるということに対して、謙虚でなければならないということを、多くの人が忘れているんではないかということなんですね。いろいろとわからない事件があります。他国で、非常に大きな事件が起きる。その大事件あるいは事故、例えば飛行機事故が起きたときに、その原因は何であるか。原因を特定するためには、フライトレコーダーとかボイスレコーダーというのを回収して解析するということが必要なのですが、そのようなものは私達の情報として入手される前から、いろいろな憶測、つまりテレビなど無責任なマスメディアの中で、「あまり証拠はないのですけれど、おそらくこういうことではないか」と推測します。その根拠はないんだけれども推測するということは、そもそもどういうことなのか。本当はおかしなことですよね。「根拠は薄弱であるけども、これを根拠とすれば、このように言える。」「私はこのことを根拠にして、このことを推論している。」しかし、「このことの根拠は、全面的な根拠と言えるほど立派なものでない。全面的な根拠というのがやがて明らかにされれば、私が今言っている根拠はその根拠の1%にも達しない薄弱な根拠である」というふうに理解しているならばいいのですが、そうでなく、まるで天気予報士が明日の天気について確信を持って、「明日はこういうふうになるでしょう」と言って、それが外れても、「外れました。失礼しました」と、これで済ます。こういうようなことで本当にいいのでしょうか。
私はとりわけ今、深刻化している外交問題について、私達は本当に真剣に考えなければならないと思いますし、また私達の国内問題としては、「福島の問題」っていうのがあります。原発汚染水って言われているもの。「これを浄化装置でもって、トリチウム以外の他の広く有害な放射性核種をかなり取り除いて、それを海に放出する」という政府の決定に対して、それに反対する意見がたくさん出されていますし、それが安全であるという議論もたくさん出ています。私達はその両者を見て、私達自身の科学的な知見に基づいて判断しなければならないんだと思うんです。トリチウムという一種の水、水の同位体と言ってもいいかもしれませんが、水素の代わりにトリチウムという放射性同位体がついている水が放出されるっていうことで大きな話題となっています。しかし、多くの人がトリチウムという言葉を聞いて、それがどれほど危険なものであるのか、それがどのくらい放射線をを発生するものなのかについて、理解している人はどれだけいるのでしょうか。ベクレルというような単位が、人々の耳に頻繁に入ってきた原発事故当時と比べると、今は放射能という言葉が、言ってみれば、本当に素人の発想で語られているだけで、それが人間にとってどれほど有害であるのかということ、その根本的な問題について考えるということを、人々は避けているのではないでしょうか。避けるというほど意図的なものでなく、むしろ、何も知らないまま、わかった気になっている。これはとっても恐ろしいことではないかと私は思うんです。
いわゆる放射能あるいは放射線に関して言えば、皆さんよくご存知の通り、私達は大気によって宇宙からやってくる有害な放射線のかなりを防ぐことができています。したがって、飛行機に乗ることによって、私達は地上にいるときとは違う、桁違いの放射能を浴びるわけですね。そういうことが健康にどのような害をもたらしうるのかということに関して言えば、普通の人は「それは害かもしれないけど、健康を害するというほど深刻な問題ではない。早く外国に行くというメリットに比べれば、デメリットは小さい。」そういうふうに感じているんじゃないかと思います。実際、私達の住んでいる東京では、放射能が一番強いのは銀座なんだそうで、なぜ銀座が放射能が強いかというと、銀座は高級な建築物がたくさん建てられているので、その高級な建築物を作っている石、自然石を切り出して持ってきてビルを作っている、本当に立派な、コンクリート造りではない美しい自然石で飾っている。そのためにそこから大きな放射能が出ているという話。これは、皆さんにとってショックなことかもしれませんけど、実はショッキングでも何でもなくて、微量な放射能というのはつい最近までは体に良いというふうに言われて、温泉なんかでラドン温泉であるとか、ゲルマニウム温泉であるとか、あるいは地べたにそのまま寝転がる岩盤浴というのが流行っていた、あるいは今も流行っているのではないでしょうか。非常に微妙な放射能が健康に良いっていうのはなぜか。私は独自の科学的に立証されてない説を持っておりますが、それについてここで開陳することはあえて避けます。
しかしながら、放射能の中でやはり一番危険なのは半減期の短いヨウ素、ヨウ素の同位体。これはものすごく半減期が短い。半減期が短いということはそれだけたくさん崩壊する。それがどんどんどんどん崩壊するから、瞬く間に無くなるわけですけど、無くなるまでに人体に有害な放射線をたくさん発生するわけですね。半減期が短い放射性核種ほど人体に悪影響を及ぼすといっていいんだと思います。これはあくまでも原則ですけど。他方、半減期が長い放射能、これは無くなることはないっていうくらい、気の遠くなるくらい長い時間をかけて減っていく。そういうものでありますけども、例えば炭素の同位体の中で炭素14というのは、年代測定という考古学などで非常に重要な役割を果たしているものでありますけれども、それは放射能の半減期が手頃であると。そのために時代測定をするのに大変に有効であるわけです。