ゼレンスキー・ウクライナ大統領が来日されて、やや日本人が喜びそうなエピソードを交えたお話をして帰りましたが、引用した日本の物語が桃太郎であったというのは何とも残念です。私も桃太郎を聞いて育った世代でありますが、ある年ずいぶん昔になりますが、桃太郎をうたうお寿司のチェーン店に行って、桃太郎の歌詞を全部読んでびっくりしました。桃太郎には元々キジとか猿とか犬とかを家来にして鬼退治に行く。退治される鬼の立場はどうなったんだろう。そんなことを思ったりもしましたけれど、しかし鬼は悪いやつだということで、勧善懲悪で生きてる私にとってはそれはごく普通であったわけです。むしろ、キジにしろ猿にしろ、きびだんごというご褒美をもらえるというだけでついていった。結局本質的に傭兵の思想でありますね。お金のためにあるいは食料のためには、自分の人生さえ投げ出す。そういう悲しい身分の侍というか、命を売ることによって生活してた人々がいたという物語です。桃太郎自身は、いわば錦の御旗、正義の味方をして凱旋するのですが、それがなんとも嫌な歌に込められていて、1番くらいはいいんですけども2番3番と続くと、もうこれはたまらないという気持ちになります。やはり文化の表層を理解するということと、文化を深く理解するということとの間には大きな差があって、ウクライナの政権を支えている知恵者がいっぱい集まっても、東洋の日本文化に対する理解は真に貧弱なものであったということが暴露されたような気もいたします。ゼレンスキーは、多くの国でその国の国民の心を捉える演説をしてきたということで、高い評価を受けてますが、それは彼個人の性格もさることながら、彼の取り巻きに文化的な歴史文化に興味を持つブレーンが存在していたということの証しなんだと思います。歴史文化というのを理解しないと、実は外交問題も理解することができないということを私達はしばしば忘れていて、外交の中に、言ってみれば、その国の文化伝統に依拠する全ての英知が結集していると言ってもいいくらい、外交問題というのはとても大切なものであると私は思います。
我が国の公共放送の作っている唯一の番組、良い番組と言ったら失礼かもしれませんが、海外ドキュメンタリーっていう番組がありまして、それには何回見ても飽きないという立派な作品がたくさんあります。私が好きだと言ったイツァーク・パールマンというヴァイオリニストと、彼を慕う登場人物の「イツァーク」という番組、これも素晴らしいものでありました。それはさておき、私が皆さんにぜひ何回も放映してますのできっとまたやると思う違いないと思いまして見てほしいと思うのは、「世界の政府は嘘をつく」というようなタイトルの番組でした。政府の公式発表というのは全部虚偽であるということです。これはまるで全体主義国家の政府、腐敗した政府を守るために、虚偽の報道を流す。皆さんの中には中国や北朝鮮や、あるいはソ連がそういうものだと思っていらっしゃると思いますが、そうではなくて、実は自由を謳うアメリカにおいてそのような虚偽の情報が流されていたということを、ドキュメンタリーとして語ったもので、大変立派なものであります。その政府のついた嘘を暴くために、民間の団体、日本的に言えばNPO法人の『Bellingcat』(猫に鈴をつける、猫は政府)が国際的に協力して、政府の動きを察知するようにそのベルをつける。Bellingcatはそれで大変有名になったわけですが、今回も国際政治の舞台でいろいろと活躍しています。地味な活動でありますが、その地味な活動を通して、政府の虚偽を暴くということです。その政府が発表していること。それはアメリカや日本の政府であれば、それは嘘がないと、人々は信じているのではないでしょうか。私からは見ると、いわゆるカッコ付きの「自由主義国家」、民主主義とか自由とか基本的人権、それを共有の価値観とする、これカッコ付きで言わなければいけませんが、そういう国々において、政府発表はみんな本当であると、基本的にそう思ってるんじゃないでしょうか。時々とんでもない総理大臣がいて、嘘をつき通す。そのことによって、本当に気の毒なことですけど、誠実な役人が自らを死に追いやるっていうとこまで追い詰められた事件、ついこないだ起こったことで他人事でない。私達自身の問題だと。私達も、もしかしたら自分の良心に従って生きようとしたら、自分の命を絶つより他ない。そういう国に生きてるんだという現実を突きつけた事件でありました。
そのような中に、私達が生きているということ。私達は気楽に政治を評論して、今の政権は駄目だよねとか、今度の政権は少しまともだよねといい加減なことを言っていますが、その政権の表層に表れているのは馬鹿みたいな政策ですね。異次元の少子化対策とあほくさい、論評するにも値しない政策でありますが、政策の影に着々と進行させている最も重要な政策があります。その政策は秘密裡に進行しているわけで、それはどんな人も止められないような、ありとあらゆる仕掛けで守られている。ときには虚偽、嘘の情報を突き通すということをもって、その長期的な政治戦略というのを実現しようとしているのです。皆さんの中には、「北朝鮮、一体何考えてんの。あんなに国民がご飯も食べられない貧しい国が、ミサイルをバンバン撃ち上げて。日本だってミサイル失敗してるのに。」