長岡亮介のよもやま話49「学校の意味」

 今日は、「学校というのはそもそもどういう意味を持つのか」という根本問題を取り上げて、集中的に考えてみたいと思います。英語では学校のことをスクールというふうに呼びますね。スクールの語源はラテン語のスコラでありまして、中世の時代に、スコラという場所に集まって、つまり学校に集まって、若い子供たちに勉強を教えた。その勉強を教えるというのは、社会の指導的な人になるための基礎的な勉強から専門的な勉強へと進んでいくための準備段階。それを担当していたわけでありまして、当時は、自由七科と呼ばれる基本的な七教科で、その中には自由三科と言われる、言ってみれば本当の基礎的な教養、そしてその上に自由四科と呼ばれるちょっとした難しい教育、それが待っていたわけであります。

 ちなみに自由三科というのは、三つという意味でトゥリヴィアム、そういうふうに呼ばれていました。ラテン語的に発音するとトリウィウム、英語的に発音するとトリビウムでありますね。このトリビウム自由三学科と呼ばれるその学科の名前から、現在の英語のトリビアルという言葉が発生するわけで、現代では自明な、簡単な、考えてみるまでもなく明らかな、という意味で使われるわけでありますが、言ってみれば学校で学ぶ基本的な三科、それは誰でも理解できる、簡単に理解できるという意味で、自由三科といったわけですね。論理学であるとか、修辞学であるとか、弁論術であるとかそういったものが基本的な学科として、まず教えられた。

 そしてそれができるようになると、その次に自由四科quadriviumというのが続くわけです。それは少し中世の子供たちにとっても、なかなかハードルの高いものであったのでしょう。それは数論と訳されることの多いArithmetical数の計算、主として正の整数ですから私たちだったら自然数というところのものですね、それについての四則計算を中心とする学科。それから今の英語だとGeometryに相当するGeometria幾何学ですね。その幾何学と言っても主にこの後でお話する古代ギリシャの末期、紀元前3,4世紀、紀元前300年ぐらいの時代に、作られたユークリッド、ギリシャ語ではEukleídēs(エウクレイデス)と言いますが、彼の書いた、というより編集したというふうに言う方がいいでしょうが、当時の数学的な知識を論理的に体系立てて編纂した13巻本の大著があるんですが、主としてその第1巻に表現されているいわゆる平面幾何の初等的な部分、現代でいえば三平方の定理とその逆の証明で、そういうようなことが教えられていた。それがGeometry。その他に天文学。天文学というのは、単に天体を観測するというものではなく、天体の中には1日に地球の周りを一周する。1日ごとに少しずつずれていくという、恒星球というふうに言うとわかりやすいと思いますが、恒星が張り付いているというふうに考えられていた天の球、その天球の上を、いわゆる恒星で作られる星座がきちっと形を崩さず、回転してるわけですね。にもかかわらず、その天の中でひときわ明るく見える星の中で、不規則な運動、運動といっても星の動きですから、肉眼で見て動いてるっていうふうに感じるわけではないわけですが、時間をかけて観察していると、その動き、天球の恒星球の動きとは別であるかのように、まるで不規則に惑っているかのように、あるいは迷っているかのように運動する明るい星々がある。その惑う星という意味で、日本では惑星っていうふうに訳しますが、これは非常にいい訳で英語のplanetの訳ですが、英語のplanetいう言葉は、ギリシャ語のplanetes、プラノーというのはさまよい歩くっていうことですね。天球の世界をさまよい歩くかのように動く惑星の運動、これは不思議な運動なわけです。天は完全であるはずなのに、なぜそのように不規則に動くのか、その不規則な運動を、規則的な運動の合成として説明する。これが古代ギリシャの大天文学者プトレマイオスの作ったいわゆる「天動説」と呼ばれるものの壮大な体系でありまして、この天文学はコペルニクスによって覆されたというふうに、現代の私達は普通考えているのですが、それほど簡単ではなくて、コペルニクスの理論は理論的に明解だという点で、その後Galileo Galileiとかケプラーであるとか、そういう有名な科学者によって支持されたんです。

