「お疲れ様です。」このような言葉で始まるeメールを、皆さんは最近しばしば受け取っているのではないでしょうか。私もこのようなeメールを最初に受け取るようになったのは、今から10数年前でしょうか。誠に奇妙な言い回しだなと、そういうふうに感じました。なぜかというと、「お疲れさん」という言い方は言ってみれば、職場の同僚というよりは上司が、部下が仕事を終えて戻るときに、「よく1日頑張ったな。ご苦労さんでした」というような気持ち、ねぎらいの気持ちを込めて使う言葉だったと思います。言い換えれば、上司から部下を見る、そういう目線の言葉であるというのが私の理解で、社長に対して一般社員が、社長が会社から出るときに、社長に対して「お疲れ様でした」というような言い方をするのは、私は奇妙な印象があります。なぜそれが企業奇妙だと感じるかというのは、うまく説明することができません。おそらくその仕事をよくやったということに対する評価の言葉というのは、「上司から部下に対して」が普通であり、部下から上司に対してというのは一般的でないのではないかということです。最近は「お疲れ様でした」というような表現を、学校の先生が生徒に対して使うという場面もあるようで、私はそれもとても深い違和感を感じざるを得ません。子どもたちが一生懸命勉強して、確かに1日頑張れば疲れるかもしれませんけれど、子どもたちはその1日の努力を通して成長したわけで、その成長に対して称える言葉としては「お疲れ様」というのはあまり適当でなく、やはり「よく頑張ったね」ということが、端的でしかも的を得ていると私は感じます。
一般に日常的な表現がどんどんどんどん平凡な方向に流れるというのは、別に日本語だけの話ではなく、国際的もそうであるわけです。それが「日常のコミュニケーションができるようになることというのが言語教育の目標である」ということを平気で語る人たちが、特に英語の世界の中から出てきているのは誠に遺憾なことでありまして、正しい日本語、使われている日本語、それを使われている日常言語という置き換えたら、eメールの冒頭には「お疲れ様でした」と書くのは日本語で正しい用法であると、外国の人に対して教えることになってしまう。しかしそれはとんでもない間違いではないでしょうか。今ではすっかり使われなくなった言葉でありますが、“拝啓”であるとか、“敬具”であるとか、手紙には決まり文句の始まりと終わりがありました。昨今、「気候の優れない折りありますが、ご健勝にてお過ごしでありましょうか」というような決まり文句。それは初めの台詞の方ですね。そして「時節柄お体に気をつけてください。」これも終わりの定型句のようなものでありました。こういう決まりきった文句が心を込めた言葉ではなく、ただの形式的な言葉として使われるようになってしまったら、それは意味がないと私も思います。挨拶言葉はいちいち意味を考えないで使うもんだ、というふうに割り切る人もいるでしょう。確かにそういう指摘が合っている面もないわけではありません。しかし私は全てが一様に、つまりそのときそのときの何らかの工夫、何らかの形で自分の心を表現する努力を一切しなくなり、全て定型的に文章を書く、あるいはメッセージを書く、eメールを書くということ。これが日常的になったとしたら、それはちょっと「文化の大敗」というと少し大げさかもしれませんが、決して高い文化的な行為というふうには言えないと、きっと皆さんも納得してくださることだと思います。
私たちはともすれば、非常に安直な文化の中に生きがちでありますけれども、ときにはそれを反省し、やはり自分なりの表現、自分なりの相手への思いを言葉にするという努力をすべきではないかと思うのです。最近、日本を始め東アジア文化圏で流行っている。簡単なメッセージに、メッセージを書くのさえ面倒くさいということで、そのメッセージらしきものを絵にして送るという習慣が根付いていて、それがとっても受け入れられている。受けている。ビジネスとして成功しているようでありますけれども、私自身は、私たちが失いつつある言語能力を保管しているんだということであるとすれば、やはり恐竜の絶滅期ではありませんが、人間の言語的な文化の絶滅に向かう兆候ではないか。そんな気も大げさに考えればしてくるわけです。言葉というのはギリシャ語のロゴス。ロゴスという言葉は“論理”という言葉に繋がるわけで、私たちは“ロゴス”を大切に生きていかなくてはいけないんではないか。それは、言葉とか道理を大切にするということですね。もちろん言葉や道理だけで人間生活が送れるわけではありませんから、私たちは「ロゴスの世界が全てを支配するのではない」ということも同時に深く理解する必要があるかと思います。今日は、「お疲れ様です」という、丁寧なのか不失礼なのか、私にはよくわからない、しかしよく流行っている表現についてお話いたしました。
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