長岡亮介のよもやま話204「結果が全て?」

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 今回は、いろいろな日常的な言い回しの中に込められている言葉の可能的な意味、その示唆する意味の可能性についてお話ししたいと思います。現代の日本では、結果が出ればそれでいいじゃないかという考え方が、一般に広く普及しているような気がします。結果が全てだよと。確かにどんな屁理屈を述べていても理屈だけで実績が出せない人のヘラヘラ喋る言葉というのは、本当にむなしいものですよね。例えば、天気予報士、最近は天気予報と言わないで天気情報というんだそうですが、いろいろなことをわかったように言っているのに、それが翌日の天気と全然関係ない。そして翌日になったら、前の日の予想が外れたことの理由をくどくどと述べている。そういうことを繰り返している人間は、やっぱり信用されなくなりますね。

 ある意味で、地震とか火山とか、そういう地質の問題を専門としている学者は、非常に大変だなというふうに思うんですけども、それは「いつ火山噴火があるんですか。」「いつ地震が来るんですか。」そういうことは皆さん聞きたがるわけですね。しかし、地球の歴史あるいは地球のメカニズムを少しでも学問的に解明しようと努力している専門家は、明日や明後日のことを相手にしているんではないですね。地球の歴史の中において、10年とか20年というのは、本当に一瞬にしか過ぎないわけだから、火山があって、火山活動が活発化しているといったからといって、その数ヶ月のデータをもとにして、「この1週間以内に大噴火が起こる可能性が

 しかし、私から見ると、それは要求するのはおかしいわけで、火山学にしても地震学にしても、そのような予報をする、その予知をする、そのために研究しているんではない。もちろん予知ができるようになれば、それは人間にとってとてもありがたいことをあると思いますが、その予知や予報が研究の成果としてすぐに出てくると期待する方がおかしい。こういうことは、科学の身近で生活していれば当たり前の話なんですが、地震学や火山学の先生たちはあまり口にしないんですね。何でかというと、そういう言葉を言った途端に自分たちに予算が下りなくなるということをご存知だからね。だから、私達は「地震予知連絡会議」というものを開いて、然るべく科学的な議論を積み重ねて、科学的な結論として妥当性のあるものをみな合意する。こういうプロセスをとっているというんですけど、そのプロセスをとった結果、どのような結果が生じているか。これは皆さんよくご存知の通りでありまして、「南海トラフ」についてずいぶんあんだけ騒がりましたけれども、一向にその気配がないですね。一向にその気配がないから南海トラフ地震の話は嘘だというのは全くの間違いで、巨大な地震、巨大な災害が起こる確率は無視できない。本当にすぐそこにまで来ている。ただすぐそこにというのが、地球の話ですから、すぐそこというのが、100年200年ずれるのは全然不思議でも何でもないということです。そのタイムスケールを無視して、100年200年後だったらもう自分が死んでいるんだから関係ない。こういうふうなことを言う人がいるんですけど、100年200年のことについて理解することが、明日よりよく生きるための指針になるということを、人々はあまり理解してない。

 つまり、結果で物事を判断するという考え方は一見最もらしいんですけど、「結果で物事を判断するのが正しい」ならば、「人間を生きていて、生じる結果は死ぬ」ということだけなわけです。その死ぬという結果、それが唯一の正しい結論であるとすれば、生きていることにはどういう意味があるのでしょうか。結果さえ良ければいいじゃないか。「結果が悪い」ということはもうわかっているわけです。みんな死ぬ。生きている人、どんな若い人もいつか死ぬわけです。それがおかしいというのは、結局「結果が全てではない」ということ。私達が生きている途中のプロセス、これがとても大切なんだということを、今の私の極端な暴論は証明しているわけですね。結果が全てではない。プロセスが大事だ。途中経過が大事だということです。私は、このお話を結ぶにあたり、結果が全てだという言い方に対して、むしろプロセスが全てだというのはあまりにも曖昧だと思いますので、私は、「始め良ければ終わり良し」という言葉で結びたいと思います。

 要するに、自分が明日からこのように生きたいと思う。生き始めるわけですね。明日からの人生を生き始める。あるいは今日からの人生でもいいんです。その始めがとても大切で、その始めをいかにきちっと考え抜いて、始めるか。そして、そこがうまくいくと、次もうまくいくということです。それを昔の人の言葉で、「始め良ければ全て良し」。始めによって、実は終わりまで決まるということです。これは極端な表現で対峙しているということになるかもしれませんけれど、結果が全てというのに、正反対の言葉を持ち出すとすればこれがいいかなと気がついた次第です。実際、科学研究においても、実は始めが大事であって、最初のアイディアというのはすごく大切であって、そこでいわばたちの悪いアイディアでスタートしてしまうと、あとどんなにやっても面白いものが出てこない。どんなに苦労しても出てこない。苦労は必ず報いられると楽観的に世の中のことを見ている人がいますけど、そんなことはない。苦労して苦労して苦労して、それでも報いられない、そういう人生もいくらでもあるわけです。特に科学研究においては、始めのアイディアというのは、とても大切なんですね。そういうこともあって、「始め良ければ全て良し」という言葉で、このお話を締めたいと思います。

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