この数日、少し暖かくなってきました。それとともに、東京都などでは桜が一斉に開花し、美しい風景を見せています。日本人は特に桜が好きだ。といいますが、世界中どこに行っても桜は美しいと思うでしょう。特に日本で最近流行っているソメイヨシノという桜は咲くときに一斉に美しく咲き、そしてほとんど一斉に散っていくという一種の“もののあわれ”といいましょうか、日本人の情緒に訴えるところがありますね。私も特に桜がもったいないと思うくらい散っていく姿を見るのは決して嫌いではありません。ただ、皆さんは桜があのように散った後、どういうふうになるかご存知ですか。実は桜が咲くわけですから、桜のめしべが受粉するとそこに実がなるわけですね。そして、いわゆるさくらんぼができるはずなのですが、ソメイヨシノではさくらんぼができません。皆さん注意して見ていただくとわかりますが、桜が散ってしばらくすると本当は大きく成長するはずであったさくらんぼが成長しないまま桜の木の下にみんな落ちてしまう。まあ累々とした屍と言ってもいいような風景を見て愕然とすることがあります。桜は実をつけてそれで子孫を残すということができないんですね。私は生物について詳しくありませんが、いわゆるソメイヨシノという、日本人が最も好きな桜は全部いわゆるクローンでありまして、だからこそ一斉に咲く、あるいは桜前線というような概念が成立しうるわけです。桜と桜の木の間の個体差がない、全て自分と同じものであるということですね。不思議な植物ではないかと思います。その不思議さを作っているのは人間でありますけども、桜という特にソメイヨシノという桜は短命ですね。成長も早いのですが老化も早くその短い一生の間に美しい花を毎年つけて実を生らしても身を大きくすることなく実を散らしてしまう、実を落日させてしまう。そういう運命を抱えた桜でして、日本の桜にはその他にもいっぱい多くの種類があり、東京では明治神宮という桜の名所がありますがそこには本当に多くの種類の桜が植わっていて、そのために2月から4月まで様々な桜が異なる時期に花を咲かすので、長い間桜を楽しむことができる。本当に桜が好きだったならば、そのようにすべきなのですが、商店街でさくらセールなんていうのをやるときには一斉に咲いてくれた方がいいわけですから、日本ではソメイヨシノが圧倒的な多数を占めているように思います。
そして、結実しない自分の身をつけることのないソメイヨシノの美しさにどこか哀しさを私は感じてしまいます。そして、そのようなソメイヨシノをことさら愛する日本人の美意識の中に何かしら弱いものを感じます。もっとたくましい美意識を持ってもいいのにというふうに思うことさえあります。私は桜の中ではソメイヨシノも好きですが、それ以上にヤマザクラと言われる種類の桜、山の中にポツンと咲いているのですが、そのポツンと咲いてる一点だけがピンクになっている。その美しさが大好きです。ソメイヨシノに限らず美しい桜がいっぱいあって、それを大切にしてきた私達の先輩たちの知恵に感動しますが、戦後は少なくとも私の住んでいる東京周辺では桜といえばソメイヨシノのことと言われるようになり、そして天気予報では、桜前線というような言葉が非常に重要なテクニカルタームのようにして連呼されるようになっています。しかし、それはちょっとおかしいような気がするのですね。いろいろなクローンのようなものは一斉に普通は南から北に向かって次第次第に咲いていくんだと思います。でも咲く時期が全部同じでなくてもあるいは咲く時期が同じではないからこそ、私達はそれを長く楽しむということができるし、なんといっても日本のさくらんぼは美味しいですよね。さくらんぼをつける桜の木はソメイヨシノではなくて別の種類ですが、特にこの10年ほどの桜の品種改良は目覚ましいものがあって、さくらんぼうをいただくたびに農林試験場の研究員の人たちが本当に垢抜けない努力を継続的にやっている。そして、その中で成功を収めているということ、それを痛感いたしますけれど。そのような努力のおかげで美味しいさくらんぼをいただくことができていることの幸せ、それを毎年春になると感じて嬉しく思います。なお桜というと、“さくらさくら”と有名な歌があるのですが、あの歌の美しさはその旋律と歌詞にあると思いますが、その歌詞はかなり難しくて、私などはあまりきちっと覚えていません。海外の研究集会などに行きますと、私にみんな“さくらさくら”を歌えというふうに要求するのですが、メロディーは言えても、残念ながら歌詞をきちっと覚えていない。そういう私はみんなの前で“さくらさくら”も歌えない日本人ということで、呆れられてしまうのですが、これを聞いている皆さんは、ぜひ“さくらさくら”を歌えるように、そしてその歌詞の意味その歌詞の非常に美しい日本語それをきちっと理解するようになってほしいと願っています。
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