長岡亮介のよもやま話169「日本の“ものづくり”」

 日本はいわゆる“ものづくり”において世界をリードしてきている。そして今もそうであるという信仰が特に日本人の間には深く根付いているように思うのですが、果たしてそれは本当でしょうか。私の目から見るとこれまで成功してきた日本の“ものづくり”は非常に大雑把に言えば諸外国とりわけアメリカ合衆国において開発された先進的な技術を真似て、それに改良を加えてより良い生産物を作る。そういうことに大変長けていたと言えるかと思います。私が若い頃は日米繊維摩擦、繊維製品に関して、日本のものはあまりにも安すぎでこれがアメリカの繊維産業を破壊しているということで、貿易摩擦が起こったことが非常に印象的でした。言うまでもなく、繊維産業というのは、明治維新によって日本に持ち込まれた西欧列強の産業革命による新しい生産手段であり、それが大きな産業となり、そして文化をも変容していくという力を持つ。このことを私達は、特にまた私たちの先祖は、明治時代の人は、目の当たりにして、腰を抜かすほどびっくりし、そして西欧列強の文化にいわば拝跪した。それを拝み、その前にかがんだわけですね。ある意味で屈辱的ではありますが、非常に良いものを良いとして受け入れるという日本の先輩たちの心意気は大したもんだ、という面もあると思います。

 一方インドではマハトマ・ガンディーが、そういう繊維産業で作られる近代工業製品、これがインドの市場に押し寄せてインドの人々の伝統的な文化、暮らしを破壊する有り様を見てその流れに抵抗するために、糸車で伝統的な糸を作るということを自ら実践し、そのようにして作られた着物をずっと手放さずに着続けるという質素な生活を実践し、多くのインド国民に勇気と希望を与えたということで有名でありますけれども、私達はどちらかというとイギリス式の近代産業に対してそのような抵抗するのとは反対に、むしろそれを大歓迎したわけです。そして、その時代から本当に100年くらいでなんと日米貿易摩擦というのを起こすほどに、日本の繊維産業は発達したわけでありまして、とりわけ日本では羊毛とか綿花とかという自然繊維のものよりもナイロンとか、テトロンとかそういう人工繊維、現在に続く高分子化合物の代表でありますけれども、そういう分野において非常に先進的な領域を切り開いていったわけです。

 今でも残っている大きな会社が繊維産業から出発したっていうことは忘れてはいけないと思います。今も社名に繊維の名前が入っている東レとか、あれは東洋レーヨンと言ったわけですね。レーヨンというのは非常に大事だったわけです。その他の例を挙げるときりがないほどありますけれども、そういう繊維産業において躍進した。これは間違いもなく事実であります。でも、例えばナイロンを発明したのか、テトロンを発明したのかというとそうではない。人の発明をより儲かる形にして組み立てた。ここが日本人の創造性が発揮された領域ですね。その時代日本はそのような製品の生産工場を動かすためのエネルギー、これを石炭火力によっていたわけです。石炭火力を作り出す膨大な蒸気のエネルギー、それで機械を動かしてきたわけですね。石炭は日本の近代化にとって非常に重要な役割を果たしたといえますけれども、今から考えてみればいわば地球を汚染するというか大気汚染するというか、地下資源を使い、地下資源を搾取して自分たちの今の生活を良くするということを考えていたというか。否定的な評価がいくらでも出てくるような場面ではありますけれども、しかし、そのようにして日本は近代化というものに成功する。ここでは私が近代化というときは、括弧づきで「近代化」っていう言葉を使いたいわけで、それが無条件に良いことだっていうふうに言うわけではありません。繊維がアメリカをも脅かすほどに成長したときに、やはり繊維というのは簡単なものだから、規模が小さいものだからそうなんだろうというふうに思っていましたけれど、やがて鉄鋼においても、日米間の貿易摩擦が起こる。鉄鋼は作るのが簡単だというふうに思っている人は意外に多いんではないかと思いますが、実は結構難しい。鉄のくず言ってみれば、砂金のような状態から鉄まで作るという工程、これもなかなか大変なわけですね。鉄は大変酸化しやすいので錆びている。その錆びている鉄を集めてそこから酸素を奪って、いわば還元というふうに化学で習うところのプロセスですね、そして純粋な鉄を取り出す。これは理論的には単純ですが、技術的にはなかなか大変でしかも規模の大きな溶鉱炉っていうのを作らなければいけない。そうすると溶鉱炉に大量の空気酸素を送ることによって不純な鉄鋼石の中に含まれている酸素を奪い、そしてそれによって純粋な鉄を得る。こういうプロセスですが、実はそれを技術レベルで実現するのは大変なことです。