 しかし、必ずしも理論的に、いや天文学の説明として、プトレマイオスの説明よりも圧倒的に優れていたというふうに必ずしも言えない面もあり、プトレマイオスの説に従っていくらでも説明することが精密にできていたわけです。そしてそういうとりあえずの理論、この理論を若者レベルでも学習できる程度に簡易化した天文学。これが四科の一つでありますね。天文学は、したがってある意味では三角法と言ってもいいわけです。現在では平面三角法というのは、中学から高等学校にかけて勉強し、アメリカではtrigというふうに言われている実用数学の代表でありますね。日本ではどういうわけか、非常に難解な純粋数学のように教えられているので、三角法、あるいは三角比に関して、それで数学が嫌いになってしまうという人が多く存在すると言うのは大変残念なことで、実は最も身近な数学であるわけです。そして歴史的には、私達が普段勉強してある平面三角法よりも遥かに難しい球面三角法というのが、quadriviumの教育の主たる問題であったわけですね。

 そして、四つ目それが何かっていうと、皆さんは意外に感じるでしょうけれども、それが音楽であったわけです。音楽というのは、皆さんは数学と全く縁遠いというふうに思っていらっしゃると思いますが、現在普及しているいわゆる平均律ドレミファソラシドという白鍵と黒鍵とで構成されたそういう平均律、これを今疑いなく普通の人は勉強している。音楽家になっている方々は平均律が実はインチキであるっていうこともよくご存知で、平均律っていうのは言ってみれば、ある種の妥協の産物に過ぎない。したがって、古典的な音楽、いわゆるクラシックでは一緒には弾かない音っていうのはたくさんあったわけです。一緒に弾くと、矛盾が拡大するという趣旨で、ある特定の音楽に即して調律するというと不協和音が出ない、とそういう仕掛けで作曲されたわけですが、20世紀に入ってからはそのような不協和音だって別に構わないじゃないか、という新しい音楽の発想が生まれて、平均律の占める位置はますます確固として確立されたように思いますけれども。

 実は平均律以前には様々な調律についての理論がありました。古典的には皆さんが名前だけはよくご存知のピタゴラス、先ほど三平方の定理と言いましたが、ピタゴラス学派と言われる集団がいたわけですね。ピタゴラスという人、個人というよりはピタゴラス学派の人々、あるいはピタゴラス教徒と、マア宗教的な秘密結社のような集団がいて、その人たちが最初に研究したのが音階の理論でありまして、不思議なことに異なる音においても和音が発生して、えも言われぬ調和の世界に導かれる。この中に数学的な秩序があるということを発見したのが、ピタゴラス教団であったわけですね。そしてその音楽の、あるいは音階の秩序が極めて数学的に美しい秩序であるので、ピタゴラス教団の人々は、彼らの持っている宗教的な確信から「宇宙は基本的に数的な秩序、数の持っている秩序でもって記述できる。」そういうふうに確信したのでありましょう。

 そういう古代ギリシャの伝統それもあって、自由四科、つまり応用の方に入るのは、数論、幾何学、そして天文学あるいは球面三角法と、音楽だったんです。音楽というのは別の言葉で言えば、「比例論」と言われるユークリッドの原論という、先ほど紹介した第1巻の話とは違う第5巻に展開されている比例に関する難しい議論。それはいわゆる正比例反比例という比例ではなくて、むしろA対BはC対Dというふうに表して、普通に小学生でもやっている比例計算のようにも見えるんですが、実は単なる比例計算ではなくて、難しい和音の理論を数学的に記述する。ユークリッドの原論13巻の中でも最も難解な巻の一つに展開されたものをあり、それが実は後ろの方の巻、5巻以降の巻にずっと引き継がれるわけであります。そういうものの入門的なものが教育されていた。そういう意味では自由四科というのは、ほとんど数学であったと言ってもいいくらいなんです。

 それが僧侶とか、あるいは法律家とか、あるいは行政マンであるとか、王様の側近として仕える官僚ですね今で言えば、そのような人、それから、あとは医者。「ごめん間違った」というふうには弁解では済まない、そういう世界で生きる人々を養成する機関として、学校があったというわけです。当時学校は今の学校と違って、例えば医学でもいわゆる臨床医学のための医療技術を鍛える、あるいはエンジニアリングのための職人を鍛えるというような、実学教育はほとんど視野にない。そういうもんであったと断定していいと思います。極めて理論的な哲学的、あるいは神学的な背景を持って教育がなされていた。その基礎として、先ほど紹介した自由七科、三科と四科合わせた七科があったということです。それを教えるのはスコラでありました。それを若い子供たちを集めてやったっていうんですが、若い人を集めて教育することが非常に重要であるということに、最初に気づいた人が誰だったか、これはあまり明確な答えを与えることはできません。

