長岡亮介のよもやま話18「Ugly American」

 普段、私は自分が専門にしているわけではない領域のことについては、発言することを慎んで参りましたけれど、最近しきりと耳にする「国家を巡る安全保障環境の激変の現状の中にあって」というような言葉を聞くと、何かやはり奇妙な印象を受けてしまいます。というのは、戦争の緊張が高まる世界の状況っていうのがあると思います。かつて東西冷戦と呼ばれていた時代、私が少年時代を送った時代でありますけれども、非常に緊張した日々が続いていたことを思い出します。アメリカとソ連、その合わせた原子爆弾だけで世界を5回でも10回でも潰せる、というくらいの分量になっている、というような話は想像するだけで恐ろしいものでありました。

 しかし幸いなことに、その後原子爆弾あるいは水素爆弾を使う、という話が上がったこともないわけではありませんけれども、実際にそれを使うことはありませんでした。そういう強力な兵器を使わなかったから世界の平和が続いてきたか、というと全くそうではなかったわけでありまして、そういう巨大な強力な核兵器のようなものを使わない、いわゆる通常兵器を使った悲惨な戦争が繰り返されてきたわけですね。そして20世紀の末から21世紀に向けて、私達は、これからは少しまともな時代が来るのではないか、と期待していたのですが、その矢先から国際的には非常に厳しい緊張が走る、という状況が生まれています。

 これを一部の評論家のように、ならず者国家が出てきているという、言ってみれば表層の現象を捉えてうまいこと表現して、皆さんの関心を惹きつけているのかもしれませんけれど、果たして国家というものが「ならず者的に」運営されうるものなのかどうか、それが長期的に安定したものになるかどうか、ということに関して、私自身は、たとえ政治家の中にそういう人がいたとしても、その政権は意外に簡単に崩壊する、ほとんど想像もできなかったほど早く崩壊するということを、東欧あるいはソ連の崩壊を通して見てきました。しかし、他方でそのようないわば「ならず者的な政権」、それが崩壊した後に本当に理想的な民主主義の世の中が来る、というふうに考えていた人が多かったと思いますし、私もその一人でありますが、それがそれほど簡単でない、そういういわば現実政治の難しさに、目を見開かれる思いでした。

 これは目を見開かれたからといって感動したわけではない。そうではなくて、そういう悲しい側面が私達の人類の社会の中に強く残っているということでありまして、国際連合のような、言ってみれば表面的な綺麗ごとで世界が統一できる、あるいは世界平和が実現できる、という夢が「甘い」と言わざるを得ない、そういう状況を何度も見せつけられてきたわけです。

 実際に今回のロシアのウクライナ侵攻という、21世紀の歴史に深く刻まれるであろう大事件に対して、日本国民の多くは「ロシアがめちゃくちゃひどい」、あるいは「ロシアを率いているプーチン政権が堕落している」という声が強いのですけれど、私自身は、ロシアはかつてのソビエト連邦とは全く違う、共産党一党独裁ではなくて、むしろプーチン党一党独裁に近い状況で、共産党も残ってはいますけれどもほとんど影響力がない、むしろお金持ちと貧しい人の貧富の差というのが、ロシアくらい拡大している国はないと言っていいくらい、貧富の差も大きい国になっています。たまたま液化天然ガスが大量に見つかってそれ潤う、ちょうど中東の国々のように、言ってみれば天然資源というか、過去の遺産でそれが見つかって金持ちになった気になっている、そういう国に過ぎない。

 その国がなぜウクライナを攻めなければならないのか。理由について誰もが不思議に思うところだと思いますが、やはり何といってもとても大きいのはまだゴルバチョフが大統領であった時代に、いわゆる東西のベルリンの壁を崩すということを黙認するというゴルバチョフの大決断があり、その際にNATO いわゆる北大西洋条約機構という軍事同盟が東側に対してそれ以上拡大しないというようなことを、アメリカの責任ある高官が何回も語っているわけですね。しかしながら、NATO のその後の拡大は勢いが止まらないほどでありまして、それを身につまされるように感じているロシアからすれば、NATO のこの状況は許し難い。緩衝地帯、NATO とロシアとの間の緩衝地帯としていくつかの国を残しておきたいと思うのも無理からぬ話ではないかと思います。

 しかもそのウクライナが本当に立派な国として民主主義的に運営されているのであれば、攻める余地がないはずなのですが、実は歴代のウクライナ政権がずっと腐敗を続けていて、今回もゼレンスキー政権のもとでの高官が大変な破廉恥な事件を起こして逮捕されたという報道がありましたけれど、驚くべきことでなく、実はウクライナがソビエト社会主義連邦共和国から独立し、それまではウクライナ社会主義共和国だったんですけど、それがウクライナ共和国として独立して以来、ウクライナもそういうソ連の縛りから解放され、自由になって豊かな良い国になった、というふうに普通は思うところでありますが、実はその後にとんでもない政治の時代が続いてきた、ということです。そのような背景がなかったならば、いかにならず者といえどもですね、めちゃくちゃはできないわけでありまして、いわばつけ入る隙というか、つけ入ることの合理性ってというものが何らかの意味で政治的にはあり得たというところ、そこにプーチン政権がつけこんだということだと思うんですね。