なんでかっていうと、生きている生命体は、呼吸したり栄養を取ったりすることによって、その時々の自然界の中の炭素を一定の割合で体の中に取り込んでいく。その時代における炭素14の割合というのは、その人が生きている限りはその炭素14の取り組みが続いていて、亡くなるとその取り組みがなくなるので、言ってみれば、死体の中に残っている炭素14の割合というのがそこで固定されてしまうということですね。もちろん死体となっても、炭素14の崩壊は進むわけですけれども、しかしながら、生体として生きているときには、毎日毎日日々活発に周囲の炭素を吸収していますから、放射性炭素を体の中にその時々の濃度で取り込むわけですね。それがなくなるとそれがストップしてしまうということで、これが炭素年代測定法の基本原理と言っていいんだと思うんです。放射能というのは、それがアルファ線であるにしろ、β線とあるにしろ、γ線であるにしろ、それを大量に浴びたとき、これには人体あるいは生命一般に対して非常に強い影響力を持つ。一般には悪影響と言ってもいいような影響力を持つ。それが突然変異の引き金になってるのかもしれない。という話もありますね。
しかしながら、そういう意味では、ある意味で生命の進化と放射能というのは、重要な影響関係っていうので結ばれてきたのかもしれません。人体に対して影響を与えうるレベルの放射能がどのくらいあるかということについては、例えばIAEA(国際原子力機関International Atomic Energy Agency)というような組織がきちっとしたデータを出している。それに対して福島から出る汚染水の薄まったものがどの程度であるのかということ、これを理解することは決して難しいことではない。こういうものを理解するのにとても大切なのは、数学的な大体の大きさをきちっと表現する“累乗”という表現ですね。例えばアボガドロ数っていうのは、6.023×1023、6×1023、0が23個も続くわけですね。それに対して、今話題となっているトリチウムというのは、言ってみれば103とか106とか、そういうレベルのものなんですね。1g原子という非常に小さな分量の中にも1023個ある。それに対して、片方が103とか106とか、そういうオーダーであるとすれば、それがどれほど小さいものであるかということは、皆さんわかっていただけるんではないかと思います。
また、私達にとって最も深刻だったチェルノブイリ、ウクライナにある原子力発電所が大事故を起こしたときに、それはそれは大変なもので、最後にそれを石棺、石の棺で包むということをしたわけでありますけれども、その工事のために多くの方の生命が失われた。そういう悲しい事件でもありましたけれど、そのときに国際調査団というのが組織されていて、言うまでもなく、最初私がちょっと紹介したヨウ素の同位体による死亡者あるいは発病者、これはかなりの数であったわけですが、同じように半減期がやや短い、半減期がヨウ素に比べるとそれでも圧倒的に長い30年間の半減期のセシウムという放射性元素による健康被害が、国際的に調査されました。日本からも代表が行きました。その報告書を私が読んだ限りでは、セシウムによる健康被害は見出されなかったという報告が出ています。「その報告を私は信じない。」「そんな報告書を捏造である」と言い張る人がいても、私はそれは構わないと思います。でも少なくともそういう科学者による調査報告書があるんだということ。これは、知っておいた方がいいと思うんですね。
私に言わせると、放射能が怖いんだったならば、まず皆さんがもっともっと警戒すべきなのは、X線撮影とか、あるいはもっと多く被ばくするCT、Computed Tomography、日本ではCTといっていますけども、大事なのはそのコンピューターの部分ではなくて、X線を使ってものすごい枚数の断層写真を撮り、それを立体的にコンピュータを使って復元するということをやっている。ですから、放射線がきちっと読めない人でも、ものすごくわかりやすく、言ってみれば放射線読影の情報が得られる。しかし、それであっても、専門医でないときっと読めないというようなかすかな病変もあるわけでありますが、しかし、そのとにかく制定による被ばく量というのは大変なもんなんですね。でも、それでもメリットの方がデメリットより大きいという理由で、被ばくを選んだ人が多いですね。私の知っている病院の医者から聞いた話では、大した病気じゃないのにCTを撮ってくれって、患者から申し出る人がいるんだそうです。私を被爆させてくれ。そういうふうに言ってる。そういう人たちが、福島県産の果物や米や野菜、あるいは魚介類は食べないと言っている人がいる。全く馬鹿げたことではないかと私は考えます。
私は福島の美味しい果実が大好きです。そして、それを売ってるときには、むしろ他の果実に優先してそれを取るようにしています。それは被爆したいということではなくて、福島県産のものが美味しいからです。そして美味しいものを食べるということは、少々の被ばくというデメリットをはるかに上回るメリットなんですね、少なくとも私にとっては。そしてメリット・デメリットということを考えるならば、そのときに、みんなが問題にする放射能ってどのくらいの大きさなのかというのを、数値的な単位で、ぜひ理解していただきたいと思います。
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