 日本では国策によって製鉄会社が国立で作られ、それが次第に高成長していくわけです。そして驚くべきことに、私がもう学生時代の最後の頃には日本が製鉄産業において特に鉄鉱石、スチールを作る産業において、アメリカをしのぐというところに発達しました。これも”ものづくり”の成功の例のように言われていますが、スチールを作るというアイディアは日本にも昔からありましたけど、それは刀を作るための非常に高精度のスチールを作るということであって、工業製品としてのスチールの生産というのは決して私達の伝統技術の延長にあったわけではなかったわけです。今でも鋼を作る伝統的な技術、それを復活する動きがあって、大変頼もしいなっていうふうに思いますけれども、鋼を作るということが容易でないということ、そのことを人々が知ることは良いことだと思います。それくらい今は鋼が私達の身の回りにごくありふれた形で存在するからですね。やがて日本は自動車のような、鉄からいろいろなものをパーツを組み合わせて作る、そういう分野においても日米の貿易摩擦というのを引き起こすまでに成長します。自動車というのは日本人の発明によるかというと、決してそんなことはありませんね。内燃機関にしても、外燃機関同様、海外からその技術を日本に持ち込んでそれを分解し、その仕組みを理解し、そしてそれと似たものを作る。そして、その機械の能率をより良くする効率を上げるということに成功してきたわけです。

 そういう意味で、しばしば言われることですが、日本はものまねがうまい、日本人は猿真似がうまいだけであって、クリエイティブにものを作ることは実はできていない、という指摘があります。ある意味で非常に本質を突いた意見であると思いますが、日本において本当に新しいものが開発されてこなかったのは、日本において長い間、西欧において時間をかけて培った近代科学という方法、近代科学という学問の伝統、それが私達になかったからでありまして、私達は明治以降西洋列強の開拓した近代技術それを表面だけ理解する。そして、近代科学についてもそれがないと少し足りないからといって、近代科学も教科書として出来上がったものを受け入れて、それをマスターするという受動的な勉強に明け暮れてきた。これが私達のいわば初期条件というか、私達が近代化に出発したときの、私達の近代化の発展を将来にわたって制約してしまう条件、数学の言葉で言うと初期条件と言いますが、というものであったように思います。私達はヨーロッパの人たちが12世紀とか13世紀とかそういうところからギリシャに学び、ヨーロッパ独自の近代科学を作るというようなルネッサンスの精神、ルネッサンスというと日本では絵画のルネサンスそればかりが有名でありますけど、絵画とか彫刻ですね。しかし実は学問上のルネサンスは重要であるわけで、伝統的なスコラ哲学とギリシャ思想それを融合する。ギリシャの偉大な科学的な知見を吸収するその数百年間の歴史の末にやがて、Galileo Galileiとかアイザックニュートンというような偉大な人々が出て近代科学の発展の最初のステップが踏み出されるわけですね。それからの歴史の目覚ましさはここで繰り返すまでもありません。

 今もヨーロッパやアメリカでは、基礎科学の研究というのが大変に重視されています。それは基礎科学の発展の上にこそ近代的な技術が可能になるということを、人々がよく知っているからではないかと思います。翻って日本では科学と技術の区別さえ怪しい人が少なくないと思います。以前取り上げた理系・文系というような素朴な分類が高校生になってもそのような考えにとらわれているということは、高校生になっても学術、あるいは学問の世界に疎いという私達のハンディキャップを表現しているようで少し悲しく思いますが、本当は役に立つか役にたたないかわからないもの、それについてなぜだろう?なぜかしら?というふうに考えを突き詰めていくその考えを、ただ悩んでいるというだけではなくてそれを解決するために具体的な実践的な工程表にしてその問題を考える。これが研究であり、そしてその研究に基づく技術であるわけですが、私達はそのような学問的な研究というのは、技術的な応用と別の世界であると思ってしまいがちではないでしょうか。典型的な誤解が、国際宇宙ステーションのようなものでありまして、あれを宇宙という言葉で表現すること自身がそもそもおかしいくらい、地球の大気圏をちょっと超えた地球の周りの周回軌道いわば地球圏のロケット技術に過ぎないわけですね。月に行くという話でさえ、「地球と月は一つの重力系というふうにとらえるならば、それでさえ、(宇宙というふうな言葉が指し示す無限に広がった世界、無限に広がったっていうのを私は気楽に使いましたが、そこには本当は慎重さが必要であるということ、一言だけ注意しておきたいと思いますが)、少なくとも太陽系あるいは銀河系という規模の宇宙とは全然違う」ということがほとんどの高校生は理解していないではないでしょうか。それが最先端の科学であると思っている人が多いのではないでしょうか。そしてアメリカがスペースシャトルやISS国際宇宙ステーションのプロジェクトから手を引いたのが、実は予算をより科学的な研究にかけるためにもはやそこにかけるべきお金はないという極めて合理的な科学的判断であったということを、日本の人々はあまり理解しようとしていないのではないか、そんなふうに感じます。

 結局のところ私達は“ものづくり”という言葉でもってその物を作るための基本となる科学、あるいは学問というものの重要性を無視して、いってみれば現場の職工さん、熟練工、それが果たしている役割の方にしか目が向いていないのではないか、ということが気がかりなことです。物を作るには、物を作るための様々な技術、様々なアイディア、熟練した経験、いろいろなものが必要ですが、近代においては1人の人間が一生において得られる技術、知識、経験というのは限られています。それを一子相伝という形で子孫に伝えるとしてもそれは限られている。その限界を突破するためには合理的な精神に基づく学問が不可欠であるということを、私達日本人はもう少し強く意識した方が良いのではないかと私は考えているということです。それでこそ本当に良いものはできるようになる。本当に“ものづくり”で自慢できる国になるということです。

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