長岡亮介のよもやま話5「子供から大人になるということ」

 今日はちょっと違ったお話をいたしましょう。最近の日本の風潮を見ていて、私の子供の頃とだいぶ違ってきているなと思うことが少なくありませんが、その中でもとりわけ違っているのは子供に対する扱いです。よく言えばとても子供を中心にした世の中になってきているということを痛感します。私が子供の頃は、大人たちは自分たちが子供たちを食べさせるために一生懸命で子供の世話を焼くということがありませんでした。それに比べると最近は親も含めてですね、保護者も含めて子供の世話をとてもよく焼きますね。世話を焼くというか面倒を見るというふうに言う方がいいかもしれません。とても面倒見が良い。最近は子育てをする父親も増えてきたようで、それ自身は日本の社会の文化的な進歩というふうに言える側面も多くあると私も思いますけれど、そして実際に子育てというのはとても楽しいことですから、それを母親だけに任せるというのはあまりにも男親にとって悲しいことだったと思いますけれど、一方で子供を育てるということと、子供におもねるというんでしょうか、子供のご機嫌を取るというのはだいぶ違うと思うんですね。

 確かに子供はわがままなところがあり、そのわがままなところがかわいいという面もあります。しかし子供たちがそのわがままを通すのは、彼らが生存のためにそのわがままな主張を通さねばならない、お母さんがたとえ眠くても、お父さんが忙しくても、僕はお腹がすいてるんだというようなことを、きちっと親に伝えなければいけない、というわがままがあって、それはわがままであることが生存のための非常に大事な条件であり、子供はわがままであっていいわけです。

 しかしながら、ある年齢になったとき、それでもまだわがままというのは、これはやはりちょっと育て方に失敗している。つまり子供がわがままなまま身勝手な成長を遂げてしまった、というふうに言うべきではないかと思うんですね。よく子供の躾と犬の躾、これを比較されまして日本はそれがどちらもできていない、ヨーロッパに見習うべきだという意見があって、私はヨーロッパの人に実際にそれが得意だと言われる国民に、日本ではそう言われてるのだけど果たしてどうなんですかと言ったら、いや、どちらの躾でも我が国も苦労していますという話が返ってきて、日本で外国ではこうだというような言い回しよく聞きますけど、結構いい加減なもんなんだなとつくづく思いました。

 それはともかくとして、躾というのはとても大切なことではないかと思うんです。そしてそれは教育の第一歩であると思うんです。躾というのが、いわば大人になってもずっと続くようでは話にならないわけで、これは幼少期のときの躾の話だと思うんですね。私はその幼少期っていうのを具体的に何歳までを言うのかよくわかりませんけれども、最近子供たちが喜ぶことを大人たちも一緒になって喜ぶという風潮があって、遊園地が典型的でありますけれども、子供が喜ぶから遊園地に行こうと。遊園地を大人が楽しんでいるともちょっと普通は思えないんですけれども、最近はどうも大人たちも子供たちと一緒になって遊園地を楽しむという風景を、目にすることが多くなってきたような気がします。

 果たしてそれでいいんだろうか。いつまでも子供の程度の喜び方しか大人になっても経験しない、というのをまずいのではないかと感じたりするんです。海外に行ったときにつくづく感じるのは、海外では子供も大人も意外に高級なことに、レジャーにしろ、あるいは芸術鑑賞にしろ、あるいは自然との格闘にしろ、かなり本格的なことを大人も子供も一緒にやるんですね。特に私は外国に行って、これは日本の子供たちに見せてやりたいなっていうふうに思うのは、自然の中で子供たちが伸び伸びと遊ぶ姿で大人も一緒に楽しんでいる。バーベキューであるとか、ヨットであるとか、ボートであるとかハイキングであるとか、釣りであるとかいろいろと楽しいことがありますけれども、そういう大自然の中での楽しい遊びもあります。

 それからもっと決定的に大きく違うと思うのは、日本では音楽を鑑賞する、例えばクラシック音楽の大鑑賞で有名な演奏家が来るというと、本当に男性だったらタキシード、女性だったら正装してそれに行くという。言ってみれば特別の行事だと思うんですけれど、ヨーロッパなどに行くと、実はそういう芸術のふれあいというのが極日常的にありまして、例えばウィークエンドに教会に行くとそこで演奏会が開かれている。かなりいい線いっている演奏会が、日本から見るととんでもなく安い金額で参加することができる。そしてそこに子供たちも来てるんですね。日本は子供たちをそういうところに連れて行ったら騒ぐんじゃないかと思って、親は気が気じゃありませんからそういうところに子供たちを連れて行くこともないと思いますが。芸術鑑賞というような場面にさえ子供達幼い子供たちがいっぱい参加している。時には周りの大人たち少し不機嫌にさせるような行動をとってしまう子供たちもいないわけではないと思いますけれども、そういう子供たちに対しても周りの大人たちが意外に寛容なんですね。日本の方がよほど周りの雑音に対して妙に神経質であったりすることがある。むしろ外国では、例えばそういう立派なコンサートであっても、少々のノイズがあっても、むしろ芸術的な空間の中に人々が一緒に集っているということ、そのものを楽しんでるという雰囲気を感じて、それは羨ましいなっていうふうに思うんです。

 やはり何か日本はいつまでも子供を子供扱いにする、そして最近の日本では大人まで、子供扱いの中の輪に入って子供たちと一緒にそれを喜んでいる。子供たちに対して優しくなったのは結構なことだけれど、本当は子供たちも大人たちのように芸術的な感性、あるいは遊びに対する感性、そういうものも全部含めて大人になっていくというのは大切なのに、いつまでも子供のままにいるということを、日本は社会全体として良いことのように思ってるんではないだろうか。それが私はちょっと心配なんですね。もう少し大人になるということを子供たちにエンカレッジする、そういう社会になっていってほしい。少なくとも芸術とか文化とか、そういうものっていうのは、特別におしゃれして正装していかなければならないというものではなく、ごく日常的な世界、ごく身近に存在するものであってほしい。そう願っているわけです。そういう意味でも、やはり子供をできるだけ早く大人にするということが、文化や芸術に関しては大切なんではないか。良いものに本物に早くから触れさせるということが大切で、子供扱いは本当に子供のときだけにする、という心構えが私たちから少し消えているような気がしている今日この頃です。

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