 しかしはっきりとそれが重要であるというふうにして、そういう学校を作った最初の人の1人が、プラトーンという哲学者であり、彼が学校を設立した土地、それがアカデメイヤーという場所でありました。アカデメイヤーという場所がやがてプラトンの学校という意味で使われるようになり、アカデメイヤーという言葉から、現代の英語のアカデミー、学術中心というそういうような意味が生まれるわけですね。今ではアカデミーということはもう何でもかんでも使われるようになって、美容理容アカデミーなんていう使い方もあるかもしれません。あるいはITアカデミーなんていうテクノロジーのアカデミー、それを名乗るところもある。そのくらいアカデミーということも軽くなっていますね。でもしかし学校というものの最初の姿であったかと思います。

 プラトンのアカデメイヤーの門柱には「幾何学を知らざる者、この門に入るべからず」という言葉が書かれていたという逸話が残っていますが、哲学を勉強したい、哲学とはその頃専門的な一つの分野としての哲学ではなくて、要するに学問全体ですね、その基礎となる学問。「学問を学ぶためには幾何学を知らないと話にならない」というプラトンの哲学がそこに表現されていたと言われていますが、プラトンの学校の卒業生っていうか、プラトンの弟子、あるいはライバルと言ってもいい、プラトンと正反対の哲学を打ち立てた人に、アリストテレスという有名な哲学者がいて、プラトーンとアリストテレス、この二人で哲学の二大潮流を全部代表することができるほど偉大な思想家でありますけど、アリストテレスはLykeion(リュケイオン)という学校を作って、そこで哲学というか、当時の哲学は今で言えば万学、全ての学問と言った方がいいと思いますが、それを教えたわけですね。リュケイオンという言葉は今ほとんど失われていて、フランス語のエリート高校を表すリセという言葉に名残を残しているだけですね。日本ではほとんどリュケイオンと言っても意味が通じなくなりました。

 ところで話がだいぶ長くなってしまいましたが、そのくらい古い伝統を持つ学校という制度、これは若者を一緒に集めて、みんな未熟な若者なんですね。未熟な若者なんですが、それを一つに集めて、そこに学問の指導者である先生がいて、そういう集合を作るということに教育上の大きな意味があるということの、それが学校というものが作られるようになった大発見だったんだと思います。なぜ大発見なのかというと、実はそのように先生が1人、生徒が例えば10人とか100人とか、そういうふうに集まったところで、いわば教えを請う若者の集まりというのをつくることによって、先生の教えが能率よく多くの人に伝わるという情報伝達の能率からそうなったのでは必ずしもないのではないかと、私は思います。

 むしろ弟子たち同士の互いの切磋琢磨、あるいは弟子たち同士の自発的な研鑽、それが先生による教え以上に重要な意味を持つということの発見だったんじゃないかと思うんですね。私達に身近な中国でも、特に先生のことは老師、年取った師匠と言ったらlǎoshī(ラァォシィー)だとかっていうふうな、私は中国の発音が下手なのであまり真似しないで欲しいんですが、その言葉を聞くと老師という具体的な人物のことを指してるっていうふうに思ってしまうんですが、それは極めて怪しくて、むしろそれは中国語では先生に対する尊称でありまして、そういう先生を囲んで優秀な若者たちが集まって集団を作って、互いに研鑽したということ。これが学校というものの意味の発見だったと思います。