そういうふうに思ってる人がいっぱいいるんじゃないかと思うんです。日本人から見ると馬鹿じゃないか、考えられない、なんであんなことをするんだと思っている国の外交政策、北朝鮮にしても今のロシアにしても、我々から見ると信じがたい政策の背景に、個人的に愚かな指導者が勝手に自分の国の政策を牛耳ってるということがあるだけではなく、それを支える大きな戦略があるということ。それを時々は考えてほしいのです。プーチンも北朝鮮の指導者も、個人的に見るととても賢い判断をしてるとは思えない。しかし、その彼らの愚かしい判断を支えているもっともっと大きな戦略がそこに存在していること。そしてそれはアメリカももちろん知っていること。西側の世界の政治のリーダーたちもみんな知っていること。そういう外交戦略の隠れた側面にも時々注目しなければいけないと思うんです。
日本は残念なことに新聞を初めとして、そのような情報の偏りに対して修正を加えなければいけない、言論の自由を保障された国のジャーナリズムが、必ずしもそのような問題に鋭く切り込むという例は少ない。かつては存在してたんですが、もうそういうジャーナリズムが、商売が成立しないということでもって今は広告至上主義、もう本当に大新聞といえどもこんな広告を出して恥ずかしくないかというようなことを、堂々と広告を打って商売をしている。広告は紙面の主張とは別だというのが記者の立場でしょうけれども、そういう広告主に魂を売ることによって商売をしてるっていう現実を、何といっても弁解することはできるはずがありません。広告資本主義という言葉を私はちょっと前に使ったんですが、別に資本主義というよりは広告主義と言った方がわかりやすいと思うんですね。言ったもん勝ち。金を出して言わせれば、それで勝つんだ。こういう世の中に今なりつつあるということは恐ろしいことで、特に外交問題の背景には、非常に多くの事柄が隠されている。そして隠されているがゆえに、今テレビやあるいはインターネットの、ちょっと無責任な情報では、いろいろと日本人が喜びそうなガセネタをさもありなんというふうに報道しているものがたくさんあります。この信じられないような政治の背景に、どんな阿呆な企みがあるかということを、そういう可能性がなくもありませんねというような無責任な言い方で論評している。そんなものがまかり通っていますけれども、私から見ると本当に賢い人たち、ずる賢いと言った方がいいかもしれませんが、そういう人たちが、数学の問題を解くような慎重さと軍事戦略を描くときの大胆さでもって、政治戦略を描いているということ。そしてそれはウクライナも別に例外ではないということ。ゼレンスキーも決して正義の代弁者というだけではないということ。ゼレンスキーは大統領になってからとても立派な人物になったと私は感心しておりますが、その政権の汚職ぶりは、もう既に何人かの重要な人物が更迭されたことから見ても明らかです。しかし、中に立派な人がいることも事実です。外交っていうのはそういういろんな人によって、包括的になされていく。ありとあらゆる戦略を念頭に置いて、最善の戦略をとって練られていく。その戦略の中には自分の国を悪く思ってもらう、自分の国を悪く思わせる、あるいは自分たちの指導者が馬鹿だと思わせる。それも一つの戦略であるということですね。
私はこういうことを高等学校の時代に、『Agree American(醜いアメリカ人)』という小説で読んで、非常にショックを受けました。外交問題の背景には、このようなことがあるんだという、外交の真実を見た思いがするわけです。私達は、一般に報道される表面的な報道、それが真実の全てであると思っては絶対にならない。それは真実の欠片であるということ、その欠片の背景に巨大な見えない大きな現実があるということ。それは氷山の一角という言い方がありますが、氷と水の比重の違いから、氷の方がわずかに軽いので本当に表面だけ出るわけですね。しかし氷山の大部分は海水の中にある。それは常識で、北極の氷が溶けたからといって、水面が上昇するわけではないという、言ってみれば、地球温暖化説を揶揄する学者たちの意見は真に当然なわけです。南極の氷が溶けるのと意味が違うわけですね。北極の氷ってのは海に浮いてるわけですから。海に浮いてる部分は、実はその海水面の下の大部分の本当の一角でしかないということ。特に外交問題に関して私達が知る情報は、本当に氷山の一角でしかないということを、私達は決して忘れてはいけないと思います。そして、アメリカは来年大統領選挙を迎えます。日本でも選挙というような話題がにぎにぎしく交わされている世の中になっています。しかしながら、私達の不安は増すばかりです。私達が2年後、3年後にどのような世の中を迎えるのか。ちょっと冷静に考えてみると、厳しいものがあるということを誰でもがわかるはずだと思いますが、そんなことを時々考えていただきたいんです。そして皆さんがもし英語が嫌でないならば、アメリカ発のニュースを見ていると、例えばBloombergのような経済情報を専門とする新聞であったとしても、日本の経済状態がどのようなものとして世界で見られているかということを知ることができます。ぜひ水面下の情報をできるだけ集めるようにして、正しい判断をする大人になるようにいたしましょう。私達はもう小さなかわいい子供ではないのですから。
コメント