長岡亮介のよもやま話129「ロジスティックス」

 現代は広告宣伝がまかり通る時代で、ある意味でゲッベルスが言った通りのことが日常的に実現しているのではないかとさえ、前にお話しいたしましたけれども、こんにちこれほど多くの言葉が飛び交いながら、意味の通じない言葉あるいは意味の由来を考えていない言葉があまりにも多いのではないかという懸念もあって、これからお話したいと思っているテーマ、ロジスティックスという概念についてお話ししたいと思います。ロジスティクスというと、現代では軍隊のための兵糧と軍事物資を前線に輸送するための綿密な計画を意味することが多いようで、アメリカなんかでは、ビジネス世界ではそのロジスティクスを考えることがビジネスが成功する上での必須要件いう意味で、現代的なロジスティクスの使い方も流行っています。でも、おそらく現代英語のその用法は、19世紀頃から一般化した軍事用語の転用だと思います。軍隊においてロジスティクスの重要性というのを改めて見せつけているのは、現代のロシアによるウクライナ侵攻であります。一瞬にして3日間も持たずに陥落すると思われたウクライナは、どっこい1年を過ぎても降伏するどころか反転攻勢の勢いさえつけているということは、私達を勇気づけますが、それを可能にしているのは、西側諸国の軍事支援、つまり軍事的なあるいは食料のロジスティクスであり、一方ロシア側のロジスティクスについてのあまりにも無配慮な結果であると思います。そういう意味で、ロジスティクスが非常に重要で、単にある戦闘武器が供与されたとかされないとかという問題ではなく、個々の問題を含む全体をきちっとあげる。これは軍事の上で作戦を立てる必要最小限の基礎知識と言っていいと思います。かつて日本は、東南アジアにおいてイギリスの支配を打ち破るためにインパール作戦という全く馬鹿げた作戦を指揮したわけですが、それの大きな過ちは基本的にロジスティクスを無視して、戦争は軍人の意識が高ければ、特に士気・モラール、戦う気力がしっかりしていれば必ず勝つんだと。こういう精神論というふうに一括されますが、その精神論というものの重要性はもちろん間違いなくあるのですけれど、しかし精神論だけというのが非常に具合が悪いわけで、精神論を支える数学的な理論あるいは数学的な論理としてのロジスティクス、これが重要であるわけです。

 さてここからが本題です。ロジスティクスというのは、現代数学では人口曲線。人口がどのように増加するかということについて、かつて、「食料生産は現代の言葉で言えば等差数列的にしか増大しない。それに対して人口は等比数列的に爆発する。それゆえ、やがて人類は食糧危機に陥る」という非常に有名な言葉を残したことで知られる人(『人口論』を著したイギリスの古典派経済学者トマス・ロバート・マルサス)がいますけれども、人口というのは爆発的に増えると、その増えた人口によって食料が相対的に足りなくなり、人口の増加に抑制がかかる。そういう効果を考えて簡単な微分方程式を解くと、ロジスティックカーブが出てくる。言ってみれば、「成長の限界」というもので、かつて大昔になりますけど、ローマクラブという賢人会議が、「我々が20世紀において、文明の発展の恩恵を謳歌してる。しかしながらそれに成長の限界があるということを、きちっと考えなければいけない」という提言を出したのは20世紀の中頃でありました。そして、地球温暖化などという話がしきりと話題となったのは、20世紀の最後です。1990年代からでありましょう。それが国民的な声になったのは2000年をはるかに過ぎて、2010年くらいからだったかもしれません。学問の世界では、Sustainable Development持続可能な発展というのがキーワードになっておりましたけれども、それがビジネスの世界でもキーワードになっているのがこんにちの状況で、Sustainable Development Goals SDGs、そういうようなキャッチコピーまでできている。しかしながら、持続可能な発展のために何が必要か。それを数学的にきちっと推論する。これが私達には欠けているように思います。私達はいわばFANATICに未来の破局についての警鐘を鳴らすことに対してばかり熱心で、未来をどのように設計していくかという冷静な眼差しを欠いているように思うんです。

