長岡亮介のよもやま話61「数学の専門用語」

 言葉の乱れについてお話したついでに、いわゆる専門用語というか、業界用語と言ってもいいですが、それについてお話したいと思います。専門の学問の分野で使われる専門用語は英語ではしばしば、technical termと訳されます。業界用語の方はjargonでしょうか。technical termとjargonとの決定的な違いは、言葉の使用法が厳密であるか、それとも曖昧であるかです。業界用語というのは、曖昧なまま業界外の人には意味が通じない、ということがその特質でありまして、テレビなどの世界では夕方から始まる番組であっても、最初にお目にかかるときには、「おはようございます」という挨拶をする。これが業界用語ですね。「おはようございます」をもしgood morningと訳したならば、意味が通じないわけです。

 他方、専門用語の世界では、数学の用語というのは全て専門用語なのですが、専門用語を、日常用語とは全く独立に作ることができないので、日常用語を流用して専門用語を作るという特質があり、そのことがしばしばあまり重要視されていない、あるいは見過ごされていると言っていいと思います。例えば数学で私達は、「数」という言葉を使います。英語ではnumberと言いますね。この「数」という言葉は、元々数学の専門用語であったかというとそうではない。明らかに日常的な用語だと思います。「数える」という日本語の動詞の漢字表現の中に、「数」という言葉が登場することからもそれは明らかでしょう。英語では数えることはcountといって、numberとは違う言葉があります。

 数学の専門用語として、「数」と並んで基本的なものに、「足し算、引き算」というような、数学的には演算operationと言われるものの言葉がありますが、ここに使われている「足す」とか「引く」という言葉は、日常的に使われている言葉を流用しているもので、したがって本来ならばそれを厳密に定義する必要がある。初等数学の範囲の数学の言葉を厳密に定義するのは、しかし実は意外に難しいことで、これは大学の専門的な数学の話題になります。したがって数学の専門用語といっても、むしろ中学校以上の言葉の方が専門用語というにふさわしいかもしれません。

 しかし、学校数学つまり中等教育以下、中学高校以下の学校で教えられる数学用語というのは、実は明確に概念的に定義されているものは例外的でありまして、ほとんどがきちっとした定義を与えられていないですね。例えば「方程式とは何か。」というようなことを、教科書できちっと書かれているのを見たことがある人がいるでしょうか。ほとんどの例えば中学校1年生の教科書で学ぶときには、一次方程式でありますが、「このようなものを一次方程式という」というような表現が、検定教科書などでは一般的です。このようなというのは、しかしどのようなものなのかって言われたら、本当は困るはずなんです。実際、これを数学的な厳密性をもって定義しようとすると、やはり大学以上のセンスが必要となります。

 「方程式」と「等式」という言葉。これも中学高校の数学で頻繁に登場する基礎的な概念ですが、この概念を日常語の延長で理解することなく、厳密に論理的に理解する。それは極めて困難ですね。方程式と等式の類似性と創意性です。両方とも等式ではある。しかし、「特別に未知数を含んでいるものが方程式である。」というふうに説明する先生がいるとすれば、それはあまりにも楽天的な、あるいは楽観的な先生で、A=B、これが等式や方程式を最も抽象的一般的に述べたものだと思いますが、A=B、これが方程式なのか、それとも単なる等式なのかと言われたらさっぱりわかりませんね。実は意外に難しい話なんです。「未知数の値が有限個に決まるものを方程式。それに対して未知数の値が決まらないものを等式という。どんな未知数についても成り立つものを恒等式という。」こういうのが高等学校なんかにおいては一般的な定義かもしれませんけれど。二つの未知数についての単独方程式、最も簡単なのはY=X。この方程式は未知数が2個ありますから解が無数にある。解が無数にあるんだから、任意の数が解なのか。そんなことない。X=Yっていう方程式の解は、実は無数にあるけれども、決まってるわけですね。例えばXとYがともに1であるとか、ともに3であるとか、ともにマイナス5であるとか、ともにマイナスπであるとか、同じ値でないといけないわけです。こういうふうにして、等式と方程式の区別さえ容易でない。まして「関数」とどういうふうに違うかっていうふうに言われると、それはとても難しいわけです。

 専門用語として使うからにはそれをきちんと定義することが必要です。高等学校の数学でさえ、実は学年が上に行くに従って、定義が明確になってくるという傾向があります。しかし、高校数学の範囲でさえきちっとした定義がないものがいっぱいあります。その典型的な例は、「数列」でしょうか。1・2・3.…、こういうふうに数が並んでいる物を数列という。数がこういうふうに並んでいる。いずれも定義されてない言葉ですから、これでは説明になっていないわけですね。「数列」を定義するのは大学以上であるならば、「自然数全体の集合上で定義された関数、これを数列という。」これで終わりですけど、そのためには「関数」の定義がないといけない。関数を定義するのは高校以下では結構大変で、厳密な定義は大学の数学の範囲になります。「集合論」について少し進んだ理解がないと、関数を定義することができないわけです。しかしながら、高等学校における「微分・積分」これに関して言えば、実は高等学校の数学で「微分」の定義がきちっと与えられているんですね。「関数」、与えられた「関数」と、与えられた定数A対してX=Aにおける微分係数の値f‘(a)、これを対応させる関数をf’(x)、関数f(x)の導関数といい、f’(x)と表す。こんなふうに定義がなされている。

 この定義に本当に意味があるのかということは、結局のところ、微分係数の定義がどのように論理的なされているか。微分係数を定義するには「極限値」っていうのを定義しなきゃいけない。極限値を定義するっていうのはどういうことかという難しい問題があり、これは大学ではεδ論法というふうに、これも専門用語ですが、普通日本では英語式にイプシロンデルタというふうに呼んでいる先生がいますが、ギリシャ語を知ってる先生ならば、エプシロンデルタ、そういうふうに言うでしょう。要するに、ギリシャ文字のεエプシロンとδデルタ、英語のスモールeスモールdに相当する文字でありますから、εδ論法という代わりにed論法と言ってもいいわけです。

 これが非常に厄介でありまして、まさに専門用語の世界でありまして、この専門用語を理解するには、論理についてまず理解する必要がある。だからとても厄介なんです。しかし、その論理をマスターしてもらえば何でもない。この論理については、また次の機会にでもお話したいと思っておりますが、実は数学における専門用語も、学年が進行するにつれて精密に定義されていくと申しましたが、実は学校数学の段階では、専門用語でさえきちっと定義されてないということ。そのことにもっともっと数学を学習する人も、数学を教える人も注意を払うべきだと思うんですね。学校数学で目指している「数学の厳密性」っていうのは、所詮その程度の定義の曖昧さを持った専門用語の上に築かれているものに過ぎないということです。数学の概念が理解できないという、数学が苦手な生徒たちに対して、学校数学が完璧なものではないということを、先生たちがもう少し理解してくれたならば良いのにな、と私はつくづく思います。

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