 学校というものの意味が再発見されるのは、近代になってからでありまして、最もその学校というものの発見として面白いと思うのはUnited kingdom連合王国、日本でイギリスと呼ばれている国におけるパブリックスクールというものですね。パブリックスクールというと皆さんは公立学校だと誤解するかもしれませんが、実はUnited kingdomにおける有名なパブリックスクールはみんな私立の学校でありまして、極めて授業料が高い特別の学校なんですね。公立の学校とは比較にならない。日本では私立大学と比べても、比べ物にならないくらい授業料が高い。そういう特別の家庭の人しか入ることのできない、そういう学校であるわけですが、そういう学校をなぜ作ろうとしたかというと、その作ろうとしたその子供たちを入れようとしたのは、ものすごい大金持ちであるとかあるいは貴族であるとかなんですね。貴族であれば、昔は全部家庭教師、自分のところに先生を雇って、その人が子供たちに全てのことを教える。日常生活のマナーから基本的な教養に至るまで全部教える。そういう家庭教師を頼むというのが、貴族では当たり前のことでありました。

 しかしながら、貴族であっても、近代になって多様化する文化、あるいは展開する新しい近代科学の全ての領域において、数人の家庭教師を雇うだけで、全ての文化・文明、それをカバーすることはとてもできないし、そもそも子供たちにとって1人の優秀な家庭教師から全ての教科を勉強するということよりも、むしろ一つのところに集まって寝食を共にして、それを通して切磋琢磨する。そのことを通じて心身を鍛錬する。心も体も鍛錬する。こちらの方がよほど良いということで、作られたのがパブリックつまりプライベートなスクールではなくてパブリックスクールだった。

 パブリックスクールといっても誰でも入れるわけではない。とんでもなく高い授業料を払わなければいけない。特権階級のための学校なんですね。しかし特権階級だけだと、必ずしも能力が高い学生を集めることができませんから、特別に高い知的な能力のある学生はスカラシップ、奨学金を使って集めるわけです。無料で給費学生ですね。給料もらって学校に行ける。そういうような特別の学生もいました。でも重要だったのは「寮に入る」ということです。全寮制Boarding Schoolと言いますが、そうやって寝食を共にする、長い時間を共にすることによって、友人を通して学ぶこともできる。そして、むしろそのことの方に重要な意味があるというのが、パブリックスクールの起源であったと思います。

 このパブリックスクールの伝統というのがヨーロッパの中に広がっていき、それを哲学的に基礎づける、そういう哲学者も出てきたりして、近代では「学校制度というのが民主主義のための基本的な前提である」という理解が共有されるところまでいくわけですね。近代の合理主義というのはある意味で、学校教育の普及が初めて可能にしたものであって、国民のほとんどの人が文字を読むことができない、あるいは本を読むことができないという、そういう社会では健全な民主主義は成長するはずがないということを、近代の人々は深く理解していたのだと思います。

 しかるに、この学校の意味が、最近日本ではかえって返り見られなくなってきているのではないかということを、私は時々心配になります。私の子供の頃は、「うちの子がもしろくでもなかったら、先生、ぶん殴ってやってください」というふうに、保護者たちは言ったものでした。学校の先生に全面的な信頼を置いて、「悪いことがあったら全部うちの子のせいですから、私達は教育できないんですから、先生、ビシビシうちの子供を指導してやってください。」そういうふうに先生を、あるいは学校を信頼したものでありました。最近はこの風潮はすっかり影を潜め、「何かというと保護者の方が学校の先生に対して注文をつける」ということが多くなったと聞きます。それには様々な理由があるかと思いますけれども、そもそも父兄が、学校に何のために行かなければいけないのかということを理解していないし、学校の先生もそのことを理解していないという状況が生まれたということが、やっぱり大きな理由の一つではないかと想像しています。

 集団を通して、友だちから学ぶことができる。子供たちは先生から学ぶことも多いが、子供たちから学ぶことは、また別に重要な意味を持っているということですね。おそらく保育園レベルでは、保護者の人はそれを理解してると思うんです。というのは、「家にいるときは好き嫌いばっかり言ってた子供が、保育園に行くようになったら何でも食べるようになりました」というような話は、今でもよく聞く話です。面白いことにチンパンジーなんかでも、孤独に育てるよりは、仲間と一緒に育てる方がいわゆる賢いチンパンジーになるようですね。賢さっていうのを何をもって測るかというのは、いろいろと本当は問題ですが、人間の場合、少なくとも言語表現が豊かになるとか、親から離れて時間を過ごすことができるようになるとか、あるいは一人遊びができるようになるとか、あるいは何とかごっこっていう、つまり何かの別の人物に自分がなり変わるという演劇のようなものですね。そういう技を身につけるとか。保育園時代はそういうことが顕著に表れる時代だと思います。