 ロジスティクスの元々の言葉の由来は、人口とかあるいは兵糧を供給することとは全く無関係に、古代ギリシャの言葉で、古代ギリシャの人々が古代エジプトの人々の建築技術を支えるロジスティクスがいかに優れているかということを学び、ギリシャ語でλογῐστῐκός(ロギスティケ)という言葉を作ったわけです。ロギスティケという言葉は、こんにちのロジスティクスの元になった言葉でありますが、それは言ってみれば、壮大なプロジェクトを実現するためには、そのための材料、そのための人材、そのための人材を養うための食料、そして輸送手段、もうありとあらゆることを考えなければならないわけですね。膨大な計算が必要であるわけです。そして今、最近ではよくあるように、ちょっと頑張ればできるんだというような、こういう本当に安直な精神論が出てくる。こんなのは馬鹿げた話でありまして、大プロジェクトではそんな精神論だけではどうしようもないということは自明だと思いますね。古代エジプトの人々はあの大ピラミッドを設計する。この大プロジェクトを実現するためにどれほどの事前のシミュレーションがあったのか、古代ギリシャの人々はそれに対して大変な驚きを持って、それを褒め称えたわけですね。そしてそのロジスティケという言葉、これはギリシャ語的発音するとロギスティケですが、ロジスティケというのを、計算術という形で体系化したわけです。ご存知のように古代ギリシャは数学においては、非常に厳密なロジックを大切にしていたために、例えば円の面積を求めるというような具体的な問題には、学問的な興味を示さなかったという驚くべき特徴があるのですけれども。他方で、古代ギリシャ人たちは、円の面積を近似的にどの程度のものであるか考える。そういう実用的な数学、それをロギスティケと呼んで、それはそれとして重視してきたわけです。

 この古代ギリシャにおけるロギスティケというのは、Αλίκη Μετίκε(アリスメティケ)の対概念でありまして、アリスメティケっていうのはまさに数論ですね。例えば素数であるとか、因数分解であるとか、互いに素であるとか、そういううるさい話。小学校でも今習ってるんではないかと思います。驚くべきことに古代ギリシャ人は素数が無数に存在するというような定理さえも証明したわけですね。すごいことですね。このような実用と全く無縁の世界に対して、古代ギリシャ人たちが示した強い関心の深さ、それは現代の私達をも感動させるものでありますが、私達がともすると忘れがちなのは、古代ギリシャの人々がそのような理論的な数学であるアリスメティケに対応するもう一つの数学をロギスティケと呼んで、それをそれなりに尊重していたということです。確かに、大数学者と言われる数学者の中には、アリスメディケの方にしか関心がないという人が多かったようにも思いますが、有名なアルキメデスのように本当に実用的な数学から厳密な論理的な数学、その二つの分野にわたって巨大な業績を残すという偉大な人もいたわけでありまして、古代ギリシャの伝統は、数学における理論的な側面と実用的な側面が二つ両立しなければいけないということをきちっとわかり、そしてそれを言葉の上で分けていたということです。

 このことは、私達の今後の文化を考える上で、とても示唆に富んでいるのではないかと思うんです。というのは、私達は学問の目標とか教育の目標を言うときに、ともすれば自分に都合の良い一面だけを取り出して、これこそが学問であるとか、これこそが新しい流れであるとか、そういうふうに宣伝しがちですね。他の方法に対する敬意を払わない。そういう独善的なあるいは独断的な、あるいは現代的に言えば原理主義的な、そういう立場をともすれば取りがちではないでしょうか。古代ギリシャの人々から、私達は彼らがあのような非常に高尚な数学的な英知を達成しながら、それと同時に実用的な数学としてのロギスティケを重視していた。その伝統が、中世ヨーロッパ、キリスト教の支配する中世の世界の中での教育では重視されなくなっていった。古代ギリシャにおいては、理論的な数学と実用的な数学、その共存が見事に実現していたということで、こんにちのロジスティクスという言葉の語源も、ここまではさかのぼることができるというお話をしたいと思いました。

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