長岡亮介のよもやま話121「クラシック音楽(Ⅲ)と数学」

 今日はちょっと趣向を変えて、バックグラウンドミュージックをかけながらお話したいと思います。バックグラウンドミュージックとして使っているのは、最近の若い人たちの間ではあまり聴かれないらしいドイツの偉大な作曲家テレマンの、「ターフェルムジーク」というドイツのタイトルの付いている音楽曲集の一部です。クラシック音楽という日本語、英語ではclassical music、古典的な音楽という意味ですが、音楽としての古典であって、classicalという言葉から連想する非常に古いものというのを考えると具合が悪いですね。例えば、日本で言えば、源氏物語とか、枕草子とか、そういうものを古典という。この感覚で、クラシック音楽というのを語ると、大いに間違えてしまう。ほとんどの人がクラシック音楽だと思って、日常的に聞き、あるいは日常的に敬遠しているクラシック音楽というのは、古い方でも、ベートーヴェンのような古典派って言われるような人々。多くは、ロマン派と言われる、ごく最近の音楽家であるわけですね。19世紀の音楽家であることが多い。

 それに対して、その古典派よりも前に偉大な音楽の時代があった。これを、ある時期からバロックというふうに名前をつけた。歪んだ真珠という意味だという話が有名でありますが、バロック期の音楽を代表する大作曲家がバッハでありまして、ヨハンセバスチャンバッハ、バッハというのはドイツ語では、細い小川という意味なんですが、有名な音楽評論家の言葉に、「バッハはバッハでない。バッハは大河である。大きな川である。黄河とかナイル川とかチグリスユーフラティス川とか、そういう川である」という言葉があって、それは真にその通りだと思いますが、そのバッハが、初期の作品が発掘され、そしてその研究が進むにつれて、バッハがそれ以前の時代の人々から多くのことを学んでいたということが明らかになり、そのバッハ研究を通じて、ヴィヴァルディ何かが発掘される。そしてアルビノーニが発掘される。もうヴィヴァルディとかアルビノーニっていうのは現代では極めてポピュラーな音楽で、結婚式などでもよく利用されているのではないかと思います。

 そういったバロック期の全盛時代、それよりも少し前にも、いろいろな音楽家が活躍したわけで、その中でも特に私にとって印象的なのは、今お聞きいただいているテレマンという作曲家です。彼は膨大な数の音楽を作曲してるのですけれども、それは膨大な数になっているのは、彼が長生きしたということの他に、彼の作曲の仕方だったならばいくらでも音楽が作れるでしょうとベートーベンなんかだったら言うに違いない、同じような音楽の運びある。そういう意味で、1曲1曲が非常に独創的で胸を打つ。というわけでは必ずしもない。そういうふうに言えるかと思いますが、しかしその彼が作った楽曲の名前が、「ターフェルムジーク」というふうに名前が付けられている。英語にすれば、テーブルミュージックです。日本では、これを「食卓の音楽」と訳していますけれども、いささか意味が誤解されがちな翻訳ではあると思います。要するに、人々が円卓で食事をする、あるいは飲み物を楽しむ、そして会話を楽しむ。そういうような社交の場において、無音だと雑音が気になる。バックグラウンドミュージックとして、このような音楽をかけて会話や飲み物、食事を楽しむ。そういう特権階級のために、テレマンという音楽家が捧げたのがこの音楽でありました。確かに聞いていて感動的というよりは、聞いていて心が休まるというか、今流行りの言葉で言えば、癒しの音楽とでも言いましょうか。音楽があまり強い自己主張をしないわけです。しかしながら、このようないろいろな楽器の音の調和を研究するという仕事は、まさにそのテレマンによって大きく前進したんだと思います。

 音楽の歴史は数学の歴史だと言ってもいいくらいでありまして、古くはピタゴラースに遡るわけです。ピタゴラースというのはその個人ではなくて、ピタゴラース教団と言われる一種の宗教的な秘密結社のようなもので、「音楽と数学」、それを魂を浄化するために非常に重要な手段であるとみなしていたグループであります。彼らは数学と同様、音楽についても研究した。そして、彼らの大発見は音楽の中に数学が潜んでいるということでありました。以来、音楽の研究というのは、器楽のための前提条件を整備するための理論としての数学、比例論というものとして、非常に進歩を遂げるわけですね。比例論というのは、「ユークリッドの原論」という中でも13巻あるうち最も難しい巻と言われる第5巻がそれに捧げられていて、現代の中学生・高校生・大学生はその難しさをほとんど知らないで、相似とか比例とかっていうのを使っているわけですが、数学科の学生であれば、比例論というのが実は大学一年生で学ぶ現代的な実数論に相当するものだと言えば、その難しさがすぐにわかると思います。

 そういう研究の中で音楽が生まれ、育ってくるわけでありますが、基本的に短音階の音楽であったわけですね。モノフォニーというふうによく言いますが、それが和音というものの前身であるポリフォニーが研究されるようになるのは、12世紀とか11世紀、ヨーロッパのルネサンス運動の開始時期に当たるわけです。この音楽の研究が本格化する時代というのは、実は自然科学においても研究が本格化する時代であって、まさに古典であるところのギリシャを、何とかヨーロッパの中世の人々あるいは近世に先立つ時代に生きていた人々が、ヨーロッパにおいてギリシャの精神の結晶である文化的な遺産を復活しようとする、それがルネッサンスであったわけです。いわゆる芸術上のルネッサンスと言われているもの、とくに美術に関してはイタリアルネッサンス、フィレンツェルネッサンスが注目されることが多いので、ずっと後のことのように皆さんは思っていらっしゃいますが、実は本当は11世紀とか12世紀に始まっている。

 そして、音楽と数学というのは、そのルネッサンス運動の最も重要なものでありました。その音楽と数学が同時にルネサンスで研究されることを通じて、音楽自身も非常に発展を遂げるわけです。その発展を遂げた中で生まれたものが、様々な楽器を同時に演奏する、テレマンの音楽のようなものであったわけですね。この時代から、本格的な音楽が始まる。クラシック音楽といっても、実は、テレマンまで遡っても17世紀だということです。日本でいえば江戸時代、徳川によって平和な世が築かれた。そういうふうに安心した庶民もいるでしょうし、また徳川に滅ぼされた人々の中に、いつか仇を取るぞというふうに強い思いを持った人たちもいたかもしれません。しかし、徳川によって全国の国に分かれて戦っていた戦国時代に、最終的な終止符が打たれたわけですね。その前に豊臣とか織田信長とか全国制覇を試みた英雄的なというか、歴史的な人物がいたということも事実でありますけれども、ともかく、17世紀は日本においては、平和な世の中が訪れた時期であります。平和な世の中が訪れたことによって、人々の文化的な水準が高くなったかったかというと、日本は、雅楽のような非常に素晴らしい文化的な芸術的伝統を持っておりますが、あるいは日本の絵画に関しても、これは実は江戸の初期ではなくて、むしろ中期以降に大きく花開くものでありますけれども、高い水準の芸術を持っておりましたが、日本の芸術の一つの特徴というか、弱点というか、それは数学と結びついていなかったということなんですね。雅楽の特有の旋律があって、それは私達の誇るべき伝統文化でありますけれども、その旋律を数学的に理解しようとすると、あまり単純な理論が作れない。

 それに対して西洋音楽というのは数学的に非常に精密な議論の上に、成立してきたわけです。音楽だけでなく、全ての分野で芸術が数学と結びついていた。このことが、現代の西欧の科学の強さで、20世紀における圧倒的な軍事的優位性を西側諸国に保障したものである、と考えて良いと思います。我が国は残念ながらそういう面では、明治以降、西欧列強に学ぶ、もっとより正確に言えば、その猿真似をするということによって、追いつき追い越せということをやったわけですね。そのことを私達は忘れてはいけないと思うんです。と同時に、西欧列強においても、クラシック音楽というものの発生をたどると、実はそんなに古くまでたどることができるわけではない。もちろん教会音楽とか、古いオルガンなどたくさん昔のものはあるわけですけれども、いわゆる近代に連なるものというのは、やはり遡っても12世紀からということになり、15,6世紀に花開いて、こんにちの文化的な華やかな発展に繋がったということです。

 クラシックは極めて身近な存在であるということ。そのことに、皆さんの注意を喚起することができたらと思ってお話いたしました。調べると簡単に出てくると思いますので、テレマンの「食卓の音楽ターフェルムジーク」を一度聞いてみてください。

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