 しかし小学校に入っても当然、先生から学ぶものと同じくらい友達から学ぶものが多い。そして、優秀な先生というのは、そういう子供たちが子供たちから学ぶのをうまく引き出す、というように教室をリードしていくわけですね。ですから担任という制度があるわけなんだと私は思います。小学校の先生にとって、担任というのは気の重い仕事であるということは私も思います。一人の先生が何十人ものを子供たちに対して、生涯にわたる責任を持つ、辛い経験でもありますね。しかし、生涯にわたって影響を残すという名誉ある仕事を、私達は小学校の先生に委ねている。そして委ねた以上は、先生方がその能力を十分に発揮できるような環境を、私達は整備すべきなのに、先生たちをやたらに忙しくして本当に休日さえ無いというような状況にまで、先生たちを追い詰めているという私達は、本当に情けない親たちだということを猛省しなければいけない。猛烈に反省しなければいけない、そういうふうに思います。

 学校というのは、友達から学ぶということに大きな意味があるんだということです。そしてそれは学年が上に上がってもそうなんですね。大学生であったとしても友達から学ぶことが多い。大学院生になってもそうである。研究者になってもそうなんですね。だから学会っていうのがあるわけで、いい年こいたおっさんたち、あるいはおばさんたちが集まって学会で、1年に数回のミーティングをする。あるいはシンポジウムを国際的に開く。何歳になっても、仲間から勉強するっていうことがすごくたくさんあるということなんです。そのことの意味を理解してない人が少なくないじゃないか。

 私がちょっと心配になるのは、たまたま電車に乗ったときに、個人塾という宣伝に出会い、親切丁寧わかるまで教えます、というような謳い文句が書かれていて、やっぱりこういう時代になったんだなと思いました。つまり、広告を見るであろうサラリーマンの保護者たちは、自分たちもこのように手取り足取りで教えてもらったら、もうちょっと勉強が得意になったかもしれないと思うくらい、勉強が苦手な人たちなんだろうなと思ったんですね。つまり、その広告を見ている人たちの世代の人が、もう学校生活を本当の意味で享受してない。エンジョイしてない。充実した学園生活を送っていない。素晴らしい友人を持っていない。友達からはいじめられた記憶しかないとか、嫌味な友達としか言いようのないやつしか友達の中にいない。軽蔑という感情しか友達に対して抱くことはない。という世代の人々なんじゃないかと思ったんです。

 そして、我が子はせめて立派な先生、それはたとえ大学生であろうと、お金を払って一対一で教えてくれたら立派な先生になってくれるんじゃないかというので、そういう塾に通わせるんでしょうけれど、一対一で教えてくれる先生にそんなにいい先生がいると期待することの方がちょっと虫が良すぎると思いませんか? もちろん昔の貴族のように、家庭教師を月100万円で雇う、そういうような余裕を持ってる人だったらば、いい先生を月100万で、科目ごとに100万ずつ払えば500万くらい毎月の教育費として用意する。そうすれば、それなりのいい先生も確保できるかもしれません。でも、たった月3万円くらいでそんないい先生を1週間続けて雇うなんてできるはずがない。自分がサラリーマンであればそう思いますよね。自分の時間給を考えてみれば、そんなに優秀なエンジニア、あるいは経営者がいるところで働くということ。それを安い時間給で働く人にもし仕事を外注したら、出来が悪い仕事しか戻ってこない。そんなことは社会人として常識だと思いますけど、多分そういう反省をすることさえないくらい学習体験が貧困になってるんじゃないか。言い換えれば、学校における体験っていうのがそれほど貧困化してるんじゃないかということを、私はその広告を見て、ちょっと心配になり、そして胸が痛みました。

 私が考えてみると、16くらいのときから家庭教師もどきを始めて、半世紀以上の時間が経ち、昔と今とでこれほど大きな差ができてしまった。そのことに私自身はやはり教育に携わってきた者として、大きな責任を感じずにはいられなかったということです。皆さんはどういうふうにお考えになりますか。

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