 今、北朝鮮や中国の覇権主義、それが目立ってきて日本の領土が危ないというふうに心配してる人が一部にいるようですが、しかし、日本は果たして侵略する価値がある国でしょうか? ウクライナであれば黒海に面していますし、大事な港もありますし、ヨーロッパ第一の穀倉地帯と呼ばれた時代もあります。いろんな意味で地政学的にも重要な地域でありましょう。日本も確かに太平洋に出る上で、北朝鮮にしても中国にしても、日本という国が邪魔になる面がないわけではありません。しかし、今のように兵器が高性能化し、あるいは輸送が高速化し、という時代にあって、日本という土地が果たして侵略する価値があるのかどうか。そもそも日本は耕地が非常に少ない痩せた土地でありまして、農業さえままならない。私達は実際ほとんどの農作物、私達の食料を輸入に頼っているわけです。皆さんはぜひ、農林水産省の統計をご覧になるとはっきりわかると思いますが、日本は米以外のものはほとんど輸入に頼っている。言い換えれば私達は私達の国だけではご飯を食べていくこと、米以外のものを食べることもできないわけです。畜産業が盛んに行われている地方もありますが、その畜産業で最も重要な役割を果たしているのは動物に食べさせる飼料、その飼料の大部分は輸入に頼っている。従って、円安が急速に進み、輸入するものが高くなる。燃料にしろ、あるいは穀物にしろ、油にしろ、そういう輸入に頼っているものが値段が急激に上がると、それだけで私達はパニックを起こすような状況に陥るわけです。

 今は国債を発行することに平気になってしまった政府が、しきりと経済的な側面で国民生活を支えていますけれども、これは将来に対する借金でありますから、いつまでも続けることができるはずがないし、その借金だらけで自分たちの食料さえままにならないそんな国を、果たして占領する価値があると考える国がいるんでしょうか? みんな自分たちが豊かになりたいと思っているときに、最も貧しい国を占領することによって、何か利益が得られると考えるのでしょうか? 私はどう考えてみても日本の良い面は国民が一体感を持って分裂していないという国民性であると思いますが、その一体感が強すぎて時々は村社会というふうに世界では言われますけれど、そういう一体感を持った国民性、これは日本の素晴らしい美徳だと思いますけれど、それ以外に価値があるんでしょうか?

 頭脳が明晰である。確かに明晰な人はいます。しかし、ほんの一部ではないでしょうか? 運動能力あるいは音楽の才能、バレエの才能、そういう芸術的な才能において抜群の方がいる。まさしくその通りです。どこの国もそういう方はいるんですね。日本人だから特にそういう人が多いというわけでは決してない。日本の中にそういう頑張ってる人がいるというだけで、これは日本国民としての資質とは言えないと思うんですね。日本の誇るべきなのは、「村社会的な団結の強さ」と言ってもいいのかもしれません。そんな社会を外国勢力が軍事的に占領して何とかなる、というふうに考えることの方がおかしいですね。

 かつて今から四半世紀、三四半世紀というべきですか、75年ほど前に、もう少し前ですね、アメリカのGHQによって日本が占領され、その占領政策が施行されたときに、日本人はこぞってそれに賛成し、占領政策は大成功を収めた。日本ほどアメリカの侵略に成功した国はないと思うんですね。その成功体験がアメリカの外交政策を誤まらせる原因になったんではないかとさえ、私は考えておりますけれど。なぜそれが成功したのか。それは日本人があまりにも疲弊し、飢えていたからでありますね。あまりにも疲れ、あまりにもお腹がすき、あまりにも全てを奪われ何もない、そういう状況に日本があったということです。だからこそ占領政策が成功し、そしてアメリカの指導のもとに産業の振興が図られた。これを日本人の奇跡の復興というふうに自画自賛する人がいますが、実は大きな収入源はアメリカ軍であった、あるいはアメリカが率いる戦争による軍事特需であった、という真実の姿に目を向ける人はあまり多くはないように思います。頑張った日本人がいるのももちろん事実です。しかし、本当に今の日本が当時の日本と比べてさえ攻める価値のない国になっているのではないか、というのが私の心配することで、多くの人が近隣諸国の覇権主義の高まりに対して軍事費の増額で対抗すべきである、という議論を展開するのを聞くと、あまりにも短絡的ではないかと、世界戦略というものを本当に描くだけの知恵を持ってないのではないか、というふうに感じてしまいます。

 このような少し意地の悪いというか、根性の曲がった意見を私がもつのは、私が大学1年生か高校3年生の頃と思いますが、Ugly Americanという本を読んだんですね、「醜いアメリカ人」。これは素晴らしい本で、私は今ぜひ読んでみたいと思うくらいですけども、小さな活字で書かれた本であったと思います。ですから今の私の視力では到底読めませんけれど。その「醜いアメリカ人」というのはアメリカ人の醜さを語ってるんではないんですね。そうではなくて、アメリカの国際戦略について語っている。アメリカはアメリカの将来の利益のために全てのことをやる。その全てのことの中には、あくどいこともあれば、自分を裏切ることもある。自らを裏切ることによって自国の利益を守る。こういう叡智に満ちた外交戦略が展開してるんだ、という趣旨の本だったと思います。なんといっても半世紀以上前の記憶なりますから、細かいところはだいぶ間違ってるかもしれませんけれど。実は国際情勢というのは最近の我が国の大衆ジャーナリズムが語るほど、単純ではない、ということだけ今日はお話ししたいと思いました。余計なことをいろいろと言っていまして、その部分はカットして聞いていただければ幸いです。

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