長岡亮介のよもやま話112「発見」

 今回は「発見」ということについてお話したいと思います。皆さんは、「発見」という言葉を聞くと、それは自然科学上の大発見のようなとてつもない偉業、あるいはコロンブスの新大陸発見、「発見」というのはおこがましい話でありますし、新大陸という言い方も誠におこがましい話だと思いますが、そういう問題は横に置いておいて、いずれにしても、他人が気付かなかった、あるいは考えもしなかったということを、考え出した最初の発見。これしばしば偉大なものでありますね。そのような偉大な発見ができるいうのは、まさに人類の0.00001%くらいの特別に、選りすぐられた天才的な人によってなされるものであって、自分にはあまり関係ないと思ってる人が多いんではないでしょうか。私もそのように考える者の一人であることを告白しなければなりませんが、大発見というからそうなのであって、小さな発見でも良いということであれば、「発見」という言葉を使う代わりに「気づき」という言葉を使えば、それならば自分でも経験がある、思い当たる節があると思ってくださる方は多いと思います。私の考えではその「気づき」というのも、自分ではそれまで全くわかっていなかった事について、今はわかったというような、認識の大変化があるわけですから、これはまさに「発見」というべきですね。そのような小さな気づきも発見であるとすれば、大きな気づきは大発見と言ってもいいわけです。

 私達はしばしば、日常生活の忙しさ、あるいは平凡さの中に生きていて、何も不思議でないこんなことは当たり前と思って過ごしていることが多いのだと思いますけれども、例えば「今日のご飯はちょっと美味しいね」と気づくとか、あるいは「この水、ちょっと今まで飲んだ水と違う」とか、「このコーヒーの香りちょっと独特じゃない。」そういうごく日常的な生活の身の回りの気づきであっても、「気づき」であることには変わりない。普通の人が気づかなかったところに、美味しさとか芳しさとか、そういうのがあるということを発見したということです。そして、一番大切なことは、私達がともすると、疑わずに当たり前だと思っていることの中に、実は嘘がある、虚偽があるということに気づくことです。世間の常識と言われているものに対して、そこに嘘があるということに気づくことは、とても大切ではないでしょうか。

 昔話になりますが、私は今圧迫骨折をした関係でゴルフなどともできませんが、昔はよくゴルフに行っておりました。私はゴルフのような趣味を持つ人間では元々なかったのですが、私の先生に対するご恩返しの気持ちでゴルフにお付き合いするというところからスタートしたわけです。あんなもの簡単だと、私はテニスをやっておりましたので、テニスに比べればゴルフなんか何でもないと思って始めたわけでありますが、これがなかなか奥が深くて、最初のうちは本当にボールがピューンピューンと驚くほど曲がるんですね。私は若い頃始めたので、「長岡君よく飛ぶね」っていうふうに褒められましたけど、しかし「よく曲がるね」とも言われました。ゴルフでは、遠くまで曲がらないまっすぐの球を打つというのは、初心者には容易なことじゃないわけです。そういう初心者の私にとって、新聞の下に出てくる巨大な広告で、新しいクラブができて、それは「飛び且つ曲がらない」と書いてあると、値段が法外であっても何とかすそれを手に入れたいなと思ったものでした。ある意味で、広告宣伝というのは、全てそのようなゴルフ道具のように、下手な人、心に劣等感を抱いている人、よく言えば向上心を持っている人、つまり現状に満足していない人に対して、「いや、あなたはその現状を改善する余地がありますよ。それはちょっとお金を払ってくださればいいんです。」というのは、実に甘い囁きですね。私は幸いお金がなかったので、そのような甘い誘惑には乗らず、最初に買ったクラブでもって一生懸命練習を続けて、少々ゴルフも上手になりました。

 しかし、自分にコンプレックスがあると、そういう甘い囁きが心の中にグサッとくるということは、私自身にも経験があります。そういう時にそれに逆らって考えるのは、実は簡単なことなんですね。もし「飛び且つ曲がらない」というゴルフの道具があるならば、全員がそれでやれば飛び且つ曲がらない。そういうふうなるじゃないかという結論が直ちに導かれるんですが、そういう高級なクラブを使っても飛ばない。ゴルフでは「トップする」とか「ダフル」っていうのが一番下手な人のやることですが、それは直ることがありませんし、クリーンヒットしたときには、やはり曲がるもんなんですね。スイングそのものが、ゴルフではしばしば初心者はアウトサイドインというスイングをするわけですが、そういうスイングをしてるうちは、どうしても曲がるもんなんです。同じことは、「毎日30分のレッスンで、英語が喋れるようになります」とか、「毎日一粒飲むだけで、綺麗になります」とか、「毎日何とかかんとかすれば、10歳若返ります」とか、人の弱い心に漬け込む広告宣伝の類はいっぱいあります。そしてそれが広告宣伝であるならば、多くの人がそれに騙されない。それだけの知恵は持っていると思います。

 しかし、私達が本当に警戒しなければいけないのは、そういう露骨な広告宣伝ではなくて、露骨な広告宣伝は虚偽だらけだということを知っている私達でさえ、つい騙されてしまうものは、「世間の常識」というものです。私達が大人として生活していく上で、常識と思っているものは数多くありますが、そういう一つ一つの常識に対して、果たしてそれは普遍的な正当性があるのかなというふうに考える習慣、つまり毎日毎日新しい気づきに目覚める経験、そういう毎日を送りたいものだと思っています。

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