長岡亮介のよもやま話213「詐欺のような学校教育」

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 先日テクムの事務局の方と喋っていたときに、その方が学校で習ったことで、数列のところが面白かったという話でしたので、その数列の何が面白かったのかと聞きました。そうしたところ、どうやら階差数列と言われるもの、となりあった項の間の差をとっていく。第n項と第n+1項の差を取る。それを初項と第2項、第2項と第3項、第3項と第4項、と順番にやっていくわけですね。そういうふうにして作られた数列、日本語では階差数列って言いますけど、要するに「差を取る」、ディファレンスということです。そのディファレンス、差を作っていくっていう操作を繰り返していくと、1回目でできた数列のことを第1階差数列と呼び、第1階差数列のさらにまた階差数列をとると第2階差数列です。そしてさらにまた階差数列を取ると第3階差数列です。こういうふうに何段階にもわたって階差数列を取っていくっていうことは簡単に定義できます。そして、その方から私が聞いた話では、与えられた数列がどのような規則でできているのかよくわからない。そういう数列の項が最初の方の10個ぐらい与えられている。その10個から数列の規則を発見するには、階差数列を取るのが有力であるというようなことが教科書に書いてあるのですね。確かに私の時代にもそのような記述があったと思うのです。ひょっとすると今でも残っているかもしれませんが、この方法を習ってとても楽しかったというふうに記憶していらっしゃる。私は楽しかったっていう記憶はどんなことであれ、結構なことだというふうに思いますけれども。

 さて、数列の場合について、階差数列を取るという操作を繰り返していくと、数列の規則が見えてくるというのは本当でしょうか。実は、これは真っ赤な嘘なんですね。階差数列をとることによって規則が単純化できるというのは、ごく限られた数列でありまして、限られた数列というのはどういうものかっていうと、例えば第n項がnの2次式とか、nの3次式とか、第n項が nの多項式で表される場合で、そういう場合については、階差数列をとっていくと、例えば3次関数で表されているものの階差数列は2次関数になり、2次関数で表されているものは1次関数なり、1次関数で表されているものは等差数列ですからそれでわかってもいいんですが、さらにもう1回階差数列を取ると定数になる。これが、定数数列ってことですね。こういうふうにして、何回か階差数列を取っていくと、単純な数列に帰着できるというわけなんですが、教科書なんかには、こういうふうにして元の数列の規則を発見する。これが、重要なテーマのように書かれている。今でもそうらしいんですね。

 しかし、これは本当でしょうか。多項式で表される数列、これは階差数列を取ることによって次数が下がるということ。これは簡単にわかりますけれども、それ以外の数列、例えば等比数列を例に取ってもらうとわかりますが、等比数列というのは何回階差数列を考えても、等比数列のままなんですね。2n、公比が2の等比数列、あるいは3n、公比が3の等比数列、こういうものを考えると、何回階差数列をとっても、その等比数列のままです。ということは、例えば2n +3nというような、二つの等比数列の和で表現されるような単純な数列であっても、「その数列の項を有限個並べられて、階差数列を取ることによって規則を見いだしなさい」という問題に対しては答えようがない。つまり、「階差数列を取ると元の数列の規則がわかると」いうのは嘘なんですね。学校教育というのは、子供を相手にしているのだから、嘘はあっても良いという大人の考え方もあるかもしれませんけれど、私は、およそ高校生くらいの青年に対して教えるのに、やはり露骨な嘘はまずいと思うんですね。必ずこうやればうまくいくという演技を見せて、その後に練習をやらせて、その方法が普遍的に妥当であるというのを教えるんだとすれば、それは一種の詐欺ではないでしょうか。

 今、詐欺のようなビジネスがインターネットを通じてまかり通っている。その現実を私は見るにつけ、実は学校教育にまでその詐欺があり、多くの人が詐欺に対して鈍感になっている。自分が詐欺師であるということに罪の意識を感じないのは、なんと恐ろしいことに、学校でしかも数学において詐欺をされているという経験があるからではないか。これはちょっと勘ぐり過ぎかもしれませんけれども、日本の今の社会状況の中で、詐欺まがいのことが横行している。政治にしろ。医療にしろ、あるいは教育にしろ、私は、先生という名前がつく職業の人が活躍する世界はみんな怪しい。そう考えなければいけないと、若い人に教えてきましたけれども、数学教育が率先して嘘を言っているというのは、いくら何でも、と私は思います。皆さん、いかがでしょうか。やはり、いくら子供相手だからといって、詐欺は良くないですよね。

ち なみに、少し高い立場から見ると、数列の階差数列を取るという操作は、その階差っていうのは隣同士っていうことで、ブツブツと離散的に並んでいる数なわけですね。連続的並んでいる場合、関数のように、その隣の数はないわけですけど、隣の項ってないんですが、その極限的な場合って考えると、それが微分というもので、「導関数を取っていくと関数は必ず簡単なるということは嘘だ」ということは皆さんご存知ですよね。3次関数だったならば微分すると2次関数になる、2次関数だったら微分すると1次関数になる、ということは言えるとしても、任意の関数が導関数をとると単純化されるわけではありません。むしろ一般の関数においては、微分をすると、関数は複雑になるんですね。関数は積分すると、振る舞いがおとなしくなるんですが、微分すると、関数の振る舞いは激しくなる。これが一般的でありまして、多項式であらわされる関数というのは、その関数の中でもお行儀の良いもの代表選手のようなものなんですね。この行儀の良い代表選手のようなもの、これをもって関数の代表というふうにするのは、一種の詐欺ですね。

 やはり、そうでないもの、これを勉強するということが重要であると思うんです。最近は、ともかく詐欺が大手を振って歩いているって、そういう時代になってきました。それだけに、せめて教育において、詐欺のようなことができるだけ少なくあってほしい。「たとえ相手が子供だからといっても、やはり子供を騙すのは悪いことだ」という大人としての見識を大人たちは持ってほしいと思いますし、大人になりかけている青年諸君は、大人が自分たちを騙そうとしているんではないかという最低限の警戒心を持つ。このことは、大人になるためにとても大切なことではないかと思います。今日は、「教育の中にある嘘」というような主題で、現代の風潮の中に、象徴的に存在する学校教育の問題を取り上げました。

コメント

  1. zen より:

    お話を受けて、「詐欺でない学校教育」とはなんだろうか、考えてみました。
    「最初の方の10個ぐらい与えられている数列の項から、その数列の規則を発見するには、階差数列を取る」という解法のテクニックを修得することで、私は「正解」を得られて満足していた。
    それは数学的には詐欺被害であるという。
    「数学学習の目標がインチキな問題のインチキな解法を覚えることではない」とすれば、子どもにできるのは、「素朴な解法が通用しない反例のようなものを探す」というような学習を通じて、初等的な技法の理論的意味に少しでも迫る理解を達成することかも、とも思った。
    それ以上に、「数学は計算して答えを出すことではない」という言葉を平凡に繰り返しながら、その意味を深化させることを曖昧にして来た自分の過去に気付いた。
    平凡な解答を書けるようになることで満足している生徒、先生、保護者に対して、「詐欺でない数学教育」を実現することは容易でないだろう。
    しかし、数学に限らず、各人が疑わずにもっている「常識の嘘」を明示化して、真の意味での批判的思考に基づいて毎日の生活をするようになってこそ、「文明の衝突」を克服する唯一の道が開けるのであろうと思った。
    日本の数学教育から詐欺を減らす努力はその一歩である。個人にとっては小さいが、日本人全体にとっては巨大な前進となるに違